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第12章 北の砦

7 残された者

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 元マークさんのお部屋は結構広かった。シーツは掛かってないけど袋状のものに何か詰め込まれたベッドは充分大きくて二人で寝られそうだし、机も椅子もある。その横には荷物箱らしきものが2つあって、前が鍵穴のない錠前みたいなもので留められてた。
 さっき下で扉もない部屋の中が見えてたけど、ここの半分くらいしかなかった気がする。マークさんが偉いのは分かるけどこの差はあんまりじゃないのかな。

「あゆみ、お前にちゃんと話とかならねえことがあるんだ」

 部屋に入ってベッドに私を抱えたまま座った黒猫君が、なんか難しい顔で私を覗き込む。
 黒猫君がこんな改まって話すとか珍しいな。

「あのな、今回の救出作戦でほとんどの生き残った農民はディアナたちと南にむかったんだけどな」

 そこまで言って黒猫君が眉を寄せて言いよどむ。

「あの時点でもう弱り過ぎちまってて、あいつらに乗って送り出せなかった奴らがいたらしい」
「え……」
「その他にも、元々ここにあった村に住んでた連中がやっぱり南に向かわなかった」
「……どこにいるの?」

 黒猫君がこんな歯切れの悪い言い方をするからには、多分私が困るか悲しむと思ってるって事。だったら多分いい話じゃないんだと思う。そう、覚悟を決めて聞き返す。

「ここを出る前にアルディたちが狼人族の奴らが使ってた洞穴に運んだらしい。あそこなら兵士たちが探しに行く可能性も少ねえし」
「だってそれ一昨日の話……」
「ああ。下手したら戻れないことはそいつらも承知の上だそうだ」
「知ってるって……じゃあ、もしかしたら私たちが来れないかもしれないって分かってて残ったってこと?」
「そうだ。アルディたちが持ち込んだ乾燥肉の残りと瓶に入れた水も置いてきてはあるはずだ」
「でも、治療は出来てないんだよね?」
「……いくらシモンでも、あそこにいた農民の大多数に魔力を流して体力を回復させるには、ある一定以上ひどい状態の奴らを切り捨てるしかなかったらしい」

 言ってることは分かる。実際それしか方法はなかったんだと思う。考えようによっては、私はそこにいなくて、その辛い判断を下さないで済んだんだって分かってる。分かってても。
 もっと早く知ってたら。昨日ここに来れてたら。今朝、少しでも早く来れてたら。もしかしてまだ救える人が増えてたんじゃないだろうか。

「過ぎちまったもんを考えあぐねいても仕方ねえぞ。アルディだって、今日までディーンたちがどう出るか分からなくて、わざと俺たちには黙ってたんだ。俺だって兵舎にもう傀儡の残りがいねえか確認するまではお前を連れてこれなかった」

 私の悩みを見透かしたように、黒猫君が私の頭をポンポンと叩きながら私の顔を覗き込む。黒猫君、ほんとにどうして君はこう私の心が救われる言葉をそんなにいっぱい知ってるんだろう。
 少しも視線を逸らせないで私を見てくる黒猫君は、まるでそうやって私の苦しさを自分に受けとろうとしてくれてるみたいで、胸がキュッとする。

「うん……ほんとだよね。じゃあ今できること。その人たちの所に私も連れてってくれる?」
「ああ、そう言うと思った。シモンが必ず一緒に連れてけって言ってたから下に行ってあいつも捕まえよう」

 そう言って黒猫君が、私を抱え直して立ち上がった。

 黒猫君に抱えられて下に行くと、アルディさんがディーンさんと厳しい顔で話してる。なぜかベンさんが一緒に立ってた。

「ああ、ネロ君ちょっと来てください。今、ベン殿の報告を聞いてるところなんですが……」
「オーク牧場と逃げてったオークどもの様子を見に西の森に入ったんだがな」

 アルディさんに促されて説明を始めたベンさんが、そこで一瞬眼をギラつかせて先を続ける。

「そこでちょっとマズイもん見つけちまった。ここの鉱山の裏に結構な数のドワーフが武装して隠れてやがる」
「結構な数ってどれくらいだ?」
「森の中だったからはっきりは分からないが、多分数百はいるな」
「そ、そんなに……」

 黒猫君の問にベンさんが答えるのを聞いて、ディーンさんが思わずといった様子で呟いた。

「それでオークのほうは?」

 すぐに黒猫君が気を取り直して尋ねると、ベンさんが余計顔を曇らせて先を続ける。

「牧場はやっぱり空だった。だが結構な数がかたまって西に移動してる。昨日よりはかなり数が減っちゃあいるが、あのままだと西の獣人国がマズイ。あんたらにこれだけ伝えてやろうと思って一度戻ってきたが、俺はこのあとすぐ獣人国に向かうつもりだ」
「ま、待ってください。獣人国に行ってどうするんですか?」

