アダルトな大人

田原摩耶

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毒漬け砂糖のお味はいかが?

後悔先に立たず

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『かなちゃんがバイト?』
「そう、ようやく受かったんだ! しかも時給云千円!」

 携帯電話から聞こえてくる友人兼同居人もとい家の持ち主である中谷翔太の驚いたような声に、思わず口許が緩む。
 驚いてる驚いてる。
 いつもいつも『かなちゃんってヒモ似合ってるよね』と笑う翔太にぎゃふんと言わせたかった。
 そしてバイトが決まったその日の夜、さっそく翔太に電話をかけてみたわけだがなかなかいい反応だ。
 調子に乗って「もう二度とニートなんて言わせないからな」とか言ってみるが、何故だか端末の向こうの翔太は沈黙。
 普段の饒舌な翔太を知ってるだけに、「あれ、調子にノリ過ぎたのだろうか」とちょっぴり不安になりかけたとき。

『……へぇ、どんなバイト?』

 沈黙の末、端末からはなんとなくこちらを勘繰るような翔太の声が返ってくる。
 まさか詳細を尋ねられるとは思ってもいなかっただけに「え?」と間抜けな声が漏れた。

『だからバイトだよバイト。そんな儲かるんだったら僕もそこで働こうかなぁ』
「は、ちょ、なに言ってんだよお前。今のバイトどうすんの」
『例えばの話だって、例えばの。で? どんなバイト? そんだけ貰えるってことはもしかして危ないところだったりする?』

 言いかけてなにかに気付いたのか、翔太は『もしかして、水商売とか』と続けた。
 水商売。前にちょっとやったことあったが正直異性に馴れてないわ口が上手いわけでもないしお世辞も言えない上唯一酒が好きなだけの俺は向いてないと悟りすぐに辞めた。というかクビになった。
 心配性の翔太に水商売やってたことを秘密にしていた俺はその口から出た言葉に内心ぎくりとしながらも必死に平静を装い「や、ほらふつうのショップの店員だって、店員」と続ける。

『かなちゃんが接客? 大丈夫なの?』
「どういう意味だよお前」
『そのまんまだよ。かなちゃん昔から要領悪いからなあ』

 この野郎、否定できない。

『で、どのへんなの? 今度遊びに行くよ』
「別に来なくていいっての、つか来んなよ、絶対来んな」
『へえ、かなちゃんなら自慢しまくると思ったんだけど意外な反応だなぁ。もしかしてあれなの? 僕には見せられないようなお店ってこと?』
「そ…そういうわけじゃないけど。別に来てもなんも面白くねえって、普通のコンビニだし」
『時給云千円のコンビニねえ』
「…う……!」

 こういうときだけは無駄に鋭い。
 俺がなにか隠していることに気付いているのだろう。
 誘導尋問染みたそのやり取りに痺れを切らした俺は「わかった」と声を上げた。

「やっぱそれなし、普通の時給の普通のコンビニ! もうお前はきにすんなよ」
『じゃあどこのコンビニ?』

 興味ないことにはとことん無関心なのだが気になったことにはとことん食らい付く翔太のこういう性格はたまに面倒くさい。逆に言えばそのお陰で今俺の生活を援助してくれているのだろうが。

「言ったら来るつもりなんだろ」
『もちろん』
「くんなバーカ!」

 即答する翔太に向かってそう怒鳴れば翔太はくすくすと笑う。

『それじゃあかなちゃんにバレないようにこっそり遊びに行かせてもらうね』
「てめ……」

 こんにゃろ、と構えた時、ブツッと音を立て通話は途切れる。
 いつも一方的に通話を切るなと言っているのにまた勝手に切りやがってあの野郎。
 小さく舌打ちをした俺はそのまま携帯を仕舞い、肺に溜まった息を深く吐く。

「……………どうしよう」


【毒漬け砂糖のお味はいかが?】


 翌日、アダルトショップ店内。
 浮かない気分のまま出勤した俺は任された一通りの雑用を済ませ、休憩室へとやってきていた。
 甘いお菓子の匂いが充満した休憩室内。
 頭の中には昨夜の翔太とのやり取りがぐるぐると回っていた。

