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急に訪れたひと時の静寂に、ももはは恐る恐る身を起こした。
自分を見下ろす男の目が怖い。
結果的に自分はまだ生きている。
だが、目前に立つのは、あの乱暴だった男たちを一瞬で葬り去った相手だ。できれば関わらないほうがいい気もする。
そんなももはの気持ちなどお構いなしに、冷たい金の瞳は逸らされることなくじっとももはの顔を見つめていた。
仕方なく、ももはもおずおずと見返す。
あまりにも整いすぎたその顔は、いっそ冷たく恐ろしい。
人間離れしたその容姿もそうだが、見たこともない真っ白な着物に真っ白な帯を締め、銀糸で龍の刺繍があしらわれた美しい羽織を肩に引っ掛けている。
その肩と背を滑るように広がる滑らかな白髪は、ところどころ銀色に輝き、見たこともない美しい金の瞳の奥で瞳孔が縦に伸びているのが見て取れた。
とても美しいが、見れば見るほど普通じゃない。
じっと見上げていたももはの視線を遮るように、こんな凄惨な場所にそぐわぬ優美な仕草で扇を広げた男が、その口元を隠してももはに聞いた。
「小娘、この中に家族でもおったか?」
ブンブンと首を振って否定するももは。
ももはの反応に眉を寄せ、男が再度尋ねてくる。
「じゃあなぜ泣いている」
そう指摘され、自分が泣いていることに気がついた。
ちょっと考えて、ももはが返す。
「怖いから」
「何が怖いのだ」
(何って、何だろう)
あまりに色々ありすぎて、頭が回らない。
「全部」
かろうじてそう返した途端、なにか張りつめていたものがプツリと切れた。
本当にそうだ。
すべてが怖い。
自分がどこにいるのか、ここがどこなのか、何が起きているのか、何で沢山死んでるのか、死にそうになってるのか──
「なんで、なんで私がこんな目にあうの。もうやだ、帰る」
帰る、そう口にはしたものの、帰り道なんてわかりはしない。
それでももうボロボロの今のももはには、そんなことを気にするほどの心の余裕はなかった。
「帰り道がわかるのか?」
案の定、男がももはに聞き返す。
「……わからない」
口にしたくなかった事実を口にして、またボロボロと涙があふれだした。
まるで子供のようなももはの返答に、やがて男が静かにため息をこぼす。
そんな仕草さえも、美しい顔のせいでやけに優雅に見えた。
「こちらへおいで」
まだ地面に座ったままのももはに、男はただ静かにそう告げた。
手を貸してくれるわけでもなければ、同情しているようにも見えない。
かといって、危害を加えるつもりもなさそうだ。
ももははももはで、今は自分のことで手いっぱいだった。
自分の姿を見下ろせば、見るも無残なことになっている。
引き破かれて下着が露出したシャツをかき寄せるが、ボタンが飛んでいて止められない。スカートはところどころ割けて、どこもかしこも血と泥にまみれて汚れていた。
自分の手にも、乾いた血がこびりついている。
またも恐怖で手が震えだした。
だがそんなももはを男はまだ静かに見下ろしている。
急かすことなく、かといって対して興味もなさそうな目で、ただじっと見ているだけだ。
なぜかそれがももはの心を落ち着かせてくれた。
落ち着いてよく考えれば、見た目は血だらけで酷いありさまだが、どうやら痛いところはほとんどないようだ。
さっき転んだときに擦りむいた手の甲と尻もちをついたお尻くらい。
血に濡れた手をボロボロのスカートの裾で拭いてみる。
水がないと全部は落とせそうにない。
少し綺麗になった甲で頬の涙を拭うと、やっとのことで立ち上がる気力が湧いてきた。
のっそりと立ち上がり、男の前へと歩みでる。
男は並ぶとももはよりも頭一つほど背が高い。
少し見上げるようにして前に立てば、男は無言で羽織を脱いで、ももはの肩にふわりとかけた。
「お前、名は?」
決してやさしくも、冷たくもない声で男が尋ねる。
邪心もないが、自分への興味心も感じられない。
それが今は心地よい。
ほんの少し緊張が解け、ももはは自分の名を告げようとして──
「ももは。私は、……あれ?」
──フルネームを言おうとして、はたと口が止まる。
私の名字……なんだった?
