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Ⅳ 眠る魔女
iv 魔女に恋した男(下)
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「全く。若いというのはいろいろと不憫だね」
愉快そうに二人の話に割って入ってきたのは、どこか妖しい色香をまとった初老の紳士だった。
生え際に走る白髪や、その目尻の皺には年相応のものを感じるが、その艶めいた視線はとても初老とは呼びづらい。
いとも簡単に二人の緊張を断ち切った彼の低い声に、二人が一瞬恥ずかし気に視線を交わす。
そんな二人を見くらべながら、初老紳士がその顔に苦笑いを浮かべた。
「な~んて言えるほど、カルロス君、君はもう若くないはずなんだがなぁ。まあ僕のように枯れた老人には甘酸っぱすぎて手に終えない話題だねぇ」
初老紳士の口調はからかうようでもあり、また嬉しそうでもある。
それを聞いたアルが胸の内で嘆息する。
全くもって食えない御仁だ。
何の縁だがこの叔父には、カルロスともども幼い頃からよく面倒を見てもらってはいる。
だが、未だにアルにはこの叔父、トレルダル侯爵の考えていることがほとんど読めない。
若かりし頃、カルロスとともに城内でいたずらをしては、なぜか必ずこの叔父に最初に捕まえられた。
が、捕まえたからといって二人を叱る訳でもはない。ただ、成り行きのまま連れまわされて、いつも色々と彼の手伝いをさせられるのである。
一応王弟という立場のはずなのだが、執政の席では見かけたことがない。
誰にでも大変気安く、カルロスに至ってはまだハナタレ小僧の時分に、彼自身から無礼講の許しを押し付けられていた。
だが、年相応の常識が備わったカルロスは、流石に王弟相手にアルとのような態度はとれないのだろう。
歩み寄る侯爵に席を譲ろうと、カルロスがさっと立ち上がる。
と、トレルダルがそれを手で制し、二人の間の席に自分で勝手に腰かけた。
実は今日、この会食を持ちかけてきたのはトレルダルである。
そのくせ今まで当たり障りのないことばかり話して、アルとカルロスのやり取りにもここまで全く口出しをしてこなかった。
さて一体この叔父はここでなにを言い出すつもりやら。
そう思いつつ、アルも口調を改めて言い返す。
「何をおっしゃられます。叔父上も、まだまだご健勝のご様子。噂のアズレイア嬢にももう淫紋紙の注文を出されたとか。カルロスからもそちらの家令が尋ねてきたのを見かけたと伺いましたよ」
「そりゃあ、僕は君たちとは違って欲望に忠実だからね」
鷹揚にそう受け答えるトレルダルの目尻には、いくつもの笑い皺ができる。
それがなんとも愛らしく、年相応の渋みのある顔を引きたてる。
だが同時にその目元に漂う色気の濃さに、二人がそろって舌を巻いた。
そんな二人の反応に苦笑いを深めたトレルダルが、芝居がかった調子で二人を見比べる。
「まあ二人とも、もう少しよく周りを見てみたまえ。君らとは違い、世の中には自分の欲求に素直な若者が大勢いるのだぞ……レイモンドにしろ、うちの馬鹿孫にしろ」
老獪な王弟のからかいを笑って受け流そうとしていたカルロスだったが、最後に上げられた名前を聞いて思わず隠し切れぬ怒気を漏らした。
それに気づいたトレルダルが、またからかうようにカルロスに言う。
「おや、今のは気に入らなかったようだねカルロス君」
今自分が晒した隙きを指摘されたカルロスが、恥じるようにスッと薄く顔を赤らめた。
この歳にして、まあなんと初々しいことよ。
そんなカルロスの反応に少々の呆れと羨望をにじませたトレルダルは、スッと空になった自分の杯をカルロスに差し出してみせる。
一瞬戸惑ったカルロスは、それでもすぐに席を立ち、壁際のキャビネットから彼が今飲んでいた酒を出してお行儀よく注ぎ足した。
「君はそんな恰好ばかりつけている場合かな?」
頬杖を突きつつその様子を見ていたトレルダルが、カルロスから杯を受け取って肩をすくめる。
「もっと貪欲になるべきじゃないのかい。なんせ、君のお相手は今でも学院に伝説を残す、かの有名な『塔の魔女』なんだからね」
「何を……考えてらっしゃる」
突然持ち出された彼女を意味するその別称に、カルロスが警戒を増して問い返す。
いい顔だ。これでやっと合格といったところか。
鋭い視線で見返す彼に、トレルダルが満足そうに微笑んだ。
「女性も仕事も、いつまでも待ってはくれないと言うことだよ。あまり頑なすぎると、大切なタイミングを逃すことになる」
そう言って手の中のグラスを目前に掲げつつ、トレルダルがカルロスに気障なウインクをよこす。
途端、ハッとしてトレルダルを見たカルロスが、弾かれたようにその場で二人に短い立礼をした。
「大変失礼とは存じますが、本日はこれにて先に帰らせていただきます」
彼がわざわざ俺に酒まで注がせたのに、なんで俺はもっと早く気づかなかった!
