白蛇さんの神隠し

こみあ

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「ここ、どこ?」

 木立の間を吹き抜ける一陣の風が百々花ももはの顔をするりと嬲る。
 その風の冷たさに、一心に白蛇のあとを追っていた百々花ももはがふと我に返った。

 蛇だけに、自由気ままに蛇行するそのあとを追いかけるのは中々に集中力が必要で、気づけば追いかけることに夢中でかなり時間が過ぎてしまっていた。

(まずい。これはもしかしたら道に迷ったかも)

 などとぼんやりと考えているが、今現在、百々花ももはは間違いなく道に迷っていた。
 だが自覚してしまえば一気に心細くなる。
 だから無意識にその事実から目を逸らしているのだ。

 それにしても、さっぱり人がいない。
 あれだけいた観光客も、もうどこにも見当たらない。

 ついさき程まで住宅地を歩いていたはずなのに、一本道をそれるとそこは竹林に左右をはさまれた小道だった。
 その竹林の間を薄っすらと霧が漂いだす。
 緑の濃淡が美しい竹やぶの幻想的な様に心が浮かれ、疑問も持たずにずんずんとあゆみを進めたが、どれだけ歩いても住宅地には戻れなかった。
 それどころか、道は舗装された小道から砂利道へ、そして土の小道へと変わり、竹に混じって杉やその他の木がぼつぼつと現れ、気づけば周りはうっそうとした雑木林になっていた。

(少なくとも、あの白蛇はまだ前にいる)

 いまや前を行く小さな白い姿だけが心の拠り所になっている。
 元来どちらかというと楽天的でぼんやりしている百々花ももはのことだ。
 不安がなかったわけではないが、それでもこれまで「またすぐに街に出るだろう」とどこかで楽観していたのだが。

「おかしいよう、もう結構歩いたのに全然家が見えない……」

 思わず独り言を呟いてしまうくらいには、百々花ももはも心細くなってきた。

 けれど今やここは前も後ろも見分けのつかないうっそうとした雑木林だ。
 足元はといえば、人が一人歩く幅がかろうじて土がむき出しになっている獣道。左右には熊笹が茂り、もうほとんど藪の中だ。

 これじゃ、一人で迷わずに戻れる気がしない。

(いや、これ本当に林だろうか?)

 そんな百々花ももはに追いうちを描けるように、木立を木霊していく鳥の声が響いた。
 頭上はいつの間にか背の高い木々に覆われ、少し薄暗く感じる。

 間違えて山に迷いこんじゃったんだったらどうしよう。

 ふと【遭難】の二文字が百々花ももはの頭をよぎる。
 思わずぶるるっと身震いした百々花ももはだったが、すぐに首を振って否定した。

(いやいやいや、流石にこんな都会で遭難はないでしょ)

 いくら少し道に迷ったとはいえ、隣の県まで歩いたわけじゃあるまいし。
 ここは神○川県、かの有名な港町から電車で三十分もかからない観光地、のはず。

 不安を追い払うように、自分に言い聞かせて歩みを進める。
 いま一瞬でも目前の白蛇を見失ったら、この道さえもわからなくなりそうで不安なのだ。
 だがそんなことを考えている間も、蛇はにょろにょろと自由気ままにはい回る。
 今や頼れるのはこの白蛇だけだと思うが、同時に本当についてきて良かったのだろうかと疑問がわき始めた。

 さっきは蛇に誘われた気がしたが、よく考えたら自分はその蛇に石をぶつけたのだ。
 もしかしたらこれは白蛇の仕返しなのでは?

 しかもヤブのせいか木陰のせいか、白かったその姿がなぜか黒っぽく見えて、段々自分が追っている蛇が本当に最初に見た蛇なのか自信がなくなってきた。

 そしてとうとうももはは立ち止まり、一つの事実を受け入れた。

(仕方ない。道に迷ったことは認めよう)

 大変今更である。
 こんな場所で迷ったことを認めても、人っ子一人いないので道を聞くこともできない。

(白蛇さんも見えなくなっちゃった)

 ももはが立ち止まったところで、白蛇の姿はどこにも見当たらなくなってしまった。
 途端、色々な不安が沸き上がってくる。

 生い茂った枝の間から漏れる射光はすでにうっすらと赤みを帯びていた。
 どうやら結構な時間が過ぎてしまったようだ。
 そこでやっと集合時間をとっくに過ぎていることに気が回る。

(先生になんて言い訳しよう)

 慌ててスマホを取り出したが、もちろん圏外で繋がらない。
 それどころか立ち止まったことで汗が冷え、急に肌寒くなってきた。

 そこでもっと重大な問題に思い至る。

(こんなところで夜になっちゃったら……)

 楽天家のももはもここにきてやっと現実が見えてきた。
 不安のせいなのか、なにか周囲が生臭い気もする。

(まさかアブナイ野生動物とか、いないよね?)