そんな当たり前のことを思い出せないことが、ももはをよりひどいパニックへと追いやっていく。
なんで、何が起きてるの?
不安と恐怖がぶり返し、またも顔がゆがんで涙が頬を伝う。
「どうした?」
「名字、私、自分の名字を思い出せない」
目前の男への畏怖よりも、自分がそんな当たり前のことを思い出せないことへの恐怖がももはの中で勝った。
思わずポロリとこぼすももはの言葉を拾って、男が目をすがめてももはを見る。
「名字とな。やはりお前は武家か公家の娘か」
「え?」
男の喋り方がおかしいのか、ももはには言っている意味が分からない。
男は男で首をかしげてももはに問い直す。
「姓があるのだろう。ならばあの村の姫か?」
「姫ってそんな。私そんな美人じゃないし」
「またわからぬことを」
どうにも二人の話がかみ合わない。
「小娘、ではお前の親はどこにおる」
そう尋ねられ、答えようとして再び頭が真っ白になった。
「うちの親……まって、お母さんとお父さんの顔、思い出せない」
思わず叫び出しそうになりながらも、ももはは懸命に自分の記憶を辿っていく。
自分にはちゃんと母と父がいることは間違いない。
それは思い出せる。
なのに、その顔や名前を辿ろうとすると、まるで記憶に靄がかかったように思い出せないのだ。
ももはが自分の記憶と悪戦苦闘する一方、男は男でももはのあやふやな答えを自分なりに解釈したようだ。
扇の向こう側でため息をついたのち、不愛想につぶやく。
「親もなく、帰り道もわからぬと」
正確には少し違うのだが、今のももはにそれをいちいち訂正する気力もない。
震える体を抱きしめながら、男を見上げ答えた。
「そうみたい」
「よかろう。大人しくしておいで」
覚束ないももはの返事を聞いた男は、全て悟ったという顔で一つ頷くと、すっと手を伸ばしてももを引き寄せる。
ももはが驚いて声をあげる間もなく、手に持っていた扇でももはの顔を覆った。
自分を見下ろす男の目が怖い。
結果的に自分はまだ生きている。
だが、目前に立つのは、あの乱暴だった男たちを一瞬で葬り去った相手だ。できれば関わらないほうがいい気もする。
そんなももはの気持ちなどお構いなしに、冷たい金の瞳は逸らされることなくじっとももはの顔を見つめていた。
仕方なく、ももはもおずおずと見返す。
あまりにも整いすぎたその顔は、いっそ冷たく恐ろしい。
人間離れしたその容姿もそうだが、見たこともない真っ白な着物に真っ白な帯を締め、銀糸で龍の刺繍があしらわれた美しい羽織を肩に引っ掛けている。
その肩と背を滑るように広がる滑らかな白髪は、ところどころ銀色に輝き、見たこともない美しい金の瞳の奥で瞳孔が縦に伸びているのが見て取れた。
とても美しいが、見れば見るほど普通じゃない。
じっと見上げていたももはの視線を遮るように、こんな凄惨な場所にそぐわぬ優美な仕草で扇を広げた男が、その口元を隠してももはに聞いた。
「小娘、この中に家族でもおったか?」
ブンブンと首を振って否定するももは。
ももはの反応に眉を寄せ、男が再度尋ねてくる。
「じゃあなぜ泣いている」
そう指摘され、自分が泣いていることに気がついた。
ちょっと考えて、ももはが返す。
「怖いから」
「何が怖いのだ」
(何って、何だろう)
あまりに色々ありすぎて、頭が回らない。
「全部」
かろうじてそう返した途端、なにか張りつめていたものがプツリと切れた。
本当にそうだ。
すべてが怖い。
自分がどこにいるのか、ここがどこなのか、何が起きているのか、何で沢山死んでるのか、死にそうになってるのか──
「なんで、なんで私がこんな目にあうの。もうやだ、帰る」
帰る、そう口にはしたものの、帰り道なんてわかりはしない。
それでももうボロボロの今のももはには、そんなことを気にするほどの心の余裕はなかった。
「帰り道がわかるのか?」
案の定、男がももはに聞き返す。
「……わからない」
口にしたくなかった事実を口にして、またボロボロと涙があふれだした。
