アダルトな大人

田原摩耶

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モンスターファミリー

妹?いいえ、女王です。

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 現れた翔太が元気そうなのを確認し、ほっと安堵する反面倒れたままビクともしない向坂さんに動揺を隠せない。

「っていうか、これ、お前なに仕込んで……」
「大丈夫。ちょっとした睡眠薬だから」

 口にした瞬間落ちる睡眠薬てやばい香りしかしないのだが。
 しかし、翔太の言うとおり向坂さんは眠っているだけのようだ。聞こえてきた整った寝息に安心する。
 それも束の間。

「そんなことより、ボサっとしてる暇ないよ。さっさとここを出よう」

 どうやら、翔太は最初から俺を連れ出してくれるつもりだったらしい。
 手を掴まれ、強引に引っ張られる。
 切羽詰まった翔太に気圧されながらも、あることを思い出した俺は「あっ、ちょ、待って」と慌てて翔太を呼び止める。

「どうしたの?」
「これ、お兄ちゃんからもらったんだけど」

 そういって、携帯端末をポケットから取り出せば、「向坂さんのポケットにでも突っ込んどきなよ」と翔太は問答無用でそれを向坂さんの胸ポケットに突っ込んだ。
 翔太のこういうざっくばらんな性格はたまに驚かされる。
 俺なら兄に怒られることを恐れて端末に熱湯掛けるくらいしかできないだろう。

「ほら、行くよ。早くしないと」

 そして、気を取り直した翔太がそうどこか落ち着かない様子で俺の手を引っ張ったときだった。

「……どこに行くの?」

 背筋から這い上がるようなか細く今にも消え入りそうな少女の声が、した。
 翔太が向かおうとした開いた扉のその向こう。忘れかけていた、忘れたかったその声に、俺と翔太は凍り付いた。

「……カナ兄、どうしてあたしに会いにきてくれないわけ? ずっとずっと心配してたんだから、脳味噌ミジンコレベルの一人じゃなーんもできないカナ兄が外での生活を送ることができるのか………」

 ずるずると、引き摺るような足音。笑っているのか泣いているのかわからないような高揚感のない震えた声。全身から血の気が引いていくのがわかった。
 同様、真っ青になった翔太は背後に近付く人影を振り返る。
 そこには、懐かしくも悍ましいそいつの姿があった。

「はっ、は、は、ハルカ……っ!」

 寝る前だったのか、色を抜いたような淡い金髪の長い髪を乱したそいつは寝間着姿で立っていた。
 まさか、こんなタイミングでこいつと顔を合わせるとは思わなかった。できることなら合わせたくもなかった。なのに、なんだ、今日は厄日なのか。いや、そんなこといったら先日も厄日だったし……と、現実逃避をしている場合ではない。

 乱れる鼓動を必死に抑えつけ、どっと噴出す脂汗を拭う。
 まだ幼さの残る三歳下の妹は、まるで親の仇でも見るような薄暗い瞳でじっと翔太を見上げていた。そして、次の瞬間じわぁっとその目に涙が浮かぶ。

「翔君も酷いよ、あたしばっかり除け者にして。ミナトお兄様も……みんな、影で楽しそうなことしちゃってさぁ……あたしだって、あたしだってカナ兄を鎖に繋いで家畜のように扱いたかったのに!」
「は、ハルカちゃん、声大きいから、取り敢えず落ち着いて」

 始まった。始まったぞ、また。いつものあれが。
 ボロボロと涙を零し、駄々っ子のように声を上げるハルカに狼狽える翔太は慌てて黙らせようと宥めるが伸ばした手を思いっきりべちーんと引っ叩かれていた。ご愁傷様である。
 大泣きしていたのが嘘みたいにぴたりと泣き止んだハルカはそのままぐっと翔太の襟を掴んだ。

「はあ? なに? あたしに逆らうつもり? ていうか翔君さあ、なんでうちの使用人の服着てんの?新手のコスプレなわけ? 似合わなーい、あなたみたいな豚には全裸で十分でしょ?」
「んぐっ」

 つらつらと口から出てくる罵倒の数々は昔よりも酷くなっている気がしないでもない。というか悪化している、確実に。十四年間こいつに罵倒浴びせられ扱かれ奴隷のようにときには犬のように扱われていた俺が言うのだから間違いないはずだ。
 精神的ダメージを受ける翔太を押し退けるように振り払ったハルカはそのまま俺の腕に絡みついてきた。

「カナ兄、こんなの放っておいて行きましょ? あたし、カナ兄が逃げ出したせいでずーっと我慢してたんだから。ほら、久し振りにおままごとをしましょ?」

 語尾にハートを撒き散らし、無邪気に微笑むハルカ。
 普通なら、もしこいつの本性を知らないやつかドM抉らせたやつならときめくかもしれないが、俺はただ悪寒しか感じない。
 恐怖で体が硬くなり、大量の汗をだらだらと流す俺を上目遣いで見上げるハルカは口端を吊り上げ、蛇のように笑った。

「勿論、カナ兄はあたしのためならなんでもする奴隷役ね」

 ――ハルカは、性格が悪い。どこをどう間違えたらこう育つんだというほど性格が悪い。しかもドSだ。
 小さい頃からオママゴトと称し、何人もの使用人を虐め、誑かし、次々と辞めさせていった。
 甘やかされ、さながら女王様気分のハルカを唯一黙らせることが出来るのは兄だけだ。
 因みに歳が近い俺は使用人と同じ扱いだった。
 しかし、それは以前の話だ。今回は、使用人たちみたいにヘコヘコしてまでこいつの悪趣味な遊びに付き合ってられる暇はない。