「……はぁ」
「どうしたの、かなたん」

 そう小さく溜め息を漏らしたとき、向かい側の席に座っていた紀平さんが菓子をつつきながら不思議そうに声をかけてくる。

「紀平さん……そのかなたんっていうのやめてくださいよ」
「えー? 覚えやすくていいじゃん。俺もうかなたんの本名忘れちゃったし」
「原田佳那汰です」
「あーそうだったね、地味な名前はすぐ忘れちゃうからさあ。はははっ」
「うぐ……」

 マイペースというかなんというか、この人には悩みなさそうだな。なんて思いながら紀平さんに目を向けた俺はそのまま手元のそれに視線を下ろす。
 皿の上に乗ったやたら甘く芳ばしい匂いがする黄色っぽいスポンジケーキ。

「ところでなに食べてるんですか?……ケーキ?」
「ああ、これ?」
「シフォンケーキですよ」

 そう紀平さんの代わりに答えたのは休憩室の簡易キッチンで皿洗いをしていた笹山だった。
 丁度作業を終えたのか、水を止めた笹山は濡れた手をタオルで拭いながら俺たちの方へと向き直る。

「初めて作ったんで紀平さんに味見して貰おうかと思って」
「作ったって、笹山が?」
「ええ、丁度材料があったので」

 ここはなんの店だと突っ込みたくなったがなかなか美味しそうだ。
 料理好きなのだろうか。制服代わりの店員用エプロンが笹山のだけ主夫のエプロンに見えてきた。

「俺的にはもっと甘くてよかったんだけどね」
「紀平さんって絶対糖尿になりそうですよね」
「糖尿って、ああ、精子の代わりに生クリーム出るやつ?」
「ど、どんな奇病ですか」

 紀平さんの場合冗談か本気かわからないだけに絡みにくい。いや冗談であってほしいが。
 そんなとき。

「体内の水分が砂糖水で作られたお前なら出そうだな」

 すぐ背後から聞き覚えのある艶かしく凛とした男の声がした。
 え、と、振り返るよりも先にふっと息を吹き掛けられる。生暖かな吐息に思わず飛び上がりそうになりながらも振り返れば、そこには会いたくなかった、いや、ある意味会いたかった男がいた。

「うわっ、店長」
「やけに店内の人手が足りないと思えばこんなところできゃっきゃきゃっきゃとケーキの試食会とは何事だ!女子か貴様ら! 全く可愛くないぞ絵面的に!」
「あ、ちょっ、何人のケーキ横から食ってんですか!」
「もぐ……紀平、大体貴様はなんなんだ飯を食いに来てるのか?……わりと旨いな、これ」

 おお、わりとまともな突っ込みと思いきやお前も食うのかよ。

「こ、この人、人が大事に残してた部分を……!」
「まあまあ……紀平さん、こっちに残りがありますのでよかったらどうぞ」
「う、うう……流石マダムたちから気が利くし婿にほしいナンバーワンと評判の透……!」
「そ、それは喜んだらいいんですかね……?」

 複雑そうに笑う笹山だが、俺からしてみればマダムに人気なんてもう羨ましい限りだ。
 なんて思ってると、不意にこちらに気づいた笹山がにこりと笑いかけてくる。

「あの、原田さんもよかったらいかがですか? ……甘いものが苦手ではなければいいんですけど」
「い、いいのか?」
「はい。それに、原田さんにはお詫びも兼ねて……」
「「お詫び?」」
「あー! いや、何もないです! ……悪いな、笹山、じゃあお言葉に甘えて……へへ……」

 危うく昨日の四川の野郎とのことをバレるところだった。
 笹山の用意してくれたシフォンケーキを皿ごと受け取り、テーブルには俺と紀平さん、そして当たり前のように混ざる店長で腰をおろしていた。ってお前も混ざるのかよ。
 そして始まる奇妙な女子(?)会。
 それにしても、紀平さんが甘いもの好きってやっぱりイメージがないっていうか……。一口だけでもなかなか甘いケーキの上から更にボトル入りの蜂蜜をブリュリュリュリュ!!と凄まじい音を立て垂らす紀平さんに俺はやや食欲が失せていた。

「き、紀平さんそれ……甘くないんすか?」
「甘いよ。一口食べただけで頭の中どろっどろになりそうで最高だね。透のケーキは蜂蜜に合うから大好きなんだよな」
「原田、この男は舌がぶっ壊れてて甘いものと酒の味しかわからんのだ。直になれる」
「な、なるほど……」
「人を馬鹿舌みたいにいうのやめてくださいよ。本当に美味しいんだよ。これ」

