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第12章 北の砦

17 プルプルのワー

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「プルプルがワーか……」
「プルプルがワーだね」
「プルプルがワーってこれですか」
「確かにプルプルですしワーですねこれは」

 ドンさんが連れてきてくれたのはここ、砦のすぐ横を流れる川に新しく掛けた橋の上。
 途中で飽きちゃって不貞腐れてるバッカスは放っておいて、ただいま皆で新しい橋の下を覗き込んでます。

「これ昨日はいなかったよな」
「さあ、どうでしょう」
「僕たちも昨日は兵舎のことで頭が一杯でしたので」

 黒猫君の問いかけに、ジョシュさんもタンさんもあやふやな返事を返してる。

「私達もこの橋を渡って砦に向かったんだから、間違いなくここ通ってるよね。覚えてる黒猫君?」
「あー、俺も思い出せねぇな。やっぱ砦のことばっか考えてたし」
「これは興味深いですねぇ」

 ジョシュさん一人がしきりに感心してるけどこれ、感心してる場合じゃないよね?

 私たちの覗き込んでる橋の五メートルほど下の川の水面が、今徐々に上がってきてる。
 あ、違う、正しくは。
 川面を押し上げるように、水スライムの大群が押し寄せてきてるのだ。
 その見た目といったらもう。
 プルンプルンな透明ゼリーが何重にも重なって、みんなでプルプル震えながら波か噴水のようにうねってる。正に『ワー』。

「なんでこんなことになってんだよ?」

 黒猫君が独り言のように嘆息してるけど。

「ジョシュさん、こういうのに詳しそうですよね。幻獣図鑑には載ってなかったんですか?」
「いえ、水スライムは幻獣ではありませんし。ただ、僕もナンシー出身ですから水スライムはよく知ってますが、こんなに増えてるのは生まれて初めて見ます」

 私が水を向けると、頭をかきつつジョシュさんが答えてくれた。と、ジョシュさんのすぐ足下からドワーフさんがポックリ煙を吹いて口を挟む。

「プルプルは『重い』水が好きなんだぁよ」
「重い水?」
「お前さんらが鉱山から『重い』水たくさん垂れ流しとったろぅ」
「あれ飲んでたから今年のプルプルよく太ってたんだろなぁ」
「いやこれ、太ったってレベルじゃねえよな?」

 黒猫君がドンさんの吐いた煙から顔そむけながら問い返すと、ドワーフさんがパイプを他のドワーフさんに手渡しつつそれに答えてくれる。

「そりゃあ、今こいつらワーだからなぁ。ほら、ここ数日、あんたらオークの死体を大量に川に流しちまったろ」
「オークの死体……」
「って、え! まさか水スライムってオークの死体も食べるの!?」

 言われてみれば、あんなに落としたオークの死体が一個も見えない……
 驚く私たちの横で、ドンさんたちも驚いたように飛び上がると、またパイプを吸ってない数匹が順番に答えてくれる。

「なんだい」
「あんたらはそんなことも知らんのかい」
「驚いたねぇ」

 なんだろう、この一人なのにいっぱいと話してる感覚。黒猫君じゃなくてもなんか疲れてきた。
 次はどのドワーフさんが答えるのかと見回す私を前に、代わる代わるドワーフさんたちが答えてくれる。

「この時期、プルプルは魔物を食わんよ」
「まあ今は食べるがなぁ」
「普通は食べん」
「この時期に魔物は魔物を食わないんだぁよ」

「大変興味深いですね、もっと詳しく教えて下さい」

 ジョシュさん一人が乗り出し気味に尋ねてる。
 ドンさんはそれが嬉しかったのか、またもみんなで踊るように小さく左右に跳ねながら続けた。

「仕方ないのぉ」
「教えてやるかのぉ」
「魔物にとって、他の魔物の肉は」
「魔素が濃すぎるんだぁ」
「そう、食えんことはないけど、食うとワーが始まっちまう」

 なんか口を挟む間もなくどんどんドンさんが話してて、思わず黒猫君がドンさんたちの間に手を挟んで問いかける。

「ま、まて、今の話だとワーってのはこれ、まさか増えてるのか!」
「あー増えてる」
「一つが二つに」
「二つが四つに」
「四つがいっぱいに」
「これからもっと増えるぞ」

 黒猫君がギョッとして川面を睨んだ。ダンさんとジョシュさんも顔色なくしてる。
 私も恐る恐る黒猫君に確認してみた。

「黒猫君、ワーってつまり、分裂してるのかな」
「あああああ。考えたくねえけどそういうことだよな、こいつらの繁殖方法なんだろ。それにしてもクソ、倍々かよ!」

 私たちの言葉を聞いたドンさんが、相槌を打つように前後に体を揺らしてまた話し出してくれる。

「あー、ハンショク。それな」
「難しい言葉は嫌いだぁ」
「ワーのが分かりやすくていいのになぁ」

 あ、ドンさんも繁殖って言葉自体は知ってたのか。

「だから春先のハンショクの時以外、プルプルや魔物は他の魔物を食わんよ」
「待て、じゃあそれって……まさかオークも同じか!?」

 それを聞いた黒猫君がハッとして聞き返す。

「ああ。お前ら最近、考えなしにオークをいっぱい閉じ込めてたなぁ」
「あんなことすりゃ共食いで否応なしにオークのワーがいっぱい起きてたろぉな」

 うわ、オークのスタンピート、完全にマークさんたちのせいだった!
 黒猫君が真顔で固まって、耳だけ後ろに向けた。
 聞きたくもないのは分かるけど、耳だけ避けてもしょうがないと思う。

