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第8章 ナンシー
9 晩餐
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「黒猫君、凄かったね。その制服良く似合ってるよ」
式が終わって皆が三々五々に部屋を出ていく中、あゆみがもう一人背の高い兵士と連れ立って俺の所に来た。あゆみがなんだか褒めてくれてるようだが、こっちの方が声が出ない。こいつが化粧してるのなんてあの日電車の中で見た時以来だ。髪も珍しく整えられて、胸を強調するシックな真紅のドレスが美しい。見とれちまうが言葉が出てこない。
「ネロ君、奥様のドレス姿に惚れ直してるところですか?」
「ば、ちが、いや、違くなくて……痛てぇ!」
慌ててまともに返事が出来ない俺をキールが後ろから小突く。
「おい、新人メイジャー、お前は今日は酒飲むなよ。この前の前科があるからな」
「俺だってもうあんな馬鹿はやらねぇよ。それより俺たちもその食堂に行くのか?」
「いや、お前らはボロが出るから無理だ。ネロは明日から新人練習に出て少しずつ隊の奴らに慣れていけばいい。今日の所は俺達だけで別室で取るぞ」
そう言っているそばから一人の兵士がキールの元に駆け寄って、準備が整ったと言って俺たちを引き連れて個室へと案内してくれた。
「それで明日の予定だがな」
それぞれ席に着いて暫くすると白い制服を着た兵士たちが俺たちの食事を運び始める。部屋はこじんまりとしていて窓がない。キールを一番奥にアルディ俺そしてあゆみの四人だけでテーブルに着いている。
決して豪華な夕食と言うわけでは無いが、肉と野菜、パンにスープとまるでコースの様なメニューが一人一人に供される様な夕食にはこちらに来て一度もお目にかかっていなかった。あゆみも俺も二人して喉を鳴らして供された夕飯に口をつけた。
手に持った銅製のゴブレットに入ったワインを揺らしながらキールが言葉を続ける。
「悪いが俺は暫くここの中央出張政府とのやり取りが残ってる。少なくとも明日明後日は二人で何とかしててくれ。あゆみ、必要ならヴィクも連れて行くといい」
「はい、でもヴィクさんもお忙しいでしょうから黒猫君と二人だけでも大丈夫だと思いますよ」
「ああ。明日は市場調査と街の様子を見てこようと思ってる。どうせあゆみを抱えて歩き回るだろうから俺達二人だけでも大丈夫だ」
俺の答えをなんかアルディとキールがニヤニヤしながら見てやがる。
「そう言えばキールさん、今日もう一人の副隊長さんはいらっしゃいませんでしたね。ここをお任せされてるって前に言ってらした」
「それなあ。それが俺が言ってたバカだ。あいつ、俺がいない間に捕まったらしい」
「え? 捕まったって誰にですか!?」
「領主の領城警備隊だ。今日ここに帰り着いて最初に頭を抱えたのがそれだ。本来俺たちの代わりに隊の面倒を見ているはずのあいつが一人ここの領主の所の牢に繋がれてるらしい」
「そんな、なんでそんな事に?」
「……どこぞの貴族の令嬢に大変失礼な夜這いを掛けたらしい。現行犯で捕まったそうだ」
「「はぁぁあ???」」
あゆみと一緒に声を上げちまった。
「そんなヤツが副隊長で本当に大丈夫だったのか?」
俺の当然の疑問にキールが困り顔で返す。
「あのバカは非常に有能なんだよ。女にだらしないのさえなければ最高なんだがな。他の街で羽目を外せない様にアルディを連れて行ったのに結局地元で問題起こしてたんじゃ意味なかったな」
「兄がご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません」
「え? アルディさんのお兄さんなんですか?」
「って事はこの服の持ち主か?」
俺たちの質問にアルディが少し困った顔で答える。
「はい、その服を着るべきだった兄がもう一人の副隊長です」
「まあ、それもあって領主の所にも顔を出してこなけりゃならない」
キールさんが頭を振ってるけどそれってどうにかなるものなのだろうか?
