曖昧なパフューム

宝月なごみ

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再会と急接近

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 朱夏が感傷的な思いに浸ってグラスを傾けていると、やがて次々と料理が運ばれてくる。

 レモンとタルタルの添えられた、香ばしいフィッシュアンドチップス。鮮やかなロゼ色のローストビーフ。ぎっしりと具の詰まった巨大なミートパイ。サラダにスコッチエッグ。

 どれもひと皿が巨大で、三~四人前はありそうだ。

「ちょ、ちょっと待って。頼みすぎじゃない?」
「まぁいいじゃないですか。協力していっぱい食べましょう」

 そうは言っても、貴人は体が大きいし、筋肉量の多い男性だし、なにより若い。同じ量食べても、太るのはこちらだけだろう。

 朱夏は胸の内でそんな不満を呟き、頭を抱える。
 
「ああ~……今夜体重計に乗るのが怖い」
「こういう日は乗らなくていいんですよ」
「あのねえ」

 恨めしげに貴人を睨むと、ジッとこちらを見つめる彼と目が合う。

 どきりとして思わず目を逸らした朱夏に、貴人は独特の甘い声で語り掛けた。

「だって……すぐに料理がなくなったら、朱夏さんを引き留めておく理由がなくなっちゃうでしょ?」

 意味深な言葉に、朱夏の鼓動がいっそう激しく暴れ出す。

 貴人は、懐かしさだけで語れる過去の、もっと奥深くに眠っている……あの甘く背徳的な日々のことを自分に思い出させたいのではないか。

 朱夏はそんな恐れを抱き、逃げ出したくなってきた。

 ――だって。思い出してしまったらきっと、もう彼なしじゃいられない。

 そんな自分は見たくない。知りたくない。ロンドンを離れてから時々やってくる心と体の疼きだって、どうにかひとりでやり過ごしてきた。

 私は、不毛な肉欲に溺れることはやめたのだ。朱夏が心の中でそう自分を律していると、貴人がそっと彼女に声を掛ける。

「朱夏さん、そんなに身構えないでください。俺はただ、久しぶりに会えた喜びに浸りながら、あなたと他愛ない話がしたいだけです」
「……本当に?」

 疑いの眼差しを向けた朱夏に、貴人は「もちろん」と頷く。嘘をついているようには見えない。この様子なら、どうやらいきなり〝例の話〟を蒸し返すつもりはなさそうだ。

 朱夏はそう判断し、わずかに警戒心を残したままではあるが、彼と食事を共にすることにようやく決心がつくのだった。

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