「でもスライム……プルプルは閉じ込められてる訳じゃありませんよね?」

 ジョシュさんが微かな希望にすがるように尋ねると、ドンさんたちが左右に体を振って否定しながら答える。

「プルプルは魔素飲むと勝手に二つに割れて増えるんだぁ」
「だから春以外は魔素の濃い水は避けるんだがなぁ」
「今年はここの鉱山から出る『重い』水に誘われてここまで来ちまってたぁし」
「この辺はプルプルが逃げる場所ないしぃ」
「こいつら否応なく魔素飲んでワーしとるなぁ」

 ドンさんの容赦ない答えに4人揃って呻いちゃった。
 でも、黒猫君も分かってるはずだけど敢えて口に出してないことが一つ。それがつい私の口をついて出てしまう。

「……これ、いつまで増え続けるんだろう」

 私の問いかけにならない呟きに、返ってきたドンさんたちの返答は容赦なかった。 

「まあ、このままなら冬までずっと増えるだろうなぁ」
「そっちにもオークの死体が山と積み上がっとるし」
「これから雨が降ればこの辺の土からたっぷり魔素が流れ込むだろうし」
「いっぱいのプルプルが、いっぱいいっぱい増えるだろうなぁ」

 うわー、聞きたくなかった。

「それ、このまま行けば川の流れが完全に止まっちまうんじゃねえか?」
「かもなぁ」

 黒猫君の声がすっかり平坦になっちゃった。それに引き替え、ドンさんたちの答えは相変わらず暢気に響く。

「それはかなりまずいんじゃ……」
「それは困ります、この川一応ナンシーの主要な交易路の一つですし、第一獣王国にも影響が……」

 心配そうに口を開いたタンさんとジョシュさんのほうを見もしないで、黒猫君が今までになく深刻な口調で二人を遮る。

「いや、それよりも堰き止められた水がどんどん水嵩増してきてるし、このまま行くと川が溢れて流れが変わっちまう。下手すりゃ麦が出来てる場所を押し流すかも知れねえ」

 え、そんなことになったら折角収穫を待ってる麦が全部ダメになっちゃう……
 4人でまた揃って橋の下を見下ろした。
 オークの死骸は一つも見当たらないのに、スライムの水位は下がるどころか上がって来てる気がする。

「「「「はぁ」」」」

 思わずついた四人のため息が綺麗に揃った。
 そんな私たちの後ろから、ドンさんたちの声が静かに続ける。

「そんな難しいことドンには分からんけどなぁ」
「小さいドラ神が悲しむってことだけは」
「ドンも知ってる……」
「ドラガミ?」

 またよく分からない言葉が出てきて黒猫君が問い返すと、ドンさんたちがウンウンと肯くように体を揺らし始める。

「ドラ神はワシらの神様」
「ドラゴンの神様」
「あ……さっきのトラカミってそれか!」

 黒猫君が突然合点がいったと言うように声をあげた。
 それを気にもせずにドンさんたちは体を揺らしつつ、歌うように先を続ける。

「ワシらのドラ神は小さくてなぁ」
「ワシらは小さいドラ神が選んでくれたんだぁ」
「小さなドラ神いないと、ワシら困るのぉ」
「でも小さいドラ神、魚が好きだからなぁ」
「魚いなくなったら小さいドラ神もいなくなるよぉなぁ」

 魚が好きな、『ドラゴン』の神様……

「黒猫君、私、その神様誰なのかなんか思い当たる気がする」
「俺も」

 黒猫君と二人、思わず顔を見合わせた。
 でも小さいかな、あの『ドラ』神さま?

「小さいドラ神がここ選んだから」
「ワシらもここに住みついたんだけどなぁ」
「小さいドラ神、さっき飛んでっちゃったんだぁ」
「いつもと違う方角に」
「飛んでっちゃったんだぁ」
「…………」

 うん。知ってる。それはきっと私たちのせい。言い出したのはシモンさんだけどね。
 でもそんな大事なこと、なんでルディンさんはドワーフさんたちに先に知らせてないかなぁ……
 つい八つ当たりみたいなことが頭を過ったけど、そんなこと勿論ドンさんが知ってる分けないし、心配するのは当たり前。
 なんとかその心配を宥めようと、私は思いつくままドンさんに言ってみた。

「そ、それはちゃんと帰ってくるから、うん、きっと大丈夫」
「ああ、ゼッテー大丈夫だろ」

 私と黒猫君、二人でドンさんを安心させようと繰り返したけど、ドンさんたちがまた揃って体を左右に振った。

「もう手遅れ」
「だから知ってる人間に逃げてって伝えたくてなぁ」
「?」

 なんかドンさんの言葉が不穏な響きを漂わせはじめた気がする……
 そんな私の悪い予感は大当たりだった。
 続けられたドンさんたちの言葉に、私たちは全員その場で凍りついた。

「もうすぐ、おっきなドラ神様たちが」
「いっぱい」
「いっぱい」
「いっぱいここに来るって言ってるからなぁ」

 そう言って『勇気ある』ドンさんは、深いため息と共にボワッと最後の一服の煙を吐き出したのだった。
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