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第12章 北の砦

8 もう一つの救済

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 兵舎を出て、狼人族の使ってた洞穴で治療を始めるまで、黒猫君はずっと黙ったまんまだった。カーティスさんとシアンさんも私の補佐をしてくれてる。

 狼人族が使っていたっていう洞穴は以前いた砦と違って、まるで土を掘って作ったみたいにどこもかしこも土だらけだった。山を切り崩した時に狼人族の人たちが自分たちの巣穴用に掘り返して作ったのだそうだ。
 洞穴には100人近くの人が隠れていたんだそうだけど、私たちが到着した時には半数近くが亡くなって別の部屋に移されてて、真ん中の広間には半数程しかいなかった。
 ここにあった村に元々住んでいたという数人を除いて、あとは皆ぐったりとして生きてるのか死んでるのか分からない。黒猫君の話からある程度覚悟はしてたし、匂いは嗅覚を隔離してるから分からないけど、皆さん髪の毛が半分くらいなくなっちゃってて、肌がたるんで頬骨が骨格のままに見えちゃってて。何より、目が濁って見えてるのか見えてないのか分からない人が沢山。
 それを片っ端から手を握って魔力を流していく。
 魔力の流し方は今回シモンさんが教えてくれた。なんてことはない、普通に手を握ってある一定の波形一定の量で相手に流し続けるだけ。元々調節が下手な私でも、一度その一定の量を流すコツを覚えちゃえばあとは簡単だった。

 黒猫君の時はあんなに苦労したのに、他の人には凄く簡単に出来るのが本当に悔しい。
 魔力を流すために握る手のあまりの軽さと細さに胃の辺りがギュウッと痛くなる。それを無理やり抑えこんで相手を見ていると、ある所でフッと頬に薄い紅が射して、瞳が澄んでくる。

 ああ、この人を救えたんだ。

 はっきりと分かるその手応えが素直に嬉しい。
 その様子を横で見てたカーティスさんが信じられないって顔で唸ってた。

「あゆみさん、それで充分ですよ、そこからは普通に養生するべきです」

 シアンさんにそう言われて、後ろ髪を引かれる思いで次の人に移る。確かに治療の終わった人はなんとか身体を動かすだけの体力が戻ってるみたい。動ける人たちが残りの干し肉をふやかしたものを口にあてがうと、チュウチュウとすいながらゆっくりと口に含んでくれる。
 うん、確かに自力で回復できるのかも知れない。
 それに元気づけられてまた次の人の治療に取り掛かる。

 8人目の人で、ちょっと変な感じがした。魔力を送ってるはずなのに、全然手応えがない。それでも治療を続けようとする私の手を引いて、シモンさんが首を横に振ってそれを止めた。

「あゆみさん、私が治療してもいいという相手にだけ、治療することを約束してください」
「え、だって私、魔力量だけはたっぷりあると思いますよ?」
「いけません。よく聞いてください。死に行く者は幾ら魔力を流しても救えません。たとえ今この瞬間に息をしていたとしても、ある一線を超えたものに魔力は効きません。それどころか、あゆみさんの魔力が尽きてしまったら、他の救える者まで死んでしまいます」
「そ、そんな……」

 目の前の男性は、頬がこけ落ちて目も虚ろで。多分私達の話してることも理解できてないはずなのに手を離した途端、私のほうを悲しげに見た気がして。
 と、スッと影が過って黒猫君が私とその男性の間にしゃがみこんだ。

「あゆみ、こいつの手は俺が握っててやるから次行け」

 そう言って黒猫君がもう一度その男性の手をとった途端、その男性がほぅっと安堵のため息をこぼす。
 黒猫君は治療魔法が使えないはず。魔力を人に分けるのも出来ない。

 だけど、そっか。
 この人は怖いんだ。独りで死ぬのが怖かったんだ。
 黒猫君はそれを知ってるから、たとえ救うことが出来なくても手を握ってあげたんだ……

 つくづく、私黒猫君がいるからいつも先に進めるんだなって思い知らされる。自分とは全く違うことを知ってる黒猫君のおかげで、今私は苦しくてもシモンさんの言うとおり、私が救うことが出来る人に集中できる。