 そうは思うものの不安は募るばかりだ。

(まずは人を見つけなきゃ)

 今更それに思い至ってもすっかり手遅れである。
 慌てて周りを見回すが、藪また藪で見通しは悪く、当たり前だが人影など皆無だ。
 とぼとぼと数歩進むも、景色は何も変わらない。

 【遭難】の二文字がより現実的に思えてきたその時。

「……ぉ……ぁ……」

 ももはの耳に、微かだが遠くで話す人の声が聞こえた気がした。
 だが流石に空耳だろうと思いなおす。

 そんな都合よくこんな場所に人がいるはずがない。
 もし前か後ろを人が歩いていたのであれば、もっと前に気づくはずだろう。

 きっと風の音か鳥の鳴き声だろう。

 そう自分の中で予防線を張りつつも、再度その声をとらえようと耳を澄ませた。
 だが、澄ませたのは耳だけのはずなのに、やけにすえた生臭い匂いが鼻をつく。

 一体これはなんの匂いだろう。
 森ってもっと澄んだ匂いがするんじゃなかったっけ?

「……そら……そっち……」
「……やめ……」

 匂いに気を取られていたももはの耳に、今度こそはっきりと人の声が聞こえだした。
 切れ切れではあるが、それはもう風や鳥の声と間違えようがない人の声だ。

「やった! やっと人のいるとこに出れた!」

 山だ遭難だとバカらしい。
 きっとこの藪をぬけたら向こう側は住宅街で、自分は小さな林でぐるぐる迷ってただけだったんだ……。

 ホッとしたももはは匂いのことなどすっかり忘れ、喜び勇んで声がするほうへと駆けだして──

「うわっ」

──熊笹をかき分けて数歩のところで足を取られ、たたらを踏んでその場にひっくり返った。

 ドシン、と尻もちをつき、そのまま倒れこむ。

(うわー、やらかしたー)

 小学生じゃあるまいし、焦って足元不注意で転ぶとかありえない。

 幸いにもどこもけがはないようだ。
 恥ずかしさから慌てて両手をついて立ち上がろうとして──

「へ?」

──両手に何か生暖かい液体が絡みつくのを感じた。

(うわ、なんか変なもの触っちゃった……)

 そして下に目を向けて──

「ぎぃぁやあああ!!!」

──目前の開ききった瞳と目ががっちりとあってしまった。

 ももはは幸運にも、まだ誰かの死に立ち会ったことがなかった。
 それでも、その目がその顔が、死とはこういうことだとはっきりと見せつけていた。

 空っぽで、動きがゼロで、終わっている。
 テレビなどで見るそれとははっきりと違う、完全なる終焉。

 そして理解した。
 さっき自分が躓いたのが木の根なんかじゃなく、目前に転がる血まみれの体だったのだと……。

 手に絡んだ生暖かい液体は、その体から流れ出ている血液だ。

 突然起きたあまりの事態に、全身がガタガタと震えて動けない。

 その時、ふと深い森の梢の間から赤みを帯びた日の光が射し込み、周囲の様子がはっきりと浮かび上がった。

「ヒッッッ!」

 立っている時には熊笹に隠れて気づかなかったが、ももはの周囲にはぽつん、ぽつんと、他にも身動きひとつしない人間の体が静かに転がっていた。

 混乱と恐怖の極みの中、ももはの目は嫌がおうにもその様子に釘付けになる。
 しかし、その様相を一層異様なものにしていたのは彼らの身なりだ。
 倒れひれ伏す人たちは、揃って汚い着物のようなものと、切り刻まれた鎧らしきものを身にまとっている。
 テレビの時代劇なんかで見るような立派なものじゃない。臭いし汚いし、血だらけでボロボロで……。

 耳には風に揺れる熊笹の音、鼻にははっきりと生臭い、血液とそれ以外の悪臭。
 逃げることも、目をそらすことさえ思いつかない。

「え……なにこれ……冗談でしょ?」

 やっと最初のショックが過ぎさり、意識がしっかりと周りを認識できたところで、ももはの口からは現実を否定する言葉しか出てこない。

 無理もない。
 突然のこんな状況を現実だなどと受け入れられる高校生がいるわけもない。

「ドラマ? 映画の撮影?」

 自分の『目』が見て『肝』で理解した目前の沢山の「死」を、だが『脳』だけがどうしても拒否しようとする。

「ねえ、嘘だよね? 起きてよ。撮影の邪魔しちゃったならごめんだけど、お願い起きて」

 一度言葉がこぼれだすと、今度は止まらなくなる。

 ついさっきまでアキやその他のクラスメートと大仏様を見てはしゃいでいたはずだ。
 集合時間にはかなり遅れてるし、先生がきっと怒って、いやそれもう通り越して心配しているに違いない。

 楽しいはずの修学旅行が突然こんなことになるなんて、どうしたって信じられるわけがない。

【大量殺人】

 現実逃避を試みるも、そんな言葉が頭をよぎる。

「おい、全部やったか?」

 その時、さっきまで遠くで聞こえていた声が、熊笹をかき分ける音とともにこちらに近づいてくるのが聞こえた。

(やった……って言った)

 それは今声がするこの人たちが、ここに散らばる死体を作ったってこと──

【殺人鬼】

 唐突に自分が殺人現場に呑気に座っているという事実を、ももはは認識してしまった。

 目撃者なんて、殺すに決まってる。
 こんなに何人も殺してる人たちが、今更躊躇ったりするはずもない。

 自分も殺される……!

 その可能性にしっかり思い至ったももはは、焦って周りを見回した。
 だが、森の中に都合よく隠れられる場所などあるわけもない。

 考える間にも、複数の足音は確実にこちらへと近づいていた。

 もう他の方法を考えてる時間なんてない!!

 ももはは覚悟を決め、死体に紛れてその場に再び倒れ込んだ。
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