曖昧なパフューム

宝月なごみ

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思惑は交錯して

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 ――ピンポーン。

 そこで突然、この場にそぐわない、軽やかで平和な電子音が室内に響く。

「誰よ。出なくていいからちょっと確認して」
「はい」

 忌々しそうに涼音が指示すると、脇に控えていた男が廊下へ出ていく。ドアモニターでも確認しに行ったのだろうか。岡崎の手の動きも止まったので、朱夏の緊張の糸が少しだけ緩む。

 しかし、この隙に逃げられるとも思わないし、すぐに状況は元通りになるだろう。

 岡崎に体を汚されていく。その一部始終が、涼音や男たちの記憶に、無機質なスマホのカメラに記録され、やがて貴人の目に触れる――。

 心が黒く塗りつぶされていく感覚を覚え、抗う気持ちすら奪われそうになっていた、その時。廊下からどたどたと複数人の足音が迫ってくるのを感じ、その場にいた全員が、怪訝な顔をしてドアの方に目を向けた。

 間もなく、勢いよくドアが開いて。

「全員そこを動くな。警察だ」

 入ってきたのは三人の刑事。中央にいる中年刑事が手帳を示すと、涼音がガタッと椅子から立ち上がった。

「はっ? 警察? 別に私たち、仲間内で楽しんでただけですけど?」
「おイタが過ぎたなお嬢ちゃん。私らはその〝仲間〟からの情報でここへ来たんだ」

 刑事の言葉に、涼音が「アイツ……」と呟き、爪を噛む。しかし、次の瞬間には余裕の笑みに戻り、先ほどまで座っていた椅子の背に手を置いて言った。

「……そう。でも、私はなにもしてない。この椅子に座っていただけ」
「みたいだな。しかし、お嬢ちゃんにも署に来てもらうよ。別室で見つかった錠剤について、ゆっくり話そうじゃないか」

 錠剤。おそらく、ただの治療薬とは異なる類のものなのだろう。涼音の顔が、みるみるうちに青ざめる。それ以上なにも言い返す様子はなく、またしきりに爪を噛んでいた。

 その間に他の刑事が岡崎、そしてスマホの撮影を担当していた男の身柄を、それぞれ確保する。

 岡崎はそれでもまだ名残惜しそうで、刑事とともに退室するその瞬間まで、糸を引くような甘い目つきで朱夏を見つめ続けた。

 あっという間の逮捕劇に呆気に取られつつ、朱夏はわずかに乱れていた服をのろのろと直す。すると、廊下の方からバタバタと忙しない足音が近づいてくる。

 また別の刑事だろうか。そう思いながらぼんやりと開けっ放しのドアに注目する。

 ――と、間もなく部屋に入ってきたのは、血相を変えたスーツ姿の貴人だった。

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