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第11章 北の森

18 合流に向けて

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「なあ、まだ北に行くのか?」

 あの後しばらくしてアントニーさんの背中の上で目を覚ましたケインさんは、やっと舌を噛まずに話せるようになったらしい。少しソワソワしながら私たちに話しかけてきた。

「ああ、まだ川幅があり過ぎる。あともうちょっとだな」

 バッカスが崖の下の川を見下ろしながら答えてる。あれから多分1時間ほど走ったと思う。森は様相を変えてすっかり急な斜面が増えてきてた。お陰でたまにバッカスたちが無理やりジャンプで距離を稼ぐのは怖いけど、走ってる時のスピードは落ちて進みが遅くなってきた。
 ジャンプの時に覚悟決めればディアナさんたちと一緒の時みたいにスピード出されるよりは少しましかな?
 川も途中たまに小さな段差の滝を繰り返してるけど、私たちが走ってるところからは既に5メートルくらい下になってる。
 そのせいで、川幅自体は狭くなってきてるのに崖から崖でまだ飛びつけないでいるんだよね。

「これ本当に飛び移れる場所あるんだろうな」

 黒猫君が少し心配そうにそう言って先の方を見渡してる。

「大丈夫だ。俺の眼だとこっから15分もしない所に一か所飛び石が見える。あそこなら多分渡れる」

 そう言う見るバッカスの目はやっぱり黒猫君より先が見えてるらしい。

「じゃあその前にあそこの平地で一旦休憩いれるか」

 そう言って黒猫君が指さしたのはすぐ少し先に見える丘の天辺。でも黒猫君がそう言った途端、ケインさんが顔をしかめた。

「平地はオークが動きやすい、遭遇すると危ないと思うぞ」
「そう言うけど俺たちよりケイン、あんたが一番疲れてるだろ」

 さっきっからケインさんの顔色は決して良くない。気絶もしなくなったけどやっぱりあんなジャンプは今までされた事なかったんだろうな。

「だ、大丈夫だ……このまま…うっぷっ」
「お、おい、背中の上で吐いたら振り落としてとどめ刺すぞ!」

 あ、珍しくアントニーさんが焦ってる。

「やっぱりちょっとだけ休憩しよう。アントニー、少しスピード落としてやれ。俺は先に行って見てくる」

 結局バッカスがそこからちょっとスピードを上げたから私も私で胃が込み上げてくる。
 黒猫君、君はどうして平気なの!?

「あゆみ平気か」

 丘の天辺でバッカスの背中から降りると黒猫君がすぐに私を地面に座らせてくれた。さっきよりは距離が短かったから吐くところまでは来なかったけど、やっぱり苦しい事に変わりはない。

「待ってろ、今水やるから」

 そう言って黒猫君が手荷物の中から小さな皮の袋を出してそこに自分の水魔法で水を入れて手渡してくれた。自分でも水は出せるけど、確かに今手から飲むのはキツイし本当に助かる。

「ありがと黒猫君」

 私が水を飲んでる間に、バッカスは一回りその丘の上の空き地を周ってきてくれた。

「特に怪しい奴らは見えねえな。ただ確かにオークの匂いは残ってる」

 バッカスが戻ってきてそう言うと、ちょうどアントニーさんがゆっくり丘の下から近づいてくるのが見えて3人でそっちを振り向いたその時だった。
 ヒュン、と何か飛んできた。
 一瞬私はオモチャ投げたの誰、っと思って振り返ろうとして……

「あゆみ馬鹿!」

 振り返った目の前に黒い影が出来たと思って、見上げるとバッカスだった。バッカスが狼になって私の後ろに立ち上がってた。
 そしてその手前に黒猫君……が……え?

「黒猫君?」
「あ、ゆ、み、はし、れ……」
「や、やだ……」
「はや、く……」

 目の前に立つ黒猫君のお腹に、矢が飛び出してる。
 赤く染まった矢が、私のほうに向いて、黒猫君のお腹から、飛び出して……

「バッカス、や、どうにか、助けて、助けてバッカス、黒猫君が死んじゃう!」

 その時の私は、多分一人だけ状況が見えてなかったんだと思う。後から考えればバッカスはすでにギリギリまで追い詰められてたんだと思う。だって多分私は黒猫君のことでいっぱいで、遠くから鳴り響く雷の音に気づいてなかったから。私の叫び声に本格的な落雷の音が混じって、黒猫君の向こう側でバッカスが飛び上がった。
 そこで初めてバッカスのその向こうに迫りくるオークの群れが見えた。丘の反対側斜面から続々とのぼってきてるあれ、あれがオークなんだよね?
 あんまりファンタジーとかの知識がないから自信ないけど、確かオークは豚みたいだって黒猫君たちがいてったと思う。だからもしその口からイノシシの牙みたいなのが生えてなかったら、私はそれがオークだとは思いもしなかったかもしれない。
 どちらかと言えば、醜い禿げた犬?
 毛がなくて、色は灰色で、頭とか顔とか身体とか、どこもかしこも皮がユルユルで。皺だらけでそれが動くたびに引き攣れて、見ててとっても気持ち悪い。
 その姿におぞ気が走って、私はまたもそこで動けなくなっちゃった。

「ぞ、族長!」

 突然、アントニーさんの叫び声が後ろから響いて、やっと我に返った私が振り返るとさっきと同じ場所でアントニーさんも動けなくなってる。
 気づけば落雷の音がさっきより大きくなってる。多分アントニーさんもこれがまだ怖いんだ。背中に括りつけられたままのケインさんも青い顔を驚きと恐怖に歪ませてこっちを見てる。

