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第8章 ナンシー 

53 教会の中

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 俺は必要ないって言ったのに結局街の人間の格好をしたアルディが教会の壁際まで一緒にきてくれた。
 教会の敷地は塀の上まで結界があるから侵入は無理だとシモンは心配していたが、前回の例があったのでここの結界が俺に効かない事は既に実証済みだ。だったら何も表から入る必要もない。
 俺は街の外壁に近い部分の壁際までアルディと一緒に闇に紛れて近づき、アルディの肩を借りて塀の上に飛び上がった。

「ネロ君、本当に危なくなったらちゃんと打ち合わせの合図を送ってくださいよ」
「分かってる」

 とはいえこいつらに危険を冒してまで助けに来てもらうような事態にするつもりはない。
 塀の向こう側は林になっていた。それなりに高い木が密集していて地上が見えない。逆に枝がいくつも張り出してるから降りるのは楽だった。
 これなら帰りもここから上がれそうだ。
 林の中には月明りも射し込まず、普通の人間には真っ暗なのだろうが俺の猫の目には問題なく全て見えている。密集した木々の間は下草も生えておらず逆に歩きやすかった。
 しばらくすると突然林が終わりのどかな田園風景にぶち当たった。何か懐かしい感じがするのは畑が全て小ぶりで日本の田舎に似ているからだろうか?
 最初はそう思ったがすぐに考え直す。

 これ、あぜ道じゃねえか!

 驚いたことにそこには米を収穫し水を抜かれた田んぼが続いていた。その先にはテンサイの植えられた畑も続いている。道の先には正に茅葺屋根の農家が数件集まって立っていてその向こうには時代劇に出てきそうな武家屋敷のような建物まである。
 俺は足音を忍ばせて一軒の農家に近づいていった。

「……だからなんでこれを全部教会の奴らに渡さなきゃいけないんだよっ!」
「仕方ないだろ、今年は街の年貢が少なかったそうだ」
「そんな事言ったってこれ全部渡しちまったら俺達どうやって食ってくんだ?」
「まだ芋があるだろ」
「芋って、そんなもんばっか食えるかよ」
「贅沢言うな。食いもんがあるだけましだ」
「ちくしょう、教会の奴ら毎日白い米食ってんだぞ? あいつら自分じゃ何にもしない癖に!」
「いい加減にしろ、口が過ぎる。誰かに聞かれたらどうする!」

 中から聞こえてきたのはどうやら親子の会話の様だ。
 教会の内部にも関わらずやけに景気の悪いはなしだな。
 俺は軽く屋根に飛び上がって茅葺屋根の真ん中あたりに開いていた煙抜きの穴からちょいと頭を出して中を覗き込んだ。下では正に純日本風の囲炉裏を囲んで父親と息子、それにじいさんらしき3人が薄暗い中で話していた。
 お寺で使われてた作務衣のような格好だがどいつもボロボロで当て布だらけだ。

「もうおやめ。ヒロシをせめても仕方なかろう」
「そういうが親父。こいつをしっかり躾けとかないとまたこの前みたいなことをやりかねん。こいつだけが罰せられるならともかく、この組のもん全員に迷惑がかかる」
「そうはいうが、お前だって昔は大して変わらなかったじゃろう。若いもんは皆こんなもんじゃ」
「親父はぬるすぎる」
「ほれ、いいからもう寝ろ、火が勿体ないわい」

 囲炉裏から離れて3人がすぐ横の板間に布団を敷いている。
 布団だ!
 ここは一体どうなってるんだ?
 これはまるで江戸時代かなんかの日本みたいだ。
 一つだけ違うのは男たちの髪の色が日本人にしては薄すぎる。
 爺さんと親父さんが布団にもぐりこんだのに一人息子だけが外に出ていった。

「早くもどれよ」

 布団の中から親父さんが小さく声を掛けるのが聞こえた。
 屋根から外に回って坊主が出て行った方へ屋根を伝っていくと厠らしき小さな掘立小屋が見えた。そこに行くのかと思えばすぐ横の畑で何やら土を掘り返してる。
 俺は足音を立てずに屋根から飛び降りその坊主の所に忍び寄った。