「どの奴隷にやらせても全然はしゃいじゃってさぁーやっぱ痛め付けるならカナ兄が一番楽しいし嫌がる顔も本当堪んないし、ほら、今日はカナ兄が戻ってくるって聞いて奴隷の方がままごとに付き合ってくれるって言うから、ね? きっとカナ兄も楽しくなるわ、ふふ」

 うっとりと頬を染め、指を絡めてくるハルカ。
 奴隷の方。恐らくハルカの下僕と化した使用人のことだろうが、中学の時からたまに知らんおっさんやら同級生やらを首輪に繋いで持ち帰ってはいたぶって遊んでいるハルカのことだ。もしかしたらまた良からぬ輩共を連れ込んでる可能性もある。
 どちらにしろ、いい予感がしないのは確かだ。

「冗談じゃねえっ、誰があんな悪趣味な……っおい、離せ!」

 ぐいぐいと纏わりついてくるハルカを思いっきり振り払えば、蹌踉めいたハルカはそのままぺたんと尻餅をつく。
 そして、

「い……ったぁい……、なにするのよぉ……馬鹿ぁ……」

 顔を歪め、じわじわと涙を溜めるハルカ。
 ハルカが演技派なのを知っている俺にはこいつの泣き落としは通用にしない。
 再会した今日こそは、今日だけは、兄としてこいつにガツンといってやらねば気が済まない。
 翔太がいるからか、なんだか不思議と強気になっていた。
 外に出て、この家がやはり異常だったと知ったからだろうか。

「カナ兄はそんなことしなかったのにっ、いつもあたしの言うこと聞いてくれてたのに! やっぱり外に行ったせいでおかしくなっちゃんたんだっ!」
「おかしいのはてめえの脳味噌だろうが! なにがおままごとだっ! 度が過ぎてんだよ、ドS女がっ! ばーか!」

 段々ヒートする俺達のやり取りに、青褪めた翔太が「カナちゃん、ちょっと、それ以上はまじで……」と止めようとしてくる。
 それに構わず俺は「大体なぁ」とハルカを睨んだ。

「そんなんだから彼氏できねえんだろっ!」

「あーっ! 言っちゃった! あーっ! あーっ! 兄が妹に絶対言っちゃいけない発言来ちゃった!」

 先ほどまでの勢いはどこにいったのか、押し黙るハルカ。
 僅かにその肩がぷるぷると小刻みに震えていることに気付いたとき、目から大粒の涙が溢れ出した。

「……っ、う、うぅッ」

 嗚咽を押し殺し、唇を噛み締めるハルカの頬を涙が滑り落ちていく。
 真意を突き過ぎてしまったのか、まさかまじで泣き出すとは思わず狼狽える俺は恐る恐るハルカに近付いた。

「おいっ、こんくらいで泣くな……って、え」

 瞬間、ガラリと音を立て襖が開いた。
 そこにはゴツいスーツ姿の使用人たちがずらりと並んでいて、俺は硬直した。それは、翔太も同じだった。

「やだっ、絶対カナ兄と遊ぶもん!」

 ヒステリックな金切り声。それを合図に、使用人たちは広間に足を踏み入れてくる。

「やばい……っ、カナちゃん逃げるよ!」

 あまりの動揺に逃げ出すタイミングを失った俺の代わりに、俺の手を取った翔太は構わず走り出した。

「早く、あの二人捕まえて! 抵抗するなら多少傷付けてもいいからっ! 早く! ほらボサっとしてんじゃねえよ糞豚ども!!」

 翔太に引っ張られるように逃げ出す俺に、とうとう余裕を無くしたハルカは凄まじい声音で吠える。
 その怒声に鞭打たれるように使用人たちはあとを追いかけてきた。
 長い長い廊下の中。三年ぶりに帰ってきた俺と毎日ここで働いている使用人たちとでは、どちらが土地勘が優れているだろうか。

「何が来るかわからないからとにかく足元に気を付けて!」

 うちの屋敷は、先代の趣味で様々な仕掛けが施されている。
 落とし穴に落下する天井、隠し扉は当たり前で、小さい頃はよくそれを使ってハルカと隠れんぼをしていつの間にかに閉じ込められていたりしていた。
 たかが三年では十七年間過ごしてきた実家の仕掛けを忘れられるか。
 兄やハルカから逃れるため、あの手この手で屋敷の仕組みを利用し尽くしてきた俺は「っあぁっ!」と力強く頷き返す。
 そのときだった。強く踏み込んだ板目はがこりと音を立て凹み、次の瞬間、足場が消えた。そう、消えた。代わりに現れたのは大きな穴で。

 落とし穴。それに自分がハマってしまったことに気付いたときには時既に遅し。

「って、うわああああああっ!」

 急速に落下していく体に、全身から血の気が引いていく。

「ちょっ! 言った側からお約束しなくていいから! もうっ、カナちゃん!」

 段々と遠くなる翔太の声。
 次の瞬間、躊躇わずに自ら穴に飛び込んでくる翔太を最後に俺の意識は激しい落下の衝撃とともに一旦途切れることになる。
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