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第4章 執務

1 窓の外

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「あゆみさん、すみません、あゆみさん、起きてください……」

 どこか遠くで誰かが呼んでいる。私はまだ微睡の中で、意識が半分こちらに帰ってきてない。

「あゆみさん、起きてください、申し訳ありませんが部屋に入りますよ?」
「あぁ……待て。俺が起こして連れてくから待ってろ」

 ん? 黒猫君……とテリースさん?
 黒猫君の肉球の手で何回か顔を踏まれる。
 んー、もうちょっと。

「起きろあゆみ、なんか変だぞ。ほら!」

 何かが私の布団を剥いだ。その何かは勿論黒猫君なのだが。
 目は覚めて来たけど悔しいから起きたくない。そんな私の背中を黒猫君の柔らかい手がぷにぷにと何度も押す。起こそうとしてるんだろうけどそれ逆効果だよ、気持ちよくて微睡まどろみが戻ってくる。

「いい加減にしろ、お前起きてるだろ。まだ狸寝入りするか?」

 焦れてりゃいい。朝一番に布団を剥がれた恨みは大きいぞ。これだけ暗けりゃ、まだ日も出てないだろうに。

「ひゃぁ!」

 とんでもない! 寝たふりしてたら思いっきり瞼ごと目玉を舐め上げられた。

「猫だと思って馬鹿にすんなよ」
「んもう! 昨日疲れたからもう少しだけ!」
「馬鹿言ってないでとっとと起きろ! なんか変だ、下がうるさい。今起きないと後悔するぞ」

 黒猫君の思いがけなく真剣な声にこの前の夜襲を思い出し、背中を冷や汗が伝って一気に目が覚めた。

「なに、何が変なの?」
「日が昇ってないのに外が明るい」
「え?」

 言われてみれば、揺らめくような光が鎧戸の隙間から差し込んでいた。飛び上がって杖を掴んで窓際に移動する。鎧戸を開けると──

「何これ……?」
「げ、まさか!」

 黒猫君が背中の毛を逆立てて威嚇した。そんな威嚇してどうにかなるものではなさそうだけどさ。
 何があったって、治療院の庭が人と荷車でいっぱいだったのだ。
 私の部屋が面しているのは裏庭のはず。なのに庭全体がいくつもの松明たいまつの明かりで煌々と照らしだされてた。

「マズい、ここまで早くから集まって来るとは思ってなかった」
「え? 何のこと?」
「お前もう忘れたのか。昨日キールが約束しただろう。今日一日は時価で物品を買い取るって」
「え? うわ、まさかこれ全部買い取り希望者?!」
「多分な……ここで見ててもしょうがない、とっとと着替えろ」

 言われて初めて自分が下着姿で窓辺に立っているのに気がまわった。慌てて鎧戸を閉め直して新しい服を掴んで着替える。っと、ちょっと待って、なんで服がまた2枚あるんだ?

「黒猫君、おととい私が着てた服、どこいったか知ってる?」
「え? お前そこの椅子に掛けて乾かしてたろう?」
「うん、そうなんだけど、いつの間にか綺麗になってここに一緒に畳んである気がする」
「へ? じゃ、誰かが入ってきて片付けたってのか?」
「うん、多分」

 そこではたと気づく。

「ねえ、黒猫君、この治療院の中っていつも凄く綺麗に掃除されてるよね」
「そう言えばそうだな」
「これ、一体誰がやってるんだろう?」
「……さあ? それより急げ」

 確かに今そんなこと話してる場合じゃないね。
 私は一旦その考えは放り出して、着替えを手早く済ませて杖を使って部屋をあとにした。

 部屋の扉を開けるとテリースさんが扉のすぐ目の前で待っていた。

「ネロ君、あゆみさん、どうしましょうか。沢山の方が治療院の前に列を作ってらっしゃるんです」
「キールはどうした?」
「まだ兵舎からいらしていません。先ほどパット君という子がネロ君に合格もらって今日から働きに来たと言って来られたので兵舎への連絡をお願いしました」
「ああ、それは助かる。それでパット以外の昨日の採用者は来てるか?」

 テリースさんがちょっと困った顔で返事をする。

「採用されたと言っている方はまだお一人しか来ていません。何人採用されたんですか?」
「全部で5人だ。その内3人は今日から来るって言っていたんだが」

 イライラと尻尾を振る黒猫君を私が取りなす。

「まだ朝日も昇ってないもんね。流石に早すぎたんじゃない?」
「ああ、どうも俺の読みが甘かった。テリース、入り口に近い診療室を数部屋貸してくれ」
「それは構いません。前庭に面した部屋はどれも使ってませんから、どうぞお好きになさってください」
「あと、ピートルが起きて来たら昼食は昨日と同じものを作るように言っておいてくれ。あ、ここには紙はあるのか?」

 黒猫君の質問にテリースさんがちょっと顔を曇らせる。

「……治療用の物しかありません。普段の書付かきつけ用でしたら、申し訳ありませんが木片を使ってください」

 治療用って、私の足みたいなやつかな。
 テリースさんが私達の部屋の目の前の扉を開けると、そこはいわゆる物置になってた。いくつもの棚が立ち並び、いくつもの木箱が積み上げられる中、そのうちの一段に薄く削りだされたB4足らずの木片がいくつも積み重ねられてる。そのほとんどはすでに一度使われた物らしく、炭が染みついて薄黒くなっていた。

「これ、何使って書くんだ?」
「こちらの木炭もくたんでお願いします。普通は古くなったパンを使って消すんですが……ここではパンは余りませんので使ったものは水洗いして、干して乾かしてからまた使います」

 うわぁ、凄く面倒くさい。

「仕方ない、あゆみと俺じゃこれは運べないから、申し訳ないが持てるだけ持って下の診療室に来てくれ。俺たちは先に下に向かう」

 私たちがまだ階段を下りてる途中でテリースさんが追い付いてきた。そのまま先に診療室に行って部屋を準備してくれるようにお願いする。

「ネロ君、あゆみさん、大変申し訳ありませんが、私そろそろ農村に向かわなければなりません」
「ぐぁ! そうだった。お前昨日売っちまったんだった。これあゆみと二人だけでなんとかするのかよ」
「本当にすみません」

 テリースさんが本当にすまなそうに謝ってるけど、これ全然テリースさんのせいじゃないよね?

「そんなの仕方ありませんよ、お仕事頑張ってきてください」

 唸ってる黒猫君を横目にそう言ってテリースさんを送り出す。そんな私の横でイライラしながら黒猫君が「なに暢気なことを」とブツブツ文句言ってた。
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