 言うだけ言ってそのまま兵舎を出て行こうとするベンさんをアルディさんが慌てて引きとめる。

「どうするも何も、獣人国の兵に対応させるに決まってるだろう。前もって知っていればあちらはなんとでもなるさ。ただし……」

 そこで突然らしくない厳しい視線で黒猫君と私を交互に見たベンさんが言いにくそうに続ける。

「今回の件が結果的には北ザイオン王国、ひいてはキーロン王の責任として認識されるのは避けられんだろう。それは覚悟しといたほうがいい」

 え、そ、そんな。キールさんは何もしてないよね?
 それどころか、ここの農民や狼人族を救おうとしただけだよね?
 なのにオークの問題までキールさんのせいになっちゃうの?
 経緯を何も知らない獣人国にとっては仕方ないことなのは分かるんだけど、それでもその理不尽さに戸惑う私の横から黒猫君の冷静な声が響く。

「待ってくれ、だったらこっちからも誰か一緒に連れてけねえか?」
「ネロ君そうは言いますが、ここにいるのは兵士だけですよ。本来そのような役割は文官でなければ無理でしょう」

 すぐにアルディさんが眉を寄せて黒猫君に忠告すると、黒猫君がうーんとうなって天井を仰ぐ。

「……参ったな。ドワーフに獣人国両方一緒とかどうしろってんだ?」

 珍しく黒猫君が弱音を吐いた。
 黒猫君、これで意地っ張りだから文句は言うけど弱音は吐かないんだよね。それは最近やっと分かってきた。なのにそう言うってことは、やっぱり今ベンさんが一人で行っちゃうとキールさんの立場がかなり不味くなるってこと。
 で……多分私は、私だけはこの解決策を知ってる。っていうか黒猫君も知ってるはずなんだけど、多分彼は絶対わざと無視してる。
 今私が言い出さなければ、それで済んじゃうかもしれないけど、そして私もほんの少し、そうしようかとも思っちゃうんだけど。
 今までの私の周りのみんながしてくれてきた精一杯を知ってるから、私は今、このままやり過ごすことは選べなかった。

「……黒猫君。私が獣人国に行ってこようか?」
「…………」

 おずおずと申し出た私の声を聞いた途端、黒猫君がピクンとして耳が垂れた。こういう時、黒猫君の耳は誤魔化しが効かなくてありがたい。少なくとも、私の想像は正しかったらしい。黒猫君は私がこれを言い出すのがよっぽど嫌だったんだ。
 でも、だったら逆に言えば黒猫君自身もこれが最善だってわかってるってことだよね。そう解釈した私は、安心して先を続けた。

「私、ここにいても戦闘の役には立たないし、掃除もものを運んだりするのも無理だし。その点、一応これでも秘書官なんだしキールさんの事情は一番よく知ってるから説明もできるし──」
「でしたら私も行きますよ。獣王国にはしばらく顔を出してませんし」

 私の言葉が終わらないうちに、シモンさんが口を挟むと、途端黒猫君から真っ黒なオーラが立ち上がった。それを理解してかしないでか、 アルディさんが頷きつつあとを引き取る。

「ああ、あゆみさんならキーロン陛下の秘書官ですし、資格は充分ですね。シモンさんが一緒でしたらおかしなことにもならないでしょうし」
「待ってくれ」

 アルディさんまで乗り気で答えるのを聞いてた黒猫君が、絞り出すように口を開いた。

「頼む、一晩待ってくれ」

 黒猫君のあまりに切羽詰まった様子にベンさんとアルディさんが困った顔でこちらを見てる。
 うーん、黒猫君。私が一人で行くの、やっぱり心配なのかな。そりゃ心配だよね。だけど、多分それしかないのも分かってるんだと思うんだけど。

「いいでしょう。ベン、出発を明日の朝にしてください。心配いりません。貴方がご自分で走り続けるよりもずっといい手がありますから」
「本当だな?」

 短く確認の言葉をかけるベンさんにシモンさんが自信たっぷりに頷いてる。その様子にちょっと気を抜いて溜息をついた黒猫君が、「ならまずは残った奴らの治療に行くぞ」と言いおいて私を抱えたまま背を向ける。「残った者とは……?」と疑問の声を上げたディーンさんに説明を始めるアルディさんを背に、私たちはその場をあとにした。
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