「ミャーオン」
「おわっ?」

 後ろから俺がスルリとすり寄ると坊主が思わずといった体で声を上げてひっくり返った。

「なんだ猫か、脅かすなよ」

 俺は猫の真似で坊主の足を掠りながら今坊主が掘っていた穴を覗いた。中には瓶が入っていて開いた蓋の中にまだもみ殻に包まれた米らしきものが見えた。

「おい、それは猫の食うもんじゃないぞ」

 そう言って尻尾を引っ張られる。流石に声が出そうになるのを無理やり押さえて坊主の引っ張った手を軽く爪でつついた。

「痛て! こら、爪を立てるなよ」

 そういいつつ、実は軽く撫で始める坊主はどうやら猫が嫌いなわけでは無いようだった。

「これは俺たちの冬の食料だ。親父たちに隠れて俺が毎日少しずつここに溜めてるんだ。掘り返すんじゃねえぞ。って猫にいっても分かんねえよな」
「いや、分かるぞ」
「おわ!?」

 今度こそ声を控えられずに坊主が飛び上がった。

「脅かして済まねえな。俺はネロ、猫だ」
「嘘つけ、なんで猫が喋るんだよ」

 腰を抜かしてひっくり返ってる癖に強気に言い返してきた。
 どうするか一瞬迷ったがここは嘘をついておくことにした。

「なぜなら俺は猫神だからだ。敬えよ」
「まじかよ! 猫の神様って本当にいたのか」

 あ、マズい、なんかこいつらの知ってる伝承に当てはまっちまったみたいだ。これはボロが出ない様に適当にあわせなきゃなんねえ。面倒くせえな。

「俺の事を知ってんのか?」

 俺はまずはこの坊主に自分で説明させられないかやってみる事にした。

「もちろんだよ。猫の神様は気まぐれで天から降ってきて天に帰られるんだ。その時に俺たちの願いを一つ叶えてくれるって」

 ずいぶん適当な神様だな。黒猫なのにあっちとは逆に幸運の神様みたいだな。まあまねき猫みたいなもんか?
 俺は適当に話を合わせてやる。 

「まあ、それが俺だ。だが願いをかなえる前に俺はお前らの事を聞いとかなきゃならねえ。それによってどんな願いをかなえるか考えるからな」
「俺の姉ちゃんと母ちゃんを救ってくれ」

 俺がそういってるのに坊主はジッと俺の目を見つめて自分の願いを熱く語った。

「……お前、ひとの話を聞かないって言われるだろ」
「姉ちゃんと母ちゃん、今年も返って来れないらしいんだ」

 俺はため息をついた。こいつ、まるっきり聞く気が無いようだ。諦めてこいつの話を先に聞いてやることにした。

「それで? お前の姉ちゃんと母ちゃんはどこにいるんだ?」
「庄屋の屋敷だよ。あそこで花嫁修業させられてる」
「花嫁修業って、お前の母ちゃん父ちゃんと結婚してるだろう?」
「はあ? 花嫁修業っていったら神様の花嫁になる為の修行に決まってんじゃん」

 俺を胡散臭そうに見ながら坊主が続けた。

「母ちゃんも姉ちゃんも俺が3歳になった途端花嫁に選ばれて連れてかれちまった。本当なら神様が現れない限り年末には3日間里帰りできるはずなのに去年も一昨年も返って来れなかった」

 坊主は手を握りしめながらそういって顔を伏せる。

「父ちゃんは何て言ってんだ?」
「庄屋の家で暮らす限り食い物に困る事もないからその方が母ちゃんと姉ちゃんにとっては幸せだろうって」
「お前はどう思う?」
「母ちゃんも姉ちゃんもこの前里帰りした時滅茶苦茶泣いてた。もう庄屋の屋敷には戻りたくないって」