「ありがとう、黒猫君」

 目元に溜まった涙は瞬きで飛ばして、そう言葉をかけて私は次に移った。


 治療のできる人の治療だけ終えると、そこにはたった30人ほどの人しか残ってなかった。
 途中でディーンさんが自分の隊の兵士さんたちとやってきて、宿舎が綺麗になってるから連れていきますと申し出てくれたんだけど。
 兵士さんたちが治療の終わった人たちを運び出そうとすると、皆一斉に怯えうろたえながら、嫌がって私を見る。

「い、嫌だ、もうあそこに戻るのは嫌だ」
「巫女様、どうかお救いください」
「兵士なんて、信用できるか!」
「嫌だ、だったらここで死なせてくれ」

 どうしよう、そりゃ今まで散々ひどいことしてきたのは兵士さんたちだし、こう言い出すのは無理もないんだけど。だからって、明日には獣人国に行っちゃう私がいつまでも皆の面倒見ることも出来ないし……

「おい、ディーン。兵士たちにここに今日刈った藁を持ってこさせろよ。あれだけあればこいつらが寝るのには充分だろ」

 突然黒猫君が口を開いてディーンさんたちにそう命令すると、今度は今治療の終わった人たちに向き直る。

「あんたらがキツイ目にあったのは知ってる。たった今まで死にかけてた奴がいるのも分かってる。俺もあゆみもあんたらを助けるためにキール、じゃなかったキーロン陛下がここに送ってきたんだ。今更あんたらを見捨てるつもりはねえ」

 そこで一息入れた黒猫君が、ディーンさんを肩越しに見やってから先を続ける。

「だけどな、ディーンや他の兵士だってもうあんたらを見殺しにはしねえよ。誤解は解けたはずだし、今やこいつらもキーロン陛下の近衛隊長のアルディと秘書官の俺の指示に従ってる。これから皆でナンシーに向かうなり、ここで生活するなり出来るようになるまでは、まずはこいつら兵士の世話になっとけ」

 黒猫君の言葉を聞いてたディーンさんたちが少し情けない顔で頷いた。それを見た農民の皆は、それでもそれぞれ戸惑いながら不安そうな顔で私と黒猫君を交互に見てる。はっきりしないその様子に頭をかきながら、黒猫君が再度口を開いた。

「まあ、そんなことより、まずは今逝っちまう奴らの手を握るの手伝え。あんたらの仲間だろ?」

 その言葉には流石に皆ハッとして周りを見回す。それからそれぞれ言葉もなく、近場で死んでいこうとする人たちの横にうずくまって手を取った。それを見た黒猫君がほんの少し、ホッとした表情で付け足す。

「それと、運び込んだ麦はあんたらのもんだ」
「よ、よろしいのですか?」
「そ、それは……」

 黒猫君の言葉に農民の皆さんはパッと顔を輝かせ、それを聞いたディーンさんと兵士さんたちがギョッとした顔で黒猫君見てる。
 言ってあげるべきだろうか? またすぐ育つんだけどな、麦。
 心配そうなディーンさんたちを横目に、黒猫君がニヤニヤしながら皆に良く聞こえるように農民の一人に尋ねる。

「あんたらなら、道具がなくたってなんとか脱穀できるだろ」
「はい。それはもう。子供らは普通道具なしで足踏みでやってますから」
「じゃあ頼む。出来たら余った麦はこいつらにも分けてやってくれ。それならこいつらの面倒になるのも気兼ねしないで済むだろ」

 ああ、そっか。私や兵士さんたちと違ってプロの農民さんだもんね。そりゃ麦の扱いも知ってるに決まってる。
 黒猫君の提案にディーンさんたちもホッとした顔になり、それを見てた農民の皆も少しだけ安心した顔になってる。
 そこで、今黒猫君が話してた男性がちょっと困った顔で周りを見回しながら再度口を開いた。

「ですが、たとえ籾殻から麦を外してもここでは調理するかまどもありませんし……」

 今かまどが欲しいって言った? 言ったよね!?
 今度こそは私の土魔法の出番だ! ここなら雨も入ってこないし行けるはず……

「それは私に任せて」
「あ、待ってくださいあゆみさん──!」

 そう思って私が声をあげながら手を上げるのと、シモンさんの声が後ろからするのが同時だった。
 シモンさんの声は聞こえたけどちょっと手遅れ。だって単にかまど作るだけだから……って思ったのに、私がウニウニと地面を揺らしだすと、なぜか洞窟全体が揺れだした。