「キール、俺たちは自分たちで動くからいいが、悪いがここの地理が分かる地図みたいなもんがあったら貸してくれ」
「ああ、新兵用の物があったろうアルディ」
「はい。ネロ君に後で写して差し上げますよ」
「アルディも明日は忙しいのか?」
「はい、実はどうも中央の様子が怪しい様なのでその辺を聞き込んで纏めておきたいんですよ」
「ああ、今日聞いただけでも既に中央政府が政府として残っていない様な話が出回ってると聞いた。他にも中央が食物不足でここの麦を狙ってるとかな」
キールは冗談めかして話してるが目が笑っていない。街の外の様子を見てもこれは結構またヤバい所に来ちまったのだろうか。
「じゃあ俺も明日街で少し聞いてみる」
「そうしてくれ」
そのまま食事も終わてしまうと後は部屋に帰るだけだ。あゆみを抱えたはいいが、毛織のスカートは結構重くて上手く持たないと引きずってしまう。それでも何とか部屋にたどり着いたころには結構疲れ果てていた。あゆみをベッドに乗せて着替えるために自分の服を持って部屋を出ようとするとあゆみに引き留められる。
「黒猫君、申し訳ないけどこれ私一人じゃ絶対脱げないの。ちょっと助けて」
それはいくらなんでも無防備に過ぎるだろうが!
文句を言ってやろうかと思うが、見れば確かにドレスの後ろは小さなボタンがびっちりと付いていた。俺はため息を付いてベッドの上で俺に背を向けて腰かけたあゆみの前に寄ってボタンを外し始めた。
「このドレスはキールから貰った奴か?」
「うん、ヴィクさん曰くこれでも日常使いらしいよ。普段私が執務するにはこれぐらい着てないと駄目みたい。そっちにある少し薄手の方が外出用だって」
このボタン、小さくて外すのが大変だ。
「よくこんなの自分ひとりで着れたな」
「え? ああ、ヴィクさんが手伝ってくれたから」
驚いて俺の手が止まった。
「おま、あいつに手伝わせたのか?」
「あ、黒猫君もヴィクさん男だと思ったでしょ」
「へ?」
「ヴィクさん女性だよ。ヴィクトリアさんの略だって」
「ああ、ヴィッキーじゃなくてヴィクなんだな」
「そう。ねえ、いつまで掛かってるの? 大丈夫?」
そんな事言ったってこんな小さなボタンがこう沢山あったんじゃ時間もかかる。しかもあゆみの身体が近くてやりにくい。それでも5分も経った頃にはやっと全て外し切った。
「あとね、悪いんだけどこっちの袖もお願いします。左は自分で外せたけど右は片手じゃ無理みたい」
向き直って差し出された手を見ると確かに袖口がひじの辺りまでボタンになっていた。
誰だこんな面倒くさいもん作った奴は!
こうやってると化粧したあゆみの顔が凄く近くてあゆみが時々こちらを見てくるのが感じられてやりづらい。
「ねえ、ちょっとまって。今まで気づかなかったけど黒猫君、目が金色だよ!」
「はぁ? そんな馬鹿な」
俺がやっとボタンを外し切った途端あゆみの上げた言葉に俺は驚いて鏡を探す。そんな俺を無理やりベッドに引っ張ってあゆみが続けた。
「いいからここ座って。動かないで」
そう言ったあゆみがまるで俺の頭を人形の様に抱えて光源に向けて揺らす。
こいつは。あれだけ言ったのに何でもう少し警戒しねぇんだ!
