上 下
12 / 47
Ⅲ 過去の魔女

iii 蜜月

しおりを挟む
 どう考えても、高位貴族のレイモンドと自分では、不釣り合いなのは明らかだ。
 たとえ口約束があったとしても、体を重ねてしまった今、自分はこれで忘れ去られるのでは……。


 レイモンドと正式に付き合うようになり、敏いアズレイアがそんな不安を抱くのは当然のことだった。
 だが、その不安は日々を重ねるうちに薄れていく。

 契りを交わした夜を境に、レイモンドはアズレイアを社交界へ連れ出し、正式なパートナーとして扱うようになった。

 それは、それまでアズレイアが一度も経験したことのない、煌びやかな世界。

 数々のお茶会、ガーデン・パーティー、舞踏会、記念式典、講演会……。
 学院内の催しとは言え、彼が招かれた社交の場には、必ずアズレイアを伴って二人で出席する。
 しかも、公の場で夫が妻にするように、常にアズレイアを隣において優先してくれた。

 一転、二人きりの夜には常にアズレイアを求め、情熱に燃える瞳で組み敷いてくる。

 止むことない愛の言葉と欲情の熱。

 重ねる体は、まるでお互いを永遠の伴侶と認めたかのようにぴったりとくっついて。


「言っただろう? 手続きなんて関係ない。君はもう僕の妻だよ」


 甘くそう囁いてはアズレイアに誓いのキスを繰り返す。
 日々重ねられるレイモンドの愛の言葉に、いつしかアズレイアは胸の中の不安を忘れていった。


   ☆   ☆   ☆


「これ……面白いね」


 年も明け、早咲きのスイセンが蕾を膨らませはじめる頃。
 アズレイアの部屋で目覚めたレイモンドが、机の上に放置されていた紙束を見つけた。


「非常に興味深い」


 ボソリとそう言った彼が、半覚醒でベッドに横たわるアズレイアの元に紙束を持ったまま戻ってくる。
 眠気から目元をこすっていたアズレイアが、隣に座ったレイモンドの手に握られたそれを見て、焦ったように手を伸ばした。

 前夜、レイモンドの激しい愛責に気をやったアズレイアは、夜中に一人、目が覚めてしまった。
 レイモンドは隣で静かな寝息を立てている。
 だがアズレイアは一度目が覚めてしまうとなかなか寝付けない。
 結果、レイモンドを起こさないように静かにベッドから抜け出したアズレイアは、一人机に向かって遅れ気味になっていた論文作業を進めたのだ。
 きっとそのまま机の上に書きかけの論文を置き忘れて寝てしまったのだろう。

 いくらレイモンドといえども、同じ研究者。
 見られて困るというより、まだ完成もしていない論文を見られるのは非常に恥ずかしい。

 焦るアズレイアの手を笑いながら避けたレイモンドは、片手に論文を持ったままアズレイアを組み敷いて、その首筋に熱いキスを落とす。


「そんな恥ずかしがらなくていいよ。僕の論文はもう大方まとまってしまったから、少し暇なんだ」


 首元でクスクス笑いながら、悪戯っぽく笑ってアズレイアを見る。


「それに賢いアズレイア先生の書きかけの論文なんて、そうそう見れる機会ないだろうし」

 茶化すように言うレイモンドを睨みつけるアズレイア。
 そんな彼女を見返して、ベッドヘッドに寄りかかるように座りなおしたレイモンドが眉尻を落とす。


「ごめんごめん、今のは冗談。でも正直、気になってはいたんだよ。君の手元にはきっと研究室ごとの論文傾向の情報は回ってきてないんじゃないかってね」


 そんなもの、無論アズレイアには回って来ない。
 農村出のアズレイアに声をかけてくる変わり者は、嫌味の止まらないリズとレイモンドくらいのものなのだ。
 ふと最後に見たリズの不機嫌な顔を思い出して眉をひそめてしまう。

 リズはアズレイアの元友人だ。
 同じ研究室で、唯一アズレイアにも声をかけてくる奇特な者だったのだが。
 諸事情により、去年の夏ごろからアズレイアは彼女から敵認定を受けてしまっていた。
 結果、今もアズレイアが研究室にいづらくなっている。


 どうせもう後は論文提出だけだからいいけれど。


 難しい顔で考えはじめたアズレイアをレイモンドが覗き込む。


「研究室にはそれぞれクセがあるから、書き方ひとつでも評価が変わるんだ」


 論文を手の中できちんと整え直し、アズレイアを見下ろして心配そうに言うレイモンド。
 その顔は、二人きりの甘い時間に見せるものとは違う、いち研究者の頼りがいのあるそれに変わっていた。


「ねえ、僕がチェックしてあげようか。モントレー教授の研究室には僕も席を置いてるから」


 レイモンドがモントレー教授の研究室に名前を置いているのは前にも聞いた。
 だが、研究室で彼を見かけたことは一度もない。
 彼は普段、別の教授の研究室を使っているらしい。
 それなのに、彼の手元にはそんな資料が届いているという。


 一体、いつの間にみんなそんな情報を交換していたのだろう。


 学院にきて友人が出来ないことには慣れていた。
 それでも、ここまで自分だけ仲間外れにされていると流石に少し落ち込んでしまう。


「資料を渡してもいいけど、僕はもう全部目を通してあるし。……それに君がどんな研究をしてるか、興味もある」


 そう語るレイモンドの眼には純粋な興味心が見てとれた。

 自分の研究は決して派手なものではない。
 そんな研究にまで興味を持ってくれる彼に、アズレイアも少し嬉しくなる。
 その一方で、一抹の不安がアズレイアの胸をよぎった。


 でもこれは不正になるのでは?


 本来、共同研究を前もって申請しない限り、最終学年の研究論文は他人の手を借りてはいけない。
 この場合、レイモンドに添削してもらうのは許されるのだろうか?

 そんな不安が顔に出ていたのだろう。レイモンドが柔らかく微笑んで、アズレイアの頭を撫で、安心させるように髪の間に指を滑らせていく。


「大丈夫、君の研究内容には触れないよ。僕はこれを読んで君が書き方を変えたほうがいい場所を指摘するだけ」


 そう言って片目を瞑ってみせるレイモンドの快活な様子に、アズレイアはもう何の疑問も抱かずに論文を預けた。


 それからも、レイモンドと過ごす日々はしばらく続く。
 だが今思えば、この頃からレイモンドの口数が減った。

 そして学期末が近づき、お互い、論文の追い込みと提出準備に忙しくて会えない日々が始まる。
 それでもまだ、アズレイアの中に不安はなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【R18】十六歳の誕生日、許嫁のハイスペお兄さんを私から解放します。

どん丸
恋愛
菖蒲(あやめ)にはイケメンで優しくて、将来を確約されている年上のかっこいい許嫁がいる。一方菖蒲は特別なことは何もないごく普通の高校生。許嫁に恋をしてしまった菖蒲は、許嫁の為に、十六歳の誕生日に彼を自分から解放することを決める。 婚約破棄ならぬ許嫁解消。 外面爽やか内面激重お兄さんのヤンデレっぷりを知らないヒロインが地雷原の上をタップダンスする話です。 ※成人男性が未成年女性を無理矢理手込めにします。 R18はマーク付きのみ。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】 王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。 しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。 「君は俺と結婚したんだ」 「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」 目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。 どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

処理中です...