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第13章 ヨークとナンシーと

16 幌馬車の旅

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 あゆみを抱えて馬車に揺られながら、大してやることもなく旅路が進む。
 それでもあの不味い昼飯に味噌を振る舞ったお陰で、今まで無言一辺倒だった馬車の中が、少しだけ砕けた雰囲気になっていた。

「じゃああんたらはヨークのジークオン教会の司教なのか」
「ああ。御者や警備をしている連中はヨークの雇われ者だが、ここにいる六人はそうだ」

 俺が水を向けると、俺たちの右隣のじいさんが気軽に答えた。どうやらこのじいさんがこの中で一番年配でまとめ役らしい。味噌を一番喜んでいたのもこのじいさんだった。

「まあ、司教とはいってもあそこには沢山いるがな」

 と、今度は俺たちの左に座る痩せぎすのじいさんが口を挟む。多分このじいさんたちの中ではこのじいさんが一番若い。とは言ってもこいつも五十は超えていそうだ。

「なんせ我がジークオン教会はこの国最大だからの。ナンシーなんぞの小さな教会とは比べ物にならん」

 つけ加えるように俺たちの真ん前に座ってるじいさんが少し誇らしげに言った。

「司教様なのにわざわざこんな遠くまで来るなんて大変ですね」

 それに素直に驚いたあゆみが呑気な声で相槌を打つと、その隣のじいさんたちが眉根を寄せてぼそぼそと話しだす。

「仕方あるまい。ネイサン様は……新サロス長官は就任して日が浅い。まだ色々引き継ぎが終わってないんだろうて」
「とはいえ、それでも教会裁判へ護送するからには体裁が必要だからなぁ。おかげで今回は我々のような自治員にお声がかかったらしい」
「自治員、ですか」
「あー、教区管理省内の自治、まあ教会内の警備や教区内で起きるごたごたを仲裁したりする部署じゃのぉ」

 聞きなれない名前に首をひねるあゆみに、またも俺たちの右隣のじいさんが補足してくれた。

「まあ中々に忙しい省だからな、ワシらのようなジジイくらいしか手の空く者もいなかったんだがな」
「そうそう。大体、ワシらは司教などといってもただ長く勤めてきただけじゃよ。この歳までしっかり勤めればあそこでは誰でもなれる役職じゃからな」

 ……あゆみが人に気を許されやすいのはいつものことだが、それにしたって俺たちみたいな護送者相手にここまで気安くていいのか?
 いくらなんでも、味噌振舞っただけなのにやたらと気安すぎてこっちのほうが不安になってきた。

「あんたら、そんな話を俺たちにしてて大丈夫なのかよ」
「このくらいの話をお前らが聞いたからってなんの問題がある」
「そうじゃ、見くびるなよ小僧。一応これでも全員魔法持ちだぞ」
「こんな老いぼれでも手枷足枷付きの囚人を護送するには十分じゃよ」

 俺の問いかけに、それぞれが笑って軽く答えてきた。
 いや、手枷足枷があったからって、悪いがこのじいさんたちだったら俺、一瞬で全員倒せる気がするんだが。
 どうもこのじいさんたちにはあまり危機意識があるとは思えない。
 残りのじいさんたちだって、年長のじいさんと歳は大して変わらなそうだ。
 自治員とやらをやって来てただけあって、皆それなりに体つきがしっかりしてはいるが、それにしたって全員かなり歳食ってる。さっきっから馬車の揺れにも体幹が耐えられてない気がする。
 っていうか、こんなじじい共に長旅はキツイだろうに。
 しかも俺たちみたいな容疑者候補を護送って、どう考えても荷が勝ちすぎやしないか?

「…………」
「でもこんな揺れる馬車の旅は辛くないですか?」
「こんなもん、慣れておるよ」
「ああ、お前さんのようなひ弱な娘ならともかく、そんな敷物ワシらは必要とせん」
「流石ですねぇ。でもこのクッション、これからナンシーでも安くなるらしいですよ」
「ほう、確かに布物はナンシーが有名だが」
「それがですね、北の砦で──」

 無言でなんと答えたもんか考えてるうちにあゆみが話題を変え、思わぬほうに話が進んでいく。まるで孫娘の気を引こうとするように、それに五人のじいさんたちが代わるがわる答えてた。

 あゆみは俺が味噌を振る舞ったことを単純に喜んで嬉しそうに話してるが、俺は少し違う。あゆみには申し訳ないが、折角情報を引き出せる機会だと思ったからこれ見よがしにあゆみを出汁に味噌を振舞っただけだ。
 そうとは知らずに相手が気を許したのをいいことに、あゆみのお喋りはどこまでも続いてく。

 タカシから聞かされてた通り、どうもこの連中は緩すぎる。
 ふと昨日のタカシとのやりとりが思い出されて、思わず胃の辺りが痛み出す。
 あの後、俺たちがタカシから聞いた状況は思っていたよりも複雑なものだった。

 キールに改めて挨拶した後、タカシが差し出した教皇とヨーク侯爵からの書状であいつが本物の福音推進省長官であることはすぐに確認が取れた。

 たかが書状だけで信じていいのかよっと思ったのだが、テリースに言わせると貴族家の正式な書状を偽造するのは俺が考えているよりよっぽど難しいことらしい。
 正式な書状に使われる羊皮紙やインクはそれぞれ家ごとに特徴が決まっていて管理も厳しく、サインや封印の印章指輪の造形なども含め、必要最低限の貴族間でしか知られていないらしい。
 すぐにエミールの所有していた貴族総覧がひっぱりだされ、書状が本物であることが確認された。