「やっぱり。普段は黒く見えるんだけど、暗い所でちょっとだけ明かりが入ると金色に光るんだ」
「……それで。それがわかったお前は俺の頭を一体全体どうする気だ!?」
「あ、ご、ごめん、ごめん。首痛かった?」
そう言う問題じゃない。つくづく思うけど、こいつやっぱり女としての情緒の様な何か肝心な物がどこか完全に欠如してる様だ。あゆみの腕から解放された俺は一人ため息を噛み殺した。
「じゃあ着替えるからあっち向いててね」
そう言って俺が出ていく間もなく窓の方を向いて着替え始めてしまう。俺も仕方なく扉の方を向いて手に持っていた服に着替え始めた。
結局そのままそれぞれ違う方を向いてお互い着替えを終えてベッドに座る。
そう、何故か普通にベッドに座ってしまった。
「もういいからそっちで寝てよ黒猫君」
俺が慌てて立ち上がろうとするとあゆみがベッドの反対側からそう言って疲れた様子でベッドに寝転んで布団をかぶった。
「いいのか?」
「うん。だって『紳士』の黒猫君は変な事はしないでしょ。今日は色々あってお互い疲れてるし折角あるんだからベッドで寝なよ。信用してるからそこはよろしくね」
既に布団にくるまった背中越しにあゆみの何か半分投げやりな言葉が返ってきた。
まあな。これも正直今更なんだよな。今までも散々一緒に寝て来たわけだし。形はどうあれ。
「じゃ、遠慮なくこっちで寝るぞ」
正直今日は俺も疲れた。あのソファーで無理して寝るよりはあゆみが気にしないって言うなら喜んでこちらで寝させてもらおう。
ベッドの片側を占領して手足を伸ばす。どうにも背中にあゆみの存在が半端なく感じられて辛いが、もうそこは諦めるしかない。
「うん、おやすみ」
それだけ言ってあゆみが自分のベッドの横に置かれていた魔晶石の光を落とす。
俺は目をつぶりって猫の耳を軽く折りたたみ、なるべく意識を後ろから遠ざけて一人寝る努力を始めた。
俺の長い長い、眠る事を努力し続ける夜が更けていく。
* * * * *
あゆみに許されて布団に入ったのはいいが。
ここまで信用されるのは正直辛い。
しばらくはあゆみが寝るのを待って大人しくしていたが、やがてあゆみの規則正しい寝息が響き出した所でゆっくりと振り返った。
「あゆみ、おきてるか?」
小声で聞いてみたが返事が無い。どうにか寝てくれたようだった。
静かにその場で身をよじってあゆみに体を向ける。
指を伸ばしてあゆみの髪を一房すくい上げた。
珍しく櫛を入れたせいか髪の指通りが滑らかでそれが俺の胸を高鳴らせる。
今夜のドレスはマズイ。
こいつ自覚ないみたいだったが胸を締め上げるようなそのデザインに押し上げられた谷間がキレイに見えていた。多分本人が思っている以上に扇情的に見えた。
あまりに驚いて言葉が見つからなかった。
しかもそれを途中まで俺に脱がせるんだから……自分でも良く我慢したと思う。
そのまま窓から差し込む月明かりでしばらくあゆみの後ろ姿を見ていると、不意にあゆみがもぞもぞと寝返りを打った。こちらに向き合うようにしてまた眠る。
俺はそれに見とれて声も出ない。
寝間着は支給されたようであゆみは長袖のワンピースの様な物を着ているのだが結構胸元が開いている。服の良しあしなんて文句の言える立場じゃないが、キール、もう少し胸元の開いてないやつ無かったのかよ。いや、あいつの事だからわざとか。俺を追いつめやがって。物事には順序があるだろ。
これで俺にどうやって寝ろってんだよ。
やっぱり何としても同じ部屋に寝るのは避けるべきだったか?
つい……ほほをつついた。
突いたその指で頬を撫でる。
頬を撫でた指を唇に滑らせて。
どっかで我慢が切れる音がする。
するりと音を立てずに身を寄せる。
あゆみの顎に指を掛けて。
少し上を向かせて。
顔を近づけて……
あゆみの睫毛が微かに揺れた。
よく見ると顔が赤い。
え。
ま、まさか。
「ふえっ!」
「お前寝てないだろ」
俺に鼻をつままれたあゆみが変な声を上げた。
「だ、だって黒猫君が寝たと思ったからあんまり動いちゃいけないかなって」
「寝ろ!」
俺はバクバク言ってる心臓を押さえつけて俺の顔が見えない様に無理やりあゆみの髪をぐちゃぐちゃに掻きまわしてから寝返りを打って背をむけた。
あっぶねぇ、最悪だ、今のはマジヤバかった……
あとちょっとでフライングしちまうとこだった。
「……今度こそおやすみなさい」
「おやすみ」
こんなんで、こんなんで寝れるわけあるかぁー!