「ほら、かなたんも一口食べてみる?」と、蜂蜜と生クリームに浸かっだ一口のケーキをフォークに突き刺し、紀平さんはそれを俺の口に突き付けた。
 すごい甘い匂いだが、確かに……少し美味しそうだ。
 少しだけ迷って、俺は恐る恐るそのフォークの先端からぶら下がるケーキを食べようと口を開いたとき、目の前で紀平さんはそれを自分の口に放り込んだ。
「へ」と凍り付いたとき、アホ面していた俺の顎をそのまま掴んで、紀平さんは俺の唇に自分の唇を押し付ける。

「んなッ」
「っ、ちょ……」

 店長の呆れた声に狼狽える笹山の声が一瞬遠くなる。
 閉じるのを忘れていた口の中に、太い舌が入り込んでくる。そして口移しされるのは生クリームと蜂蜜を纏ったスポンジ。口いっぱいに広がるのは噎せ返るほどの甘ったるい匂い。
 口移し。そんな単語が脳裏を過った。
 抵抗する暇もなかった。すぐに紀平さんは俺から口を離した。そして、唖然とする俺の唇を舐めるのだ。

「蜂蜜ついてるよ、かなたん」

 紀平さんの舌に埋め込まれた金属ピアスが唇に触れたとき、そこでようやく俺は自分がなにをされているのか気付いたのだった。

「き、ききき貴様、なにやって…! 俺もまだキスしていないのに!」
「やだな、ただのスキンシップですってば。どっかの誰かさんみたいな下心ないですよ」
「す、すきん……しっぷ……?」
「そうそう、だってかなたんの反応すげー可愛いから」
「か、かわ……かわ……っ!」
「あ、耳まで真っ赤になっちゃった」

 あまりにも自然な動作で耳を触れられる。
 拡張してたその耳朶を親指ですり、と撫でられた瞬間、言いようのない感覚がぞぞぞと足元から這い上がってきた。
 こちらを見つめる紀平さんの目が細められたと思いきや、やはりその手はあっさりと俺から離れたのだ。

「じゃ、俺持ち場戻るわ。透、ごちそーさん」

 いつの間にかに皿のケーキを平らげたのか、先程までと変わらない笑顔を浮かべた紀平さんは颯爽とその場を立ち去ろうとし……睫毛、もとい店長に引き止められていた。

「おい待て紀平!人を下心の塊みたいに言っておきながら逃げるつもりか!」
「やだな、事実だからってそんなプリプリしないで下さいよ。ほら店長も仕事に戻ったらどうですか?」
「貴様、今度という今度はその態度を改めさせてやる…! 大体貴様は毎回毎回……!!」

 ぎゃあぎゃあと主に店長が騒ぎながらも二人は休憩室を後にする。なんというか、ここまでくると仲がいいのかもしれない。

「すみません、騒がしくしてしまって」
「いや、そんなことない……ってか、その、別に俺に敬語とか使わなくていいから、俺の方が後輩だし」
「そんな……! 俺は最年少ですし、年上の方に対してそんな失礼なこと……」
「え?でも、最年少って言っても……」
「十九です」
「じゃあ、一個違いじゃねえか。……あれ、でも確か……笹山って四川のやつにはタメ口だよな」
「あぁ、阿奈は……」

 そう、笹山が何かを言いかけたときだった。
 いきなり扉が開いたとき思えば……噂をすればなんとやら、そこには見たくねえ顔があった。

「なんだ、お前らしかいねえのかよ」

 どうやら今店に来たらしい四川は、私物のカバンを放り投げるようにソファーに置き、そして甘い匂いに誘われるように俺たちのところへとやってくる。

「うげ、……またクッソ胸焼けしそうなもん食ってんな」
「阿奈の分はないよ、さっき紀平さんが全部平らげたから」
「いらねえよ。つうか……なんだお前、まだ辞めてなかったのか?」