「アントニー、逃げろ!」

 そこでバッカスの震える叫びが横で響いた。その怒声に呪縛を解かれたようにアントニーさんが身を翻《ひるがえ》し、ケインさんを乗せたまま真っすぐに走り去る。
 と、突然また後ろから影が迫ってきて、それが黒猫君なのに気づいた私は慌てて崩れ落ちる黒猫君を何とか抱えこんで。
 そっからは全部一瞬の出来事だった。
 バッカスが私を咥え逃げようと屈みこみ、私は黒猫君にしがみついてて、バッカスが私を咥え損ねたところで地面が崩れだした。

「ネロ! 馬鹿お前どこでやってるか考えろおおおおぉぉぉぉ!!!」

 落下しながら遠ざかっていくバッカスの叫びは、多分黒猫君には届いてなかったと思う。私の腕の中の黒猫君はもう、ピクリとも動かず。温かい黒猫君の血が私の手と膝に滴り始めて。
 周りでは黒猫君と私を中心に丘が崩れ始めてた。
 バッカスが崩れる丘と一緒に崖を転げ落ちていくのが目の端に見える。
 前にウイスキーの街でクレパスみたいなところに皆落ちてったってキールさんが言ってたの、こういう事だったのか。
 ただ、今回は場所が場所だから、クレパスにならずに私と黒猫君の真後ろで崖崩れのように全てがただ下に向かって雪崩のように落ち続けてる。
 バッカスは落ちながらも器用に崩れる岩を渡り歩いて、アントニーさんたちがさっき逃げていったのと同じほうに向かってる。丘は私たちを中心に崩れてるからどうしてもこっちには戻って来れないらしい。

「あゆみ後ろ! ジッとしてるな、動け!!!」

 呆然と成り行きを見つめてしまってた私にバッカスの怒声が届いた。やっと気づいて慌ててオークのいたほうを振り返る。見ると前方も後ろ同様右の川に面してる方が崖崩れになってて、その中に沢山のオークが混じって落ちてっちゃうのが見えた。
 でもそれにも負けず、森の奥になる左側から亀裂に落ちなかった数匹がこちらに向かって地面を這って近づいてきてるのが目に入った。
 そしてそのうちの一匹が黒猫君に刺さったのと同じ矢をつがえた弓を構えて、こっちを狙ってるのが見えて。
 それを見た私は迷わず手をあげた。
 これ以上黒猫君を傷つけさせない。
 そう思った私は、それ以上何も考えずに前に突き出した手から思いっきり光魔法を飛ばした。

 そしてその次の瞬間。それは、私がその時頭に思い浮かべた意図とは全く違う結果をもたらしてた。

 狙われたあの時、私は何とか目くらましが出来ればいい、そう思ったと思う。
 だけど、下手に調節を覚えちゃった私の光魔法は、多分、自分が思ってた以上に強力過ぎたみたいだった。
 私の手から飛び出した光魔法は、まるで夜空に向けた懐中電灯みたいに少し末広がりな真っ白い一本の光になって目の前を走り去った。
 一瞬のそれは実際には真っ白い光の輝きにしか見えず、瞬きのように目を焼きつかせて光はすぐに消えた。
 焼き付いた視界が数回の瞬きの後元に戻ってくると、その先が全部なくなってた。
 目の前に来てたオーク数体は……消えちゃってた。それだけじゃなく。
 木も、草も、オークも、丘も、土も、岩も何もかも。
 もっとちゃんと説明すれば、目の前の丘の天辺が三日月のように丸く削れてて、その上は木どころか森がすっかり消えちゃってぽっかりと視界が開けてて。
 その向こうにはかなり離れた次の丘の傾斜が見えて、そしてそこに小さな丸くて黒い穴が見えた。

「ピキーーーーーー!」

 突然の叫び声に我に返ってみると、どうやらさっきの光の間際にいたオークが、自分の腕がなくなってるのにやっと気づいてヒステリックな悲鳴を上げたらしい。すぐにその周りにいた数匹が同様に悲鳴を上げだした。

 だけど実は私、すぐにそっちはほっぽらかしちゃった。
 だって、その時私の足のすぐ上で、崩れ落ちてた黒猫君の身体が……どんどんしぼみはじめて。
 だめ、今猫になっちゃダメ、矢が、太すぎるの、死んじゃう!
 そう思って私、無我夢中で矢を握って、思いっきり力を入れて黒猫君の背中の後ろで二つに折って。
 しぼむ黒猫君の胸から残った矢を引き抜きながらシアンさんに教えてもらった外傷治療魔法を背中から流して。
 表面は確かに傷が塞がったんだけど、でも、これじゃ多分中までは治せてない。
 中はどうすればいいの?
 一生懸命魔力を流して、一生懸命治療してるのに、黒猫君の身体の下には血の海が出来てきてる。
 胸のほうから矢が抜けきった瞬間。
 私はすぐそっちに手を当てて、吹き出す血をさえぎりながら外傷治療魔法を中に向かってかけてみた。
 こんな事、習ってないし出来るのかもわからない。
 だけど、今これをしなかったら黒猫君が死んじゃう、そう思うと他に何も考えられなくなって。
 だからもう他の事は一切考えるのを止めた私は、オークの叫び声を全部無視して全ての神経を自分の手と黒猫君の身体だけに集中して。そして私はただただ一心に魔法を流し続けた。
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