勿論明け方まで一人悶々としてた事は言うに及ばず。
因みにあゆみのやつ、10分とせずにいびき掻き始めやがった。
……つぎからはいびきが聞こえるまで待って……ちがうだろっ、もうするな俺!
* * * * *
びっくりした。
黒猫君が寝たふりしてる私に、私に、触った!
最初黒猫君が起きてるか聞いてきて。
下手に私が返事しちゃうと気になって寝れないかなって気遣って返事しなかったんだけど。
髪に何か引っかかった気がして気のせいかと思いつつ、つい寝返り打っちゃって、あっしまった、マズいなぁーって思ってたところに。
突然黒猫君が私のほっぺたをつついた。
寝たふりしちゃったから「あちゃぁ~」と思いつつもそのまま動かない様にしてたのに。
その黒猫君の指が思いもしなかった事を始めた。
黒猫君の少し硬い指先がゆっくり私の頬を撫で下げ始めて──
次にその指がそのまま私の唇をなぞって。それが凄く甘い動きで心臓のドキドキが止まらなくなって。
スッと引いた指がそのまま私の顎に掛かって。
あ、これもしかするとキスされる!
そう思ったらもうジッとしてられなくなってついグッと瞑ってる目に力が入っちゃった。
途端黒猫君に鼻つままれて怒られた。
えっと、黒猫君。
君今キスしようとしてたよね?
聞いてみたい。聞いてみたいけど聞けない。聞いたら駄目だよねこれ。
でもいっか。
おかげでいい事に気がついた。
……次からはもっと上手に寝たふりしよう。
式が終わって皆が三々五々に部屋を出ていく中、あゆみがもう一人背の高い兵士と連れ立って俺の所に来た。あゆみがなんだか褒めてくれてるようだが、こっちの方が声が出ない。こいつが化粧してるのなんてあの日電車の中で見た時以来だ。髪も珍しく整えられて、胸を強調するシックな真紅のドレスが美しい。見とれちまうが言葉が出てこない。
「ネロ君、奥様のドレス姿に惚れ直してるところですか?」
「ば、ちが、いや、違くなくて……痛てぇ!」
慌ててまともに返事が出来ない俺をキールが後ろから小突く。
「おい、新人メイジャー、お前は今日は酒飲むなよ。この前の前科があるからな」
「俺だってもうあんな馬鹿はやらねぇよ。それより俺たちもその食堂に行くのか?」
「いや、お前らはボロが出るから無理だ。ネロは明日から新人練習に出て少しずつ隊の奴らに慣れていけばいい。今日の所は俺達だけで別室で取るぞ」
そう言っているそばから一人の兵士がキールの元に駆け寄って、準備が整ったと言って俺たちを引き連れて個室へと案内してくれた。
「それで明日の予定だがな」
それぞれ席に着いて暫くすると白い制服を着た兵士たちが俺たちの食事を運び始める。部屋はこじんまりとしていて窓がない。キールを一番奥にアルディ俺そしてあゆみの四人だけでテーブルに着いている。
決して豪華な夕食と言うわけでは無いが、肉と野菜、パンにスープとまるでコースの様なメニューが一人一人に供される様な夕食にはこちらに来て一度もお目にかかっていなかった。あゆみも俺も二人して喉を鳴らして供された夕飯に口をつけた。
手に持った銅製のゴブレットに入ったワインを揺らしながらキールが言葉を続ける。