トレルダルの横にいるはずの、あの腰ぎんちゃくが今日に限って一緒にいないことに──。
焦りと不安に胸を詰まらせたカルロスが、必死の形相で塔へ向かって走っていく。
その後ろ姿を楽しげに見送る叔父を見て大まかな状況を悟ったアルが、親友の不運を想って天を仰いだ。
愉快そうに二人の話に割って入ってきたのは、どこか妖しい色香をまとった初老の紳士だった。
生え際に走る白髪や、その目尻の皺には年相応のものを感じるが、その艶めいた視線はとても初老とは呼びづらい。
いとも簡単に二人の緊張を断ち切った彼の低い声に、二人が一瞬恥ずかし気に視線を交わす。
そんな二人を見くらべながら、初老紳士がその顔に苦笑いを浮かべた。
「な~んて言えるほど、カルロス君、君はもう若くないはずなんだがなぁ。まあ僕のように枯れた老人には甘酸っぱすぎて手に終えない話題だねぇ」
初老紳士の口調はからかうようでもあり、また嬉しそうでもある。
それを聞いたアルが胸の内で嘆息する。
全くもって食えない御仁だ。
何の縁だがこの叔父には、カルロスともども幼い頃からよく面倒を見てもらってはいる。
だが、未だにアルにはこの叔父、トレルダル侯爵の考えていることがほとんど読めない。
若かりし頃、カルロスとともに城内でいたずらをしては、なぜか必ずこの叔父に最初に捕まえられた。
が、捕まえたからといって二人を叱る訳でもはない。ただ、成り行きのまま連れまわされて、いつも色々と彼の手伝いをさせられるのである。
一応王弟という立場のはずなのだが、執政の席では見かけたことがない。
誰にでも大変気安く、カルロスに至ってはまだハナタレ小僧の時分に、彼自身から無礼講の許しを押し付けられていた。
だが、年相応の常識が備わったカルロスは、流石に王弟相手にアルとのような態度はとれないのだろう。
歩み寄る侯爵に席を譲ろうと、カルロスがさっと立ち上がる。
と、トレルダルがそれを手で制し、二人の間の席に自分で勝手に腰かけた。
実は今日、この会食を持ちかけてきたのはトレルダルである。
そのくせ今まで当たり障りのないことばかり話して、アルとカルロスのやり取りにもここまで全く口出しをしてこなかった。
さて一体この叔父はここでなにを言い出すつもりやら。
そう思いつつ、アルも口調を改めて言い返す。
「何をおっしゃられます。叔父上も、まだまだご健勝のご様子。噂のアズレイア嬢にももう淫紋紙の注文を出されたとか。カルロスからもそちらの家令が尋ねてきたのを見かけたと伺いましたよ」
「そりゃあ、僕は君たちとは違って欲望に忠実だからね」
鷹揚にそう受け答えるトレルダルの目尻には、いくつもの笑い皺ができる。
それがなんとも愛らしく、年相応の渋みのある顔を引きたてる。
だが同時にその目元に漂う色気の濃さに、二人がそろって舌を巻いた。
そんな二人の反応に苦笑いを深めたトレルダルが、芝居がかった調子で二人を見比べる。
「まあ二人とも、もう少しよく周りを見てみたまえ。君らとは違い、世の中には自分の欲求に素直な若者が大勢いるのだぞ……レイモンドにしろ、うちの馬鹿孫にしろ」
老獪な王弟のからかいを笑って受け流そうとしていたカルロスだったが、最後に上げられた名前を聞いて思わず隠し切れぬ怒気を漏らした。
それに気づいたトレルダルが、またからかうようにカルロスに言う。
「おや、今のは気に入らなかったようだねカルロス君」
今自分が晒した隙きを指摘されたカルロスが、恥じるようにスッと薄く顔を赤らめた。
この歳にして、まあなんと初々しいことよ。
そんなカルロスの反応に少々の呆れと羨望をにじませたトレルダルは、スッと空になった自分の杯をカルロスに差し出してみせる。
一瞬戸惑ったカルロスは、それでもすぐに席を立ち、壁際のキャビネットから彼が今飲んでいた酒を出してお行儀よく注ぎ足した。
「君はそんな恰好ばかりつけている場合かな?」
頬杖を突きつつその様子を見ていたトレルダルが、カルロスから杯を受け取って肩をすくめる。
「もっと貪欲になるべきじゃないのかい。なんせ、君のお相手は今でも学院に伝説を残す、かの有名な『塔の魔女』なんだからね」
「何を……考えてらっしゃる」
突然持ち出された彼女を意味するその別称に、カルロスが警戒を増して問い返す。
いい顔だ。これでやっと合格といったところか。
鋭い視線で見返す彼に、トレルダルが満足そうに微笑んだ。
「女性も仕事も、いつまでも待ってはくれないと言うことだよ。あまり頑なすぎると、大切なタイミングを逃すことになる」
そう言って手の中のグラスを目前に掲げつつ、トレルダルがカルロスに気障なウインクをよこす。
途端、ハッとしてトレルダルを見たカルロスが、弾かれたようにその場で二人に短い立礼をした。
「大変失礼とは存じますが、本日はこれにて先に帰らせていただきます」
彼がわざわざ俺に酒まで注がせたのに、なんで俺はもっと早く気づかなかった!
トレルダルの横にいるはずの、あの腰ぎんちゃくが今日に限って一緒にいないことに──。
焦りと不安に胸を詰まらせたカルロスが、必死の形相で塔へ向かって走っていく。
その後ろ姿を楽しげに見送る叔父を見て大まかな状況を悟ったアルが、親友の不運を想って天を仰いだ。
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