「だがお前が福音推進省長官なんだったら、なんで従者のお前が本物のサロスだって誰も気づかないんだ?」

 当たり前の質問をした俺に、タカシが悪戯っぽい笑みを浮かべて俺たちを見回して答える。

「福音推進省という立場は非常に特殊で危険なのですよ。彼らの身の安全を保つ為にも、私の部下は全員、普段は別の組織に所属しています。それぞれが福音推進省に所属していることさえ極秘にしているのです。末端に至っては一人の連絡員を除き、他に誰が所属しているかさえ知らされていません」
「……それは、教会内でさえお前が福音推進省長官だと知ってる者がほとんどいないということか?」
「そうですね。全容を把握しているのは私のみですし、長官が誰であるかは教会内でも教皇とその側近数人しか知りません」

 すぐにその答えの意味を理解したキールがすごく嫌そうな顔で尋ねれば、タカシは何食わぬ顔で答えた。

「待て、そんな極秘情報を俺たちが知っちまっていいのかよ?」
「いけません。本来、情報が漏れた可能性が疑われた時点で、裁判の必要なく即処刑対象となります」

 思わず問い返した俺にとんでもない答をしれっと返したタカシは、だがそこで一旦言葉を切り、満面の笑みを浮かべて先を続ける。

「ただし、今回キーロン陛下に正式に要請された場合に限り、教皇庁と新王政府の話し合いを円滑に進め、今後の協力関係をより深める前提で、この極秘情報を開示せざるを得ない、と教皇と前もって合意しておりました」

 あー、それであの確認の一幕だったわけか。
 クソ。こいつ確信犯だ。
 キールが王の権限でこの秘密の開示を要求した時点で、俺たちは全員自動的にこいつらの話に巻き込まれたってわけだ。

「だが同じここまで来るんだったら、なぜ最初からお前がサロスとして来なかった?」

 はめられたとは言わねーが、同じ巻き込まれるなら裏は知っておきたい。
 そう思ったのは俺だけじゃなかったらしい。

「もっと言うなら、なんでわざわざ行方不明になどしたんだ?」

 俺同様、渋い顔になったキールが俺の問いにかぶせるように尋ねる。
 そんな俺たちを静かに見返して、タカシが薄い笑みを浮かべて説明を始めた。
 
「この度、サロス長官代理としてこちらに赴いたネイサンは、現在教皇の下で働く五人の枢機卿の一人です。彼の出身のギル家は王都のシャングリラ教会を統べる大枢機卿を排出した旧貴族家で、ヨークのジークオン教会でも代々枢機卿に名を連ねてきました。その権威は決して教皇には及びませんが、ヨークの主産業の羊毛業に深く関わり、ヨークにおいては教会内部でさえ政治的に無視できない存在なのです」

 そこまで答えたタカシは手の中のカップに視線を落とし、残った茶を弄ぶようにゆっくりと揺らしつつ話を続ける。

「元々王都の枢機卿におもねる一派に属していましたが、それがここ半年ほど、その言動があからさまになりましてね。王都のシャングリラ教会の教論を表立って支持し、獣人その他を非人として貶める言動が目立ち、最近増えている行方不明者の人体売買や奴隷売買にも関与していると噂されています。そしてとうとう今回、福音推進省長官が行方不明と聞いて自分を取り立てるよう、しつこく教皇に迫ってきまして──」
「まて、それはおかしいだろ」

 スラスラとどこまでも続けるタカシの言葉を切るように思わず口を挟んだ。その俺の声に、カップを揺らしていたタカシの手がピタリと止まった。

「今教皇がお前を一緒によこしたってことは、お前が行方不明になるのを教皇は最初から知ってたんじゃねえのか? ってことは、お前の行方不明自体、ネイサンをハメるためだったんじゃねえの?」

 被せるように尋ねた俺に、それまで伏せていた視線を上げたタカシの口角がニヤリと上がる。

める、というのは外聞があまり良くありません。行動を促すために状況を用意した、と言っておきましょう」
「ものはいいようだな」

 俺が突っ込むより早く、苦笑いを浮かべたキールが呟く。

「案の定、代理として派遣されたネイサンは勝手に福音推進省長官サロスの名を名乗り、予想以上に行動を起こしてくれました」

 それが聞こえたのか聞こえなかったのか、先を続けたタカシの顔はどう見てもこの年齢のガキが見せる笑顔には見えなかった。

「ここからは色々・・と楽しくなりそうです」

 コイツ、ガキのくせにスゲー胡散くせー。
 確かにその時はそう思ったはずだった。

 なのに、その後俺もキールもなんのかんのとこいつに言いくるめられて、気づけばこの話を受けちまっていた。というか受けざるを得なかった。

 いくらそれなりに対策はしてきたとは言え、あゆみがこうして同行してる以上、今のうちに少しでもこいつらから事情を聞き出しておきたい。

 そんな俺の思惑などお構いなしに、ヨークで一番羊料理が旨い店やら、巷で噂になってる花火師がいる職人街の話など、呑気な話題にあゆみが身を乗り出して花をさかせてる。

 ……こいつも昨日の話は全部一緒に聞いていたはずなんだけどな。

 膝の上の能天気なあゆみの様子を見下ろして、俺は思わずこぼれそうになるため息を飲み込んだ。
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