曖昧なパフューム

宝月なごみ

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再会と急接近

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 今や世界各地に店舗を持つ、日本発の自然派コスメブランド、ナチュール・デコレ。朱夏はその東京本社のオフィスに隣接する研究棟で、二年前に創設されたフレグランス開発チームのリーダーを務めている、三十歳のパフューマーだ。

 緩くうねるダークブラウンの髪にツンと尖った鼻、勝気に見られがちな猫目が特徴的な美人である。

 しかし、白衣に身を包み、淡々と研究や開発に没頭する彼女は、紛れもない理系女子。どことなく近寄りがたい雰囲気があり、ここ数年恋人はいない。

 もっとも、本人が恋愛はもう懲り懲りだと思っているので、研究室で毎日、およそ六百種類の天然香料を調合して嗅いでは、また調合する、その果てしない組み合わせの中から時々生まれる奇跡のような素晴らしい香りを探し当てるのが、今は生きがいだと思っているのだが。

「違う。もっとこう、幸せな気分になる感じなんです」

 三月のある平日。朱夏はひとりの男性社員を前に、熱心に語り掛けていた。

「幸せ、ですか。あの、もっと具体的な表現で言ってほしいんですけど」
「そうですね……花の香りをもう少し強くしてもいいのかもしれません。でも、華やかすぎてもダメ。春の野原みたいに、ふんわりした優しい香りにしたいんです」
「……はぁ。自信はありませんが、やってみます」

 朱夏のデスクの前から、男性社員が肩を落として去っていく。

 彼は、勤続年数でいえば朱夏より一年先輩なのだが、この研究室では朱夏の部下。そのことにいつもモヤモヤした不満を抱えている、駒門こまかどという社員だ。

 ハッキリ言って、彼には朱夏に指摘されたことの半分も理解できていなかった。

 新部署であるフレグランス開発チームに所属され、もうすぐ丸二年。彼なりに勉強し、日々試行錯誤しながら、香りというものについて勉強しているつもりだ。

 しかし、上司である朱夏は少々人間離れした嗅覚の持ち主で、他の社員なら気がつかないようなわずかな調合の違いで、簡単にボツを出す。

 パフューマ―としては素晴らしいのだろうが、その厳しさは彼をはじめ、六名いるチームメンバーの大多数から煙たがられていた。

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