 そういって小さく唇を噛んで我慢しきれないように先を続けた。

「姉ちゃん、中央のお偉いさんに神様の使いの嫁として出されるかもしれねえって言ってた。そしたらもう戻ってこれないって」

 どうも胡散臭い。

「花嫁に連れてかれたのはお前の母ちゃんと姉ちゃんだけなのか?」

 坊主が首を横に振る。

「この組で残ってるのは隣の60超えたばあちゃんと俺より年下の女の子が2人だけだ。女子は6歳を超えたら花嫁候補に連れてかれる。姉ちゃんもここを離れた時は6歳だったんだ。今頃13歳になったはずだ」

 ってことはこの坊主が10歳か。

「以前は連れてかれるのは黒髪の女の子だけだったし、13歳を超えるとみんな返してもらえてたんだ。だけど最近は誰も返してもらえないどころか子供たちの面倒を見る人手がいるって言って母ちゃんみたいに女手はみんな連れてかれちまう」
「お前らはなんで教会に訴えないんだ?」
「教会の奴らが俺らの言葉なんて聞くわけないだろ。あいつら、神の子以外は虫けらかなんかだと思ってやがるんだから」
「神の子?」
「猫の神様、神様の癖に何にも知らねえんだな」
「だからこうして降ってきて話を聞いて願いをかなえてやるんだろう」
「あ、そうか。そうだよな」

 俺のごまかしはなんとか上手く通じてるようだ。

「神の子ってのは教会の子供だよ。みんな真っ黒な髪をしてるからすぐわかる。小さいうちは庄屋の家で育てられて、その内みんな教会に引き取られるんだ」
「なんでそれが神の子なんだ?」
「だってあいつら神罰をあたえられるから」

 坊主がそう言う声は気丈だが肩が小さく震えたのが見えた。

「教会の奴らは俺らの収穫した食い物を取り上げるだけ取りあげて何もくれない。くれるのは神罰だけだ」
「神罰ってのは?」
「教会が決めた掟に従わねえと神罰が落ちる。雷が降ってくるんだ。やっちまった内容によっては雷が直撃して死んじまう」

 どう考えても電撃系の魔術だよな。そういえばこの中で魔法を使うような道具は見てないな。あんな貧乏な治療院でさえあったライトもここにはない。
 もしかしてこいつら、教会以外の魔術を見たことがないのか?

「庄屋の連中は教会にべったりだ。俺たちの年貢を集めてそれを引き渡す代わりに色々優遇してもらってる。女たちはみんなあそこに連れてかれて教会の連中のナグサミモノになってるて酔っぱらった時に父ちゃんたちが言ってた」

 こいつ、意味は分かってないんだろうがそれでもそれが決していい事じゃないのは感じてるんだろうな。
 なんかここに来た目的とはかなりかけ離れちまったんだがこいつをこのままにも出来そうにない。
 まあ、どのみち貧民街のガキ共を助け出す予定だったんだ、ちょっとくらい増えても変わりないだろう。

「そんなに母ちゃんと姉ちゃんを救い出したいか?」
「うん」
「じゃあ協力しろ。俺はもっとここの事が知りたい。今すぐその庄屋の家と神の子とかいう奴らが見てみたい。それから教会とその裏の神殿だ」

 シモンが言うには教会の裏には宝玉を収める神殿があるという。あゆみの描写から子供たちが囚われているのもそこだろうとシモンが言っていた。

「今から?」
「ああ。俺は今夜中に一旦帰らなきゃならない」
「え? 願いを叶えてくれねえのかよ?」

 俺の言葉に坊主がキッとこっちを睨む。

「安心しろ、絶対戻ってくる」
「本当だな? 約束だぞ」
「ああ。俺は神様だからな。嘘はつかねえ」

 そう言って坊主の手に自分の猫の手を乗せた。

「じゃあついて来てよ」

 俺の猫の手をしばらくジッと見ていた坊主はのっそりと立ち上がって歩きだした。
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