まるで子供のようなももはの返答に、やがて男が静かにため息をこぼす。
そんな仕草さえも、美しい顔のせいでやけに優雅に見えた。
「こちらへおいで」
まだ地面に座ったままのももはに、男はただ静かにそう告げた。
手を貸してくれるわけでもなければ、同情しているようにも見えない。
かといって、危害を加えるつもりもなさそうだ。
ももははももはで、今は自分のことで手いっぱいだった。
自分の姿を見下ろせば、見るも無残なことになっている。
引き破かれて下着が露出したシャツをかき寄せるが、ボタンが飛んでいて止められない。スカートはところどころ割けて、どこもかしこも血と泥にまみれて汚れていた。
自分の手にも、乾いた血がこびりついている。
またも恐怖で手が震えだした。
だがそんなももはを男はまだ静かに見下ろしている。
急かすことなく、かといって対して興味もなさそうな目で、ただじっと見ているだけだ。
なぜかそれがももはの心を落ち着かせてくれた。
落ち着いてよく考えれば、見た目は血だらけで酷いありさまだが、どうやら痛いところはほとんどないようだ。
さっき転んだときに擦りむいた手の甲と尻もちをついたお尻くらい。
血に濡れた手をボロボロのスカートの裾で拭いてみる。
水がないと全部は落とせそうにない。
少し綺麗になった甲で頬の涙を拭うと、やっとのことで立ち上がる気力が湧いてきた。
のっそりと立ち上がり、男の前へと歩みでる。
男は並ぶとももはよりも頭一つほど背が高い。
少し見上げるようにして前に立てば、男は無言で羽織を脱いで、ももはの肩にふわりとかけた。
「お前、名は?」
決してやさしくも、冷たくもない声で男が尋ねる。
邪心もないが、自分への興味心も感じられない。
それが今は心地よい。
ほんの少し緊張が解け、ももはは自分の名を告げようとして──
「ももは。私は、……あれ?」
──フルネームを言おうとして、はたと口が止まる。
私の名字……なんだった?
そんな当たり前のことを思い出せないことが、ももはをよりひどいパニックへと追いやっていく。
なんで、何が起きてるの?
不安と恐怖がぶり返し、またも顔がゆがんで涙が頬を伝う。
「どうした?」
「名字、私、自分の名字を思い出せない」
目前の男への畏怖よりも、自分がそんな当たり前のことを思い出せないことへの恐怖がももはの中で勝った。
思わずポロリとこぼすももはの言葉を拾って、男が目をすがめてももはを見る。
「名字とな。やはりお前は武家か公家の娘か」
「え?」
男の喋り方がおかしいのか、ももはには言っている意味が分からない。
男は男で首をかしげてももはに問い直す。
「姓があるのだろう。ならばあの村の姫か?」
「姫ってそんな。私そんな美人じゃないし」
「またわからぬことを」
どうにも二人の話がかみ合わない。
「小娘、ではお前の親はどこにおる」
そう尋ねられ、答えようとして再び頭が真っ白になった。
「うちの親……まって、お母さんとお父さんの顔、思い出せない」
思わず叫び出しそうになりながらも、ももはは懸命に自分の記憶を辿っていく。
自分にはちゃんと母と父がいることは間違いない。
それは思い出せる。
なのに、その顔や名前を辿ろうとすると、まるで記憶に靄がかかったように思い出せないのだ。
ももはが自分の記憶と悪戦苦闘する一方、男は男でももはのあやふやな答えを自分なりに解釈したようだ。
扇の向こう側でため息をついたのち、不愛想につぶやく。
「親もなく、帰り道もわからぬと」
正確には少し違うのだが、今のももはにそれをいちいち訂正する気力もない。
震える体を抱きしめながら、男を見上げ答えた。
「そうみたい」
「よかろう。大人しくしておいで」
覚束ないももはの返事を聞いた男は、全て悟ったという顔で一つ頷くと、すっと手を伸ばしてももを引き寄せる。
ももはが驚いて声をあげる間もなく、手に持っていた扇でももはの顔を覆った。
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