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1章 思い出は幻の中に

3 憧れは夢の彼方に ― 2 ―

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 アーロン様が語られた残念なお知らせに、一体何をどう答えればいいのか全く思い浮かばず、私はショックと自分の不運をかみしめつつうつむいてしまい、危うくアーロン様が続けた言葉を聞き逃すところだった。

「諸事情で私はこの屋敷に来る用事があったのだが、今回の顛末を耳に挟み、代わりに私が君に会うことを進言した」

 アーロン様の言葉に一条の希望が射したように思え、私ははっと顔を上げた。

「残念だが、私が君の面接をすることはできない」

 そこで一息入れて、また続ける。

「だが、君にある提案を持ってきた」

 ごくりっと、私が唾を飲む音が聞こえた気がした。

「君は私を知っているだろうか?」

 モチロン知っています!

 手を上げて叫んでしまいたいが、それは心の中だけに収めて、私は返事を返す。

「あなた様が、かの名高いアーロン大魔導師様であられることは存じております」
「そうか。では私が城で魔道騎士団団長及び、王宮魔術筆頭顧問を拝命していることも知っているだろうか?」
「はい」
「ならば話が早い。実は、ここ数か月、私が研究を重ねている古代魔法が広範囲に影響を及ぼす可能性がある事が判明し、急遽人里から離れた場所に新たな研究施設を増設しなければならなくなった」
「はぁ、」

 なんか、難しい話になってきた。

「幸い、この地に使われなくなった国有物件がある事は以前人づてに聞き知っていたので、すぐにこの屋敷を接収し今後私の第二研究施設として手を入れることが決定した」

 アーロン様は外に目をやりながら続ける。

「新しい研究施設はなるべく人里から離れている必要がり、また相応の大きさと、少しぐらいの振動ではびくともしないしっかりとした土台が必要とされる。ここはまさに条件にぴったり当てはまる」

 窓に顔を向けるアーロン様の横顔は庭の向こう側にそびえたつ森の木立の間から差し込む光に照らされ、象牙のような肌にその漆黒の瞳が輝き、まるで彫刻のようだ。

 話をよそについ見とれてしまう。

「さて、この屋敷は既に数年人の手があまり入っていない。施設が本格的に始動するまで、ここを管理し、また私が滞在する間、私の身の回りの世話をできる人間が必要だ」
「え?」
「しかし、この施設や私の作業の性質上、魔術関連の知識が全くない者にこの屋敷を任せるわけにもいかない。かといって、王都から誰か連れてくるのも困難だ」

 それはそうだ。
 王都からここまでは馬車や馬の旅でも一ヵ月以上かかる。
 その上、王都の華やかで便利な生活に慣れてらっしゃる魔術師の方がこんな何もない田舎で我慢できるとも思えない。

「そこで君だ。君は魔道騎士団に志願したようだが、残念ながら本来魔道騎士団は近衛隊各準騎士団、王都警備隊、または王都近郊警備隊に数年所属後、その魔力量、知識、戦闘能力などを高く評価されたものが数名の隊長職と高位騎士の推薦をもって初めて選別に加えられるものだ。今回の面接も君の魔力量がよほど莫大だとでも言うのでなければ、単なる冷やかしで終わっただろう」

 あぁ、そうだったんだ。

 私の中にあった大きな期待や希望がパチンっと音を立てて弾け飛んだ。
 無知の為とは言えあまりにも的外れな期待であった事に気付かされて恥ずかしさと悔しさで唇を噛む。

「しかし、君は地方所属とはいえ少なくとも初等教育を終了し最低限の魔術的知識を得ており、一通りの魔術的常識を身に着けているようだ。そこで、もし君が先ほども述べた様に、この施設の管理や私の身の回りの世話をすることが嫌でないのであれば、この地域限定ながら臨時として私の専属見習いという名目で雇い入れたいと考えている」

 その一言で、私は目の前がパァーっと明るくなるのが見えた。

 すごい、私、アーロン様の専属見習いになれるんだ!

 驚く私に畳みかけるようにアーロン様は続けた。

「雇用に際しては、君の将来の希望を考慮し、魔術師としての成長を助けられるよう、時間が許す時に私が指導する事を約束しよう。またこの施設内の守秘義務を徹底するためにも君には屋敷に住み込みで働いてもらう。給金は王都の使用人を基準にして週銀貨5枚。年末に追加で銀貨3枚。一年ごとに契約の見直しを行う」

 アーロン様の口から語られる、今まで考えた事もない様な好条件の連続に私は目の前がクラクラし始めた。

「あ、あ、あの、私、私で本当によろしいのでしょうか?」

 言ってしまってからしまった、っと心の中でつぶやいた。
 あまりの好条件につい、不安になって聞いてしまった。

 これでだめだと言われたら私は地の底まで落ち込んでしまう。

「……私が必要とする条件を満たせるのは君だけだと思うんだが?」

 言われてみると、確かにその通りだった。

 私の通っていた学校でもこの地方全体でも現在魔力を持ち、学校で少なくとも国指定のカリキュラムを終了したものは他に居なかったはず。
 まあ、決してずば抜けた成績だったわけではないのだが。

