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一章

1 絶望魔王のやり直し

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 魔王ゼイオンは絶望していた。

 ひょっとしたら誰か助けに来たりするのではないだろうか。

 我と共に勇者パーティと戦いどんな厳しい戦いであっても、たとえ苦しい死闘であっても、そして共に朽ち果てようとも駆けつけてくる仲間がいるのではないだろうか。

 もちろんその淡い期待は見事に裏切られている。魔王城にいるのは我の力にただ恐怖し力で付き従っている一般魔族兵のみ。そいつらも今は城の外で死んだフリをしているのは魔力探知で把握済みだ。

 そう、誰も助けになど来ないのだ。

 唯一信じていた魔王軍四天王でさえこのピンチに誰一人として来る気配がない。


 そして目の前には仲間に支えられながら幾度となく苦しい戦いを乗り越えてきた勇者。並ぶようにして厳つい剣を握る剣聖。後方にはさっきまでとんでもない魔法をぶっ放していた賢者といくら攻撃してもたちまち回復しやがる紅一点の美しい聖女。

 正直に言うと眩しくて真正面から見るのも辛い。背中を預けられる仲間がいるという羨ましさと妬ましさで我の心はどうにかなってしまいそうだ。


 魔族の世界は世知辛い。

 よかれと思って力を蓄え、魔族のために尽くしてきたつもりであったのだが……。

 改めて魔族がいい加減な種族なのだと思い知らされる。

 しかしながら、我に魔王を辞めさせるきっかけを与えてくれたことを今は感謝しようか。

 そう、我も仲間を信じていたわけでは無い。どちらかと言えばそうだろうなぁとは薄々感じていた。ひょっとしたら誰か一人ぐらいは来てくれるんじゃないかとか思ってはいない……。

 お前らがそのつもりなら我も気持ちよく裏切ってみせよう。どうせ誰も我のことなど何とも思っていないのだ。しばらく時間が経てばまた新しい魔王が出てきて、きっと同じ過ちを繰り返すのだろう。

 もううんざりだ……。でも、我はここで離脱させてもらう。


 さて、準備は整った。

 適当に戦った振りをして、よきタイミングで予定通りのセリフを吐けばいい。魔王渾身の演技を受けるがいい!


「くっ、勇者よ……我の負けだ。トドメをさすがいい」

 わざと魔剣ダーインスレイヴを飛ばされて武器は手元になし。魔力も底をついたかのような迫真の演技は我ながら見事というしかない。

「勇者様、気をつけてください」

「ああ、わかっている。最後まで気は抜かないよ。さあ、魔王ゼイオン観念しろ!」

 勇者の振るう聖剣が眩く光り輝くと、その聖なる魔力が纏われた剣は一気に攻撃力が上昇していく。最後の力を振り絞った攻撃とみて間違いない。

 これなら大丈夫だ。

「ぐわぁあぁぁあああぁあぁぁあぁぁあぁあぁぁ」



 ここで研究に研究を重ねた死の少し前に自らの魂を体から抜きさり、他の器へと移す魔法ダークネスアニマを発動。

 少しだけ残しておいた魔力をこの魔法陣発動のために使う。何年も練りにねりまくったこの魔法を勇者にも魔族にも絶対に見破られるわけにはいかない。

「ついに、ついに、魔王を倒したぞぉー!」

「こ、これでやっと帰れるのですね」

「勇者様、お見事でございます」

「帰りましょう。ルイーンズパレスへ」

 我の体が倒れるととともに奥の隠し部屋に巧妙に隠されていた魔法陣がグルグルと輝きながら始動していく。

 この隠し部屋には扉もなく、万が一に後で見つかったとしても発動後には魔法陣ごと消えるようにしているため、見つかったところで何の部屋かもわからないだろう。

 この魔法陣を勇者パーティに見られていたのなら、我にも様々な疑いを掛けられることが考えられたがそれもおそらく大丈夫。

 この戦いに全力を出し切り疲弊しまくっている勇者パーティにそんな余裕もなく。我を倒した余韻をただ仲間達で分かちあっている。

 ちょっと妬ましい。

「魂の移動を開始……」

 肉体から切り離された魂が魔法陣のなかで魔力の影響を受け座標を指定しておいた場所へと移動していく。これでようやくこの絶望的な生活から離脱できるのだ。

 移動を始めた魂は、王都近郊の小さな村。ここで生まれた子供の魂に記憶を持ったまま入る。

 我が調べたところ、この子供は残念ながら体が弱く長くは生きられない。魂はこの子が死を迎える少し前に記憶を蘇らせるように設定している。

 どちらにしろ、魔王の持っている記憶の全てをトレースするには、この小さな子供の脳では難しいだろう。この子の歳が十を越え、死ぬ間際となるタイミングで我の魂が全面に出るようにして入れ替わる。

 そこですぐに治癒魔法で回復し、様子を見ながらのんびりと生きていこうという算段だ。

 もう魔王なんてやりたくない。

 魔族は実力至上主義のため種族間での喧嘩が絶えない。戦っているうちに魔王にさせられてしまったが、もう二度とやるつもりはない。

 魔族はみんな自分勝手で、負け戦とわかれば逃げ出す者がほとんど。人間とは寿命が違うから強い世代と本気で戦う意味は無いのだ。

 適当に魔王を生贄にしておけば勇者パーティも去っていく。さすがに勇者といえどもこの広い大地、全ての魔族を残らず葬り去ることなど不可能。

 我は他の魔族のために殺されるだけの魔王だったのだ。まったく冗談じゃない! ちょっと強かったからって、そんな理由で特に仲も良くない奴らのために命を張るほどお人好しではない。

 いや実際にゼイオンは死んでることになるから、お人好しというのは間違いはないか。

 では何故魔族ではなく人の魂に移動することにしたか。

 別に人が好きなわけではないが、魂の移動先は魔王領ではなく人の住む場所にしたかった。魔族はある程度の年齢に達したら実力主義という名の殺し合いが始まる。もうあんな不毛な争いを繰り返したくないし、魔王が倒れたことでしばらくの間は人の住む地の方が平穏であろうと判断したのだ。



 そして、我がこの少年の体に入ってから数年、遂にその時がやってきた。


 今まさに死を迎えようとしている少年。流行病はやりやまいと栄養失調による衰弱死といったところか。想像以上に弱りきっていて笑える。これが死を前にした人の体か……。何と脆弱ぜいじゃくなのだろうか。

 とはいえ、この子が我の新しい身体になる。家には両親の姿もなく、隣には兄妹と思われるさらに小さな女の子が寝ている。

 残念ながらこの少女も命の灯火が消えようとしている。村は王都の近くだというのに、この二人は相当貧乏な暮らしをしていたようだ。

 これも何かの縁か。我の魂がこの少年のものと正式に入れ替わったのなら、この少女の命も助けてあげよう。

 この少年の願いは唯一の血縁者であるこの少女が幸せになることだった。おそらく自分の命が残り少ないこともわかっていたのだろう。

 村にある精霊の祠に毎夜訪れては妹の幸せだけを願っていた。早くに両親を亡くしたことで唯一の肉親である妹の心配だけをしていた。

 そういう記憶が残っている。

 自分が死んだらこの小さな妹はどうやって生きていくのだろうか。貧乏な暮らしでは貯蓄をすることもかなわなかった。せめて妹が自立する歳まで、この身体が持てばいいのだけど……。

 その願いは叶わず、十二歳になった時にその命は潰えてしまう。

「安心しろ少年。この体を使わせてもらう代わりに、その願いぐらいは叶えてやろう」

 少年の絶望も背負いながら、僕の新しい人生はようやくスタートした。
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