「悪いが俺は暫くここの中央出張政府とのやり取りが残ってる。少なくとも明日明後日は二人で何とかしててくれ。あゆみ、必要ならヴィクも連れて行くといい」
「はい、でもヴィクさんもお忙しいでしょうから黒猫君と二人だけでも大丈夫だと思いますよ」
「ああ。明日は市場調査と街の様子を見てこようと思ってる。どうせあゆみを抱えて歩き回るだろうから俺達二人だけでも大丈夫だ」
俺の答えをなんかアルディとキールがニヤニヤしながら見てやがる。
「そう言えばキールさん、今日もう一人の副隊長さんはいらっしゃいませんでしたね。ここをお任せされてるって前に言ってらした」
「それなあ。それが俺が言ってたバカだ。あいつ、俺がいない間に捕まったらしい」
「え? 捕まったって誰にですか!?」
「領主の領城警備隊だ。今日ここに帰り着いて最初に頭を抱えたのがそれだ。本来俺たちの代わりに隊の面倒を見ているはずのあいつが一人ここの領主の所の牢に繋がれてるらしい」
「そんな、なんでそんな事に?」
「……どこぞの貴族の令嬢に大変失礼な夜這いを掛けたらしい。現行犯で捕まったそうだ」
「「はぁぁあ???」」
あゆみと一緒に声を上げちまった。
「そんなヤツが副隊長で本当に大丈夫だったのか?」
俺の当然の疑問にキールが困り顔で返す。
「あのバカは非常に有能なんだよ。女にだらしないのさえなければ最高なんだがな。他の街で羽目を外せない様にアルディを連れて行ったのに結局地元で問題起こしてたんじゃ意味なかったな」
「兄がご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません」
「え? アルディさんのお兄さんなんですか?」
「って事はこの服の持ち主か?」
俺たちの質問にアルディが少し困った顔で答える。
「はい、その服を着るべきだった兄がもう一人の副隊長です」
「まあ、それもあって領主の所にも顔を出してこなけりゃならない」
キールさんが頭を振ってるけどそれってどうにかなるものなのだろうか?
「キール、俺たちは自分たちで動くからいいが、悪いがここの地理が分かる地図みたいなもんがあったら貸してくれ」
「ああ、新兵用の物があったろうアルディ」
「はい。ネロ君に後で写して差し上げますよ」
「アルディも明日は忙しいのか?」
「はい、実はどうも中央の様子が怪しい様なのでその辺を聞き込んで纏めておきたいんですよ」
「ああ、今日聞いただけでも既に中央政府が政府として残っていない様な話が出回ってると聞いた。他にも中央が食物不足でここの麦を狙ってるとかな」
キールは冗談めかして話してるが目が笑っていない。街の外の様子を見てもこれは結構またヤバい所に来ちまったのだろうか。
「じゃあ俺も明日街で少し聞いてみる」
「そうしてくれ」
そのまま食事も終わてしまうと後は部屋に帰るだけだ。あゆみを抱えたはいいが、毛織のスカートは結構重くて上手く持たないと引きずってしまう。それでも何とか部屋にたどり着いたころには結構疲れ果てていた。あゆみをベッドに乗せて着替えるために自分の服を持って部屋を出ようとするとあゆみに引き留められる。
「黒猫君、申し訳ないけどこれ私一人じゃ絶対脱げないの。ちょっと助けて」
それはいくらなんでも無防備に過ぎるだろうが!