「それでは返事をもらえるかな?」
「よろしくお願いしますっ!」

 私は今度こそ即答した。

 アーロン様はふむ、と一度頷き懐から何やら羊皮紙や羽ペンなどを取り出して順番に二人の間にあるコーヒーテーブルに並べていく。
 続けて目の前の羊皮紙を私のほうに向けて話を続ける。

「では、ここに、君の雇用条件を並べた書類が準備してある。よく読んでサインをしてほしい」

 私はこの大きな幸運に我を忘れ、忠告を聞き流し、立派な羊皮紙に目がくらみ、内容を読むのもそこそこに震える手でサインした。

 実は難しい言葉が多くてあまり意味が分からなかった事もある。
 それでもアーロン様が提示された書類だ。
 間違いなどあるはずがない。

 私のサインが終わったとたん、羊皮紙がピカッと光った。

 表面を舐めるように虹色の光が移動し全ての表面をかざすと、羊皮紙が勝手にクルクルっと細く巻き上がり、そのままヒューっと縮んで小さな塊になったかと思うと、カチンコチンに固まる。
 スッとその小さくなった塊をアーロン様の手が掬い取り、内ポケットにしまわれた。

「はーぁ。やっと終わったか」

 突然、アーロン様の様子が豹変し粗野な声がした。

 今までの優雅な身のこなしを脱ぎ捨てるようにドカッと椅子に座り直す。

 その顔もさっきまでの真面目な面持ちがどこにも見当たらず、代わりにやけにぶっきらぼうなしかめっ面になっている。

「ほんっと手間がかかった。まあ、これで当分問題もないだろ。おい、お前、アエリアだったな、まずその小汚い服を脱げ」
「へ?」

 あまりのアーロン様の変貌に呆気あっけに取られていた私は、今言いつけられたことがまるっきり理解できなかった。

「その服をぬげって言ったんだよ。あ、その靴もな」
「え? え?」
「何やってんだ、とっととしろ。今日はあんまり時間がないんだ」

 理解を超える状況にあたふたとする私をアーロン様は引きずるように立ち上がらせ、ずりっと着ていた私の一張羅を引きはがす。

 これでも今日は面接のために、私が持っている服の中で一番上等な麻のワンピースと先月買ったばかりの木靴をはいてきていたのだ。
 見られることは無論考えていなかったが、心構えにと、下着だって、新品の内着うちぎと下ばきをつけている。

 そんな事はお構いなしに、アーロン様は紐で縛り上げてあった私のワンピースを引きはがし、靴も取り上げ、どちらも先ほど火を入れえた暖炉に投げ入れてしまった。

 ひぎゃー!

 私は下着一枚になってその場にしゃがみこんだ。

「その下着もないな。脱げ」
「い、嫌です」
「手間をとらすな」

 縮こまってやり過ごそうとする私を、片手を私の腹とひざの間に突っ込んで荷物の様に持ち上げて、クルックルッと器用に下着をはぎ取った。

 裸に剥かれ、あまりの恥ずかしさに真っ赤になっる私を横目に、はぎ取った下着類もやはり火にくべてしまう。

「これに着替えろ」

 そういって、ソファーに転がされ、ついでにバサバサと服を投げつけられる。
 振り返れば、アーロン様は火にくべた私の洋服を鉄の火かき棒で突っつきまわしている。

「……」

 こちらに振り向く様子がないのを確かめて、私は素早く投げつけられた洋服を身に着けた。

 急いで着こむ私にだってわかる。
 これ、全て最高級品だ。

 薄く透けて見える下着のひやっとする付け心地は多分、絹と呼ばれる貴族の方々が使われる素材だろう。
 しかも普通の太もも辺りまで隠してくれる下ばきとは違い、尻の少し上ぐらいまで切り上がるように小さい。
 その代わりに、尻の線に沿ってひらひらと細かく編み込まれたレースが縁取っている。

 上身も、今まで使っていたような厚みのあるうちぎとは違い、防寒などまるで考慮していない、ひらひらと薄い生地で、肩の部分などリボンのような紐でできている。
胸の下の辺りにリボンがあり、胸を強調するように胸の下できゅっと結わけるようになっている。

 真っ白なシャツは乱暴に投げつけたにもかかわらず皺一つなく、濃い藍色のスカートはまるで私のサイズを測って作ったかのように私のウエストにぴったりと沿う。
ひざを軽く隠す長さで決して華美なものではないが緩い光沢があり、非常に着心地がいい。

 それに薄手のグレーのカーディガン、そして真っ白いエプロン。
何と革靴まであった。

 私の人生でこんなに高価な洋服を身に着けたのはこれが初めてだった。

「あの、アーロン様? これ、とても私には見合わないと思うのですが?」

 声を掛けるとアーロン様はゆっくりと振り返えり、私を上から下までじっくりと見た後、少し微笑んだ。
 びっくりして私はその微笑みに見入ってしまった。

 アーロン様が微笑んでいらっしゃる!
 誰も見たことが無いといわれたその微笑みを見てしまった!

 その整った顔は微笑んだ事でまるで天上の光のように輝き、私の心を舞い上がらせた。

 そんな私の思いを次のアーロン様の一言が思いっきり裏切った。

「確かにな。まあ、少なくともこれで見苦しくはない」

 その微笑みとその言葉、全然合ってない!
 心躍らせ喜んだ私の一瞬を返せ!
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