曖昧なパフューム

宝月なごみ

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再会と急接近

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「社長との喧嘩の原因はなんだったの?」
「当時、両親が俺に無断で政略結婚の話を進めていることがわかったんです。で、ふざけんなってキレたら、金銭的な援助を絶たれてしまって。貯金はありましたけど、大部分は元をたどれば親の金です。それを使うのは癪だったので、自分の収入だけでやりくりしようとしたらどんどん生活苦になってしまって」
「なるほど……」

 朱夏の頭の中でようやくすべてがつながったが、貴人がそこまで頑固だとは意外で、少し見直した。

 御曹司などという人種は、大した努力もなく輝かしい将来を約束されているのだろうと、勝手に偏見を抱いていたのだ。

「さて、朱夏さんの疑問にも答えられたし、そろそろ料理頼みましょう? 朱夏さん、何食べたいですか?」
「そうだね、なんかお腹すいちゃった。私は好き嫌いないし、料理は貴人くんにお任せするよ」
「了解です。じゃあ……」

 しばらくメニューを開いて眺めた彼は、やがてウエイターを呼んでいくつかの料理を注文した。

 料理を待つ間、先に運ばれてきたドリンクで乾杯する。日本ではあまりなじみのない蜂蜜酒・ミードだ。

 味わいもアルコール度数も銘柄によってさまざまなミードだが、貴人の選んだのは飲みやすいスパークリングタイプ。シャンパングラスに注がれたミードは美しい琥珀色で、無数の細かな泡が立ち昇る様子に、自然と心が浮き立った。

「なにかのお祝いみたいね」
「お祝いでしょ? 俺たちが再会できた」

 そう言ってグラスを持った貴人に鼓動を微かに乱されるが、朱夏は平静を装いグラスを持った。

「乾杯」
「うん、乾杯」

 グラスを傾け、舌の上で弾ける炭酸を感じながらミードを味わう。

 古代から中世ヨーロッパでは、結婚直後の一カ月、妻は夫にこの蜂蜜酒を作って飲ませ続け、子作りに励んだ。この『蜂蜜の一カ月』がハネムーン(honey・moon)の語源だとする説があるのだと、ロンドンにいた頃貴人が教えてくれた。

 ロマンチックなようでもあるが、一カ月も子作りばかりなんてそれはそれでムードがないと、バーでミードを飲みながらふたりで苦笑した覚えがある。

 しかし、自分にその夫婦を笑う権利などなかったと、現在の朱夏は思う。

 夫でも、恋人でもない貴人に肉体的快楽を与えられることで心の平穏を保ち、その行為に依存していたあの頃の自分に、こんなに甘く澄んだお酒は作れない。

 腐りかけの過去の恋を原料に、発酵させるだけ発酵させた、おりだらけで苦く、そのくせアルコール度数だけは高い、出来損ないのワイン。

 せいぜいそんなものだ。あの頃の自分に作れたのは。

 
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