「あ、あれ? なんで……?」
「バカ!! こんなもろい洞窟でそんなことしたら崩れるに決まってるだろうが!」

 私の間抜けな問は、私と今まで話してた男性をガッと肩に担ぎ上げた黒猫君の怒声にかき消された。黒猫君の肩越しに徐々に崩れてくる洞窟の天井と、その中で怯え悲鳴を上げる農民の皆さんが見えちゃって。
 でも恐怖に私が悲鳴を上げる間もなく、慌てふためく皆さんを兵士さんたちが素早く押さえつけ無理やり担ぎ上げて次々に飛び出してく。最後の兵士さんが飛び出した途端、ゴゴゴゴ……という轟とともに洞穴が土煙を吐き出しながら私たちの目の前で崩れ去った。

 外に立ち尽くす私たちはもう、呆然とそれを見てるしかなくて。
 見たとこどうやら動けない人やもう死んでいく人まで全員いるみたい。兵士さんたちが皆を担いで飛び出してくれたおかげで被害はゼロだったけど、こ、これほ、ホントに危機一髪……!?

「は、ハハッ」

 突然、ディーンさんがその場に座り込んで笑い声を漏らした。

「ハハハッハッ」

 と、ディーンさんに抱えられてた男性もディーンさんと見つめ合いながら乾いた笑い声を上げて。

「ハハハハ……」
「アハハハハ」
「フフフ、ハハハハ」

 黒猫君も私とさっきの男性ごと地面に座り込んで笑いだしちゃったし、その男性も笑ってる。

 え、これ私も笑っちゃっていいの?

 すぐに引き込まれるようにその場にいた全員、地面に転がって止めどもなく笑い続ける中、一人私は自分のやらかした大失敗に、消しいる思いでちじこまって小さくなるしかなかった。

 その笑いもやっと一段落したところで黒猫君が立ち上がり、周りを見回してサッパリした顔で宣言する。

「ああ、悪いが前言撤回な。俺たちも一緒に行くからやっぱ宿舎に戻るぞ」

 今度ばかりは文句を言う人は一人もいなかった。


 宿舎に農民の皆さんを運びこみ、兵舎に戻ると私を部屋まで運んでくれた黒猫君が「1時間くらいで戻る」ってだけ言って出てっちゃった。一体何しに行ったんだろう?
 おいていかれた私は仕方ないので部屋を見回す。ああ、そう言えばあの宝箱みたいな箱が凄く気になってたんだよね。それに手を伸ばして錠前みたいな鉄のゴツゴツしたのをいじくりまわしてると、部屋の戸がノックされて兵士さんが夕食を運び込んでくれた。
 つい、農民の人たちのご飯が気になって尋ねると、結構若いその兵士さんは少し困った顔で私を見ながら運んでますと答えてくれる。

「言い訳にしか聞こえないかもしれませんが」

 私の心配が伝わったのか、そう言いながら兵士さんが私の食べ物を見ながら言葉を続けた。

「別に我々だってみすみす彼らを死なせるつもりはなかったんです。ただ、食料があっという間に底をついた時点で、ジェームズ大佐の指令のもと、食料は厳しく規制されまして」
「え、でも皆さんは食べるものあったんじゃないんですか?」

 少し、嫌味になっちゃったかもしれない。だって、あの洞窟の様子を見ちゃったあとじゃそれも仕方ないと思う。この兵士さんだって痩せてはいるけど、決してあの洞窟にいた人たちみたいな骨と皮って訳じゃないし。
 でも私のそんな問に、その兵士さんも力なく頷いて答えてくれた。

「一部の上官を除いて我々兵士も農民同様オークの肉を調理して食べてました。我々の中には腹を下す者が結構出ましたが、僕や今生き残ってる兵士はなぜかまるっきり問題なくて。腹を下した者も、マーク中佐が一日二日面倒を見て下さると皆元気になって戻ってくるので安心してたんですが、今考えるとあれは……」

 顔色をなくして言葉を切った兵士さんに、私はもう掛けられる言葉も見つからず、俯きながら持ってきてもらったジャガイモとお肉のスープを頬張った。
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