 冷蔵庫からフルーツジュースのボトルを取り出し、それを飲みながら四川はにやにやと俺を見る。
 くそ、やっぱりムカつくやつだ。昨日のことを忘れたわけではいくせに。

「お前が辞めんなつってきたんだろうが」
「そんなにあれが流出すんの嫌なのかよ、ただチンポしゃぶってるだけだろ?」
「な、こ、……こいつ……! 食事中に嫌なもん思い出させんなっ! アホ!」

 生クリームが別のものに見えてきて、流石にブチ切れそうになる俺に四川はゲラゲラと笑いながら椅子にどかりと腰をかけた。

「なあ笹山、暇なら俺の分もなんか作れよ。飯食わずに来たから今すげー腹減って死にそう。精が出そうなものです」
「嫌だよ。にんにくでもかじっとけばいいじゃん」
「おい、何怒ってんだよ。チッ、面倒臭えな……」

 礼儀正しくて誰にでも優しそうな笹山だが、四川相手には砕けた態度を取るのだ。そういえば、笹山、さっき何かを言いかけていたが……。

「そういえば、お前らって仲いいんだな」
「「……は?」」

 何も考えずに言えば、すげえ目で見られた。それも二人に。笹山にさえ。

「きっ……気持ち悪ィこと言ってんじゃねえぞ脳味噌お花畑ちゃんかお前!」
「え、な、なに……俺なんかまずいこと言った……?」
「仲いいというか……別に俺たちは……」
「元々高校が同じで、生活時間が同じだからたまに遊んだりしてるだけだっての」
「そ、それは……友達じゃないのか……?」
「ちげーよ(違いますね)」

 は、ハモってるし……。
 というか、待てよ。元同級生ってことは……。

「四川、お前……俺より年下かよ?!」
「あ? だったらなんだよ。先輩に向かって指指してんじゃねえよ犯すぞ」
「んな……ッ!!」

 な、なんということだ……。
 年は近いだろうとは思っていたがあまりにも偉そうな態度のせいで同い年か年上だと思っていたら……年下かよ?!
 年下相手に敬語を強要され、あまつさえしゃぶらされたのだと思えばショックでどうにかなりそうだった……。
 なんだ、なんでだ、俺は舐められてるのか。
 それともただコイツがクソ生意気なだけなのか……多分両方だろう。
 一人自己嫌悪で凹んでると、何か作ろうかとしてたらしい。キッチン周りをがさがさ漁っていた四川は「ん?」と手を止めた。

「おい笹山、これなんだよ。こんなんあったか?」

 そう、調味料ケースの中に入った愛らしい瓶はキッチンにはそぐわない。中には白い粉末が入ってるようだ。
 不審がる四川に、笹山は「ああ」と思い出したように手を叩いた。

「それ砂糖だよ」
「砂糖? こんなもんここあったか?」
「いつもの容器に入った砂糖がなかったから代わりに使ったんだよ。味見したけどちゃんと砂糖だったし」
「ふーん。変な薬かと思った」
「ちょっと、人聞き悪いから」
「冗談だろ、冗談」

 場所が場所だけに笑えねえよ。
 容器を戻した四川は、何事もなかったように ケトルにお湯を溜め始める。どうやら本格的に夜食を食うつもりらしい。これ以上絡まれたくない。

「ごちそうさん」
「お粗末様です。お口には合いましたか?」
「うん、すげー美味かった! まじで。店開けるレベルだって」
「それならよかったです。……けど、褒め過ぎですよ」
「いやいやまじで、俺、毎日通うし」
「……は、原田さん……」

 照れてるのか、曖昧にはにかむ笹山。
 いやほんと、もっと他に料理屋とかに行けばよかったのになんでこの店で働いてるのだろうか。不思議だ。
 笹山が女で俺よりもちっさくて巨乳だったらまさに理想の女の子だったのになぜこうも世の中というものは俺に辛辣なのだろうか。あれか、日頃の行いか。

「は、よかったな。餌付け大成功じゃん」
「ちょっと、僻まないでくれない?」
「はあ? 誰が」
「原田さん、こいつに何言われても気にしなくていいですからね。小学生みたいなもんですから」
「あー、確かに。なるほどそういうことか」
「誰がクソガキだコラ! つーかてめぇも納得してんじゃねえぞ童貞野郎!」
「な、ど、どど童貞とか関係ないだろ?!」

 ……。
 ……………。
 というわけで、笹山の飯で腹を満たした俺は休憩を上がり、持ち場へと戻ることにした。
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