文句を言ってやろうかと思うが、見れば確かにドレスの後ろは小さなボタンがびっちりと付いていた。俺はため息を付いてベッドの上で俺に背を向けて腰かけたあゆみの前に寄ってボタンを外し始めた。
「このドレスはキールから貰った奴か?」
「うん、ヴィクさん曰くこれでも日常使いらしいよ。普段私が執務するにはこれぐらい着てないと駄目みたい。そっちにある少し薄手の方が外出用だって」
このボタン、小さくて外すのが大変だ。
「よくこんなの自分ひとりで着れたな」
「え? ああ、ヴィクさんが手伝ってくれたから」
驚いて俺の手が止まった。
「おま、あいつに手伝わせたのか?」
「あ、黒猫君もヴィクさん男だと思ったでしょ」
「へ?」
「ヴィクさん女性だよ。ヴィクトリアさんの略だって」
「ああ、ヴィッキーじゃなくてヴィクなんだな」
「そう。ねえ、いつまで掛かってるの? 大丈夫?」
そんな事言ったってこんな小さなボタンがこう沢山あったんじゃ時間もかかる。しかもあゆみの身体が近くてやりにくい。それでも5分も経った頃にはやっと全て外し切った。
「あとね、悪いんだけどこっちの袖もお願いします。左は自分で外せたけど右は片手じゃ無理みたい」
向き直って差し出された手を見ると確かに袖口がひじの辺りまでボタンになっていた。
誰だこんな面倒くさいもん作った奴は!
こうやってると化粧したあゆみの顔が凄く近くてあゆみが時々こちらを見てくるのが感じられてやりづらい。
「ねえ、ちょっとまって。今まで気づかなかったけど黒猫君、目が金色だよ!」
「はぁ? そんな馬鹿な」
俺がやっとボタンを外し切った途端あゆみの上げた言葉に俺は驚いて鏡を探す。そんな俺を無理やりベッドに引っ張ってあゆみが続けた。
「いいからここ座って。動かないで」
そう言ったあゆみがまるで俺の頭を人形の様に抱えて光源に向けて揺らす。
こいつは。あれだけ言ったのに何でもう少し警戒しねぇんだ!
「やっぱり。普段は黒く見えるんだけど、暗い所でちょっとだけ明かりが入ると金色に光るんだ」
「……それで。それがわかったお前は俺の頭を一体全体どうする気だ!?」
「あ、ご、ごめん、ごめん。首痛かった?」
そう言う問題じゃない。つくづく思うけど、こいつやっぱり女としての情緒の様な何か肝心な物がどこか完全に欠如してる様だ。あゆみの腕から解放された俺は一人ため息を噛み殺した。
「じゃあ着替えるからあっち向いててね」
そう言って俺が出ていく間もなく窓の方を向いて着替え始めてしまう。俺も仕方なく扉の方を向いて手に持っていた服に着替え始めた。
結局そのままそれぞれ違う方を向いてお互い着替えを終えてベッドに座る。
そう、何故か普通にベッドに座ってしまった。
「もういいからそっちで寝てよ黒猫君」
俺が慌てて立ち上がろうとするとあゆみがベッドの反対側からそう言って疲れた様子でベッドに寝転んで布団をかぶった。
「いいのか?」
「うん。だって『紳士』の黒猫君は変な事はしないでしょ。今日は色々あってお互い疲れてるし折角あるんだからベッドで寝なよ。信用してるからそこはよろしくね」
既に布団にくるまった背中越しにあゆみの何か半分投げやりな言葉が返ってきた。
まあな。これも正直今更なんだよな。今までも散々一緒に寝て来たわけだし。形はどうあれ。
「じゃ、遠慮なくこっちで寝るぞ」
正直今日は俺も疲れた。あのソファーで無理して寝るよりはあゆみが気にしないって言うなら喜んでこちらで寝させてもらおう。
ベッドの片側を占領して手足を伸ばす。どうにも背中にあゆみの存在が半端なく感じられて辛いが、もうそこは諦めるしかない。
「うん、おやすみ」
それだけ言ってあゆみが自分のベッドの横に置かれていた魔晶石の光を落とす。
俺は目をつぶりって猫の耳を軽く折りたたみ、なるべく意識を後ろから遠ざけて一人寝る努力を始めた。
俺の長い長い、眠る事を努力し続ける夜が更けていく。
* * * * *
あゆみに許されて布団に入ったのはいいが。
ここまで信用されるのは正直辛い。
しばらくはあゆみが寝るのを待って大人しくしていたが、やがてあゆみの規則正しい寝息が響き出した所でゆっくりと振り返った。
