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第13章 ヨークとナンシーと

6 秘書官邸

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「教皇代理の件でお忙しいとは思いますが、こちらも時間を作ってご覧ください」

 その後、笑顔のイアンさんからそう言って大量のお仕事資料を押し付けられた私たちは、シアンさんに招かれるままキールさん、テリースさんと共に馬車で秘書官邸、つまり以前庄屋の屋敷だった教会内のお屋敷へと向かった。

 たどり着いた秘書官邸は、見たところ私たちがここを後にした時となにも変わりなく、ただその後ろに遠目に見えていた茨の森だけがなくなっていた。
 馬車を降りてお屋敷に近づくにつれ、わらわらと人が集まってくる。

「おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませ旦那様」
「おかえりなさいませ奥様」
「おかえりなさいませ猫神様」

 すれ違う人が口々に挨拶してくれるのはいいんだけど。

「シアン。あれなんとかしろ」

 挨拶ついでに全員が私達を拝んでいく。しかも、なぜか獣人族の皆さんまで混じってる。
 おかげで黒猫君のご機嫌はマックスで最低だ。

「申し訳ないですけれど、人の口に戸を立てるのは無理というものですわ。お二人が北の砦で奇跡を起こして、この街の農民と狼人族を解放した噂はもう街の人間全てが知っています。皆お二人のおかえりをずっと心待ちにしてたんですよ」

 だけどシアンさんは文句を言った黒猫君を軽くあしらって、数人の娘さんたちに次々と指示を出していく。

 いつもの畳の大広間に入って座布団に座ると、すかさず猫耳の女の子がお茶とお煎餅を出してくれた。
 お茶はちゃんと緑茶の味がするし、お煎餅もパリパリで焦げたお醤油の香りが素晴らしい。
 ここしばらく、また和食なし生活だったから、お煎餅が美味しくてとまらない。
 障子が開けっ放しの大部屋も、湿り気を帯びた涼風が入ってきて、夏なのに北の砦より過ごしやすいほどだ。手をついた畳の少しひんやりした感触がまた心地いい。

「黒猫君、私やっぱりここ落ち着くよ」

 お茶を一口すすってほうっと息を吐き、思わず私がそう言えば、隣に座った黒猫君もブスッとしながら頷いてくれた。
 この感覚が共有できるのは本当に嬉しい。

「夕飯は美味しいものを沢山用意しましたから期待してくださいね」

 ほっと人心地ついてる私たちに、湯呑を両手で持ったシアンさんが笑顔を向ける。それに呼応するように、キールさんが口火を切った。

「夕食を始める前に、あなた方が知っている教会の情報を教えていただきたい」
「そうですわね。先にその話を終わらせてしまいましょうか」

 そう言って、部屋の隅で控えていた猫耳の女の子に「サリスを連れてきて」と短く指示を出す。
 元気に頷き返す女の子の姿にズキンと胸が痛んだ。
 結局、北の砦に送られていた他のニコイチにされた子たちは誰一人救うことが出来なかった。
 絶対救う、そう思って向かったのにも関わらず、生きている間に顔を見ることさえ出来ずに終わってしまった。
 そんなことを思い浮かべてたせいか、獣人の女の子が少し心配そうにこちらを見て、私に笑顔を向けて会釈した。

「彼女たちもすっかりここの生活に慣れてますよ。あゆみさんのお陰です」

 私の視線を追ってシアンさんが教えてくれる。
 シアンさんには、今私がなにを思い出してたのか分かってしまったのかな。

 今度こそ尋ねたいことはいっぱいあるけど、まずは教会のことが最優先なのは分かってる。

 私が少しモヤモヤしながらお茶を飲んでると、すぐにその獣人の女の子が見たことのないエルフの男性を引き連れて部屋に戻ってきた。

「参りました」

 そう言ってシアンさんの隣に座り、頭を下げて私たちに挨拶したのはこれまた線の細い美男子なエルフさんだった。
 シモンさんとシアンさんは、秀でた額や強い眼差しのせいか偉そうな雰囲気があったけど、このサリスさんはまるで妖精のように細面。少し神経質そうな切れ長な目、薄い唇に真っ白な今まで見たエルフさんの中でも一際肌の色が白い。シアンさんたちがもち肌なら、この人の肌はまるで真っ白な磨りガラスみたい。

「サリスと申します」

 基本こちらの世界にきて、正座してこんなにちゃんとしたお辞儀をされたのは初めてだった気がする。まるで日本のお行儀のよい茶道の先生みたい。

「サリスは人族の文化の研究が趣味なのよ。だから教会のことも宗教学として結構以前から記録をつけてるの。下手な教会従事者より教会の歴史と仕組みには詳しいし、その道の専門家よ」
「いえ、とんでもありません。自分は単に趣味が講じて本を書き綴っているだけの暇人ですから」