「あゆみ、おきてるか?」
小声で聞いてみたが返事が無い。どうにか寝てくれたようだった。
静かにその場で身をよじってあゆみに体を向ける。
指を伸ばしてあゆみの髪を一房すくい上げた。
珍しく櫛を入れたせいか髪の指通りが滑らかでそれが俺の胸を高鳴らせる。
今夜のドレスはマズイ。
こいつ自覚ないみたいだったが胸を締め上げるようなそのデザインに押し上げられた谷間がキレイに見えていた。多分本人が思っている以上に扇情的に見えた。
あまりに驚いて言葉が見つからなかった。
しかもそれを途中まで俺に脱がせるんだから……自分でも良く我慢したと思う。
そのまま窓から差し込む月明かりでしばらくあゆみの後ろ姿を見ていると、不意にあゆみがもぞもぞと寝返りを打った。こちらに向き合うようにしてまた眠る。
俺はそれに見とれて声も出ない。
寝間着は支給されたようであゆみは長袖のワンピースの様な物を着ているのだが結構胸元が開いている。服の良しあしなんて文句の言える立場じゃないが、キール、もう少し胸元の開いてないやつ無かったのかよ。いや、あいつの事だからわざとか。俺を追いつめやがって。物事には順序があるだろ。
これで俺にどうやって寝ろってんだよ。
やっぱり何としても同じ部屋に寝るのは避けるべきだったか?
つい……ほほをつついた。
突いたその指で頬を撫でる。
頬を撫でた指を唇に滑らせて。
どっかで我慢が切れる音がする。
するりと音を立てずに身を寄せる。
あゆみの顎に指を掛けて。
少し上を向かせて。
顔を近づけて……
あゆみの睫毛が微かに揺れた。
よく見ると顔が赤い。
え。
ま、まさか。
「ふえっ!」
「お前寝てないだろ」
俺に鼻をつままれたあゆみが変な声を上げた。
「だ、だって黒猫君が寝たと思ったからあんまり動いちゃいけないかなって」
「寝ろ!」
俺はバクバク言ってる心臓を押さえつけて俺の顔が見えない様に無理やりあゆみの髪をぐちゃぐちゃに掻きまわしてから寝返りを打って背をむけた。
あっぶねぇ、最悪だ、今のはマジヤバかった……
あとちょっとでフライングしちまうとこだった。
「……今度こそおやすみなさい」
「おやすみ」
こんなんで、こんなんで寝れるわけあるかぁー!
勿論明け方まで一人悶々としてた事は言うに及ばず。
因みにあゆみのやつ、10分とせずにいびき掻き始めやがった。
……つぎからはいびきが聞こえるまで待って……ちがうだろっ、もうするな俺!
* * * * *
びっくりした。
黒猫君が寝たふりしてる私に、私に、触った!
最初黒猫君が起きてるか聞いてきて。
下手に私が返事しちゃうと気になって寝れないかなって気遣って返事しなかったんだけど。
髪に何か引っかかった気がして気のせいかと思いつつ、つい寝返り打っちゃって、あっしまった、マズいなぁーって思ってたところに。
突然黒猫君が私のほっぺたをつついた。
寝たふりしちゃったから「あちゃぁ~」と思いつつもそのまま動かない様にしてたのに。
その黒猫君の指が思いもしなかった事を始めた。
黒猫君の少し硬い指先がゆっくり私の頬を撫で下げ始めて──
次にその指がそのまま私の唇をなぞって。それが凄く甘い動きで心臓のドキドキが止まらなくなって。
スッと引いた指がそのまま私の顎に掛かって。
あ、これもしかするとキスされる!
そう思ったらもうジッとしてられなくなってついグッと瞑ってる目に力が入っちゃった。
途端黒猫君に鼻つままれて怒られた。
えっと、黒猫君。
君今キスしようとしてたよね?
聞いてみたい。聞いてみたいけど聞けない。聞いたら駄目だよねこれ。
でもいっか。
おかげでいい事に気がついた。
……次からはもっと上手に寝たふりしよう。
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貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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