 そう言って謙遜するその仕草までまるで日本人そのまま。これって、もしかして私たちに合わせてくれてるんだろうか。

「あんたまるで古い日本人みたいだな。どこでそんな仕草を学んだんだ?」

 同じことを考えたのか黒猫くんがそう尋ねると、サリスさんが嬉しそうな笑顔で返答する。

「お褒めいただきありがとうございます。初代王の太郎様のご指導で和の精神というものに非常に興味をひかれ、その後、太郎様のご紹介で狼人族の一部に伝承が残る古い剣術のマナーも学びました。残念ながら、それらの文化の伝承は狼人族の間では既に消滅してしまっているようですが」
「まあ普段使われない習慣は消えるからな」

 確かに。バッカスたちにこんなマナーもなにもないもんね。

「それじゃあサリス、こちらの皆様に貴方が溜め込んだ教会の知識を披露なさい」

「そうですね。まず教会には大きく分けて2つの派閥があることはご存知ですか?」

 そう尋ねられ、私と黒猫君は当たり前のように首を横に振る。
 キールさんは確認するように顔をテリースさんに向け、私たちの横に並ぶように座ったテリースさんがそれに答えるように口を開いた。

「教皇を中心に古い教会の規律を守るヨークの教皇派と、その教皇の代理人として王都にある教会を代表する枢機卿派に分かれているとは以前聞いたことがあります」

 テリースさんの返答にうなずき返したサリスさんが、それを補足するように言葉を続けた。

「その通りです。古くは初代王太郎様が王位を譲位されて王都を出立された十年ほど後に、彼の狂信的な従者がその業績を広く巷に知らしめ、その偉業を未来永劫忘れられぬようにと経典に纏めたのが始まりです。その最初の一冊と、太郎様が残された私物をまとめて保管するためにヨークに教会が設立されました。それが現代に至るまで全ての教会の総本山と言われるヨークのジークオン教会の始まりです」

 サリスさんの説明は明朗でとっても分かりやすくて、まるで学校の授業みたい。うん。内容がこれでなければ。

 サリスさんのお話を聞いてるうちに、気づけば黒猫君と二人で頭を抱えてた。
 今や、その話がどう考えても太郎さんが決して望まなかったであろう黒歴史と崇拝の結末だろうことは想像に難くなくて、思わずうめき声がでちゃいそう。

「ただし、なぜ教皇がヨークをその地に選んだのかは私も存じ上げません。その選択が政治の中枢たる王都との現実的な距離をつくり、教会と政治の確執を生むようになります。三百年の時を経て、九代目の教皇が、最も信頼する枢機卿の一人にその権限を一部預け、その意見を代弁するものとして初代王の聖遺物を授けて王都に派遣しました。これが現在王都に続く枢機卿一派とその拠り所とされる統合教会のトップ、シャングリラ教会の元になります」

 ここまで聞く限り、どうにももうため息しか出てこない。
 完全に太郎さんの思惑など全く関係ないところで宗教ができてしかも宗派まで広がっちゃったらしい。

「あまり聞きたくないが、その聖遺物ってなんだ?」

 黒猫君が耳を垂れつつ尋ねると、サリスさんが困った顔のままちょっと言葉に詰まる。
 だけど、シアンさんに突かれて、仕方なく答えた。

「確か……太郎さまが初めてご自分で制作され、大切にされていた薄い本だったかと」
「ひでぇ……」
「うわー……」

 私と黒猫君は、思わず揃ってうめき声を上げた。
 私たちの書いたものも今後下手したらこんな扱いを受けるのかもと思うとゾッとしない。
 そこではたと気づいた顔で黒猫君がキールさんを振り向く。

「マイクのヤツ、まさか新しい宗教とか始めねーよな」

 真顔になった黒猫君が、独り言のようにとっても不吉なことを呟いた。

「ま、まさかそれは流石に──」
「わからんぞ」

 思わずブルリと寒気を覚えて否定しようとした私の言葉に、かぶせるようにキールさんが口を開く。

「カール曰く、バースから戻ったと思ったら、なぜか数十人引き連れて北にむかったらしいからな」
「はぁ? なにしにまた北なんか……」
「北の偉業を聞きつけてお前らの足跡を辿たどるためらしいぞ。確か『聖地巡礼』とか言ってたな」
「止めろよっ! なんでそんなの許してるんだよっ!」

 半立ちになってすごい剣幕で怒鳴る黒猫君に、だけど肩をすくめ、薄笑いを浮かべたキールさんがすげなく答える。

「休暇中にも関わらず、北の砦への伝令を買って出るような勤勉な部下を止める気はない。第一、休暇中の宗教活動を止めるような法律もない」
「嘘だろ……」
「そ、そんなぁ」

 うなだれた私たちをキールさんが笑顔で見てる。
 これ、キールさんがなんかわざと広めようとしてる気もしてきた。
 だけど、私だって訳わからない形に祭り上げられるのは本当に避けたい。太郎さんには申し訳ないけど、折角悪い例があるんだから今のうちに止めておきたい。

「キールさん、笑い事じゃなくいい加減マイクさんを止めてください」
「まあ、帰ってきたら布教活動を再開する前に捕まえる努力はしてやるさ」

 泣きそうな声でお願いした私に返されたキールさんの答は、お人好しな私でも疑いたくなるほどとってもとっても軽かった。
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