上 下
17 / 20
第四章 やはり、何者にもなれず。

第17話 やはり、妻には敵わず。

しおりを挟む
心療内科から帰る道中、運転をしながら雪乃は浮かない顔をしていた。

「何か言われた?」

徹は気になって問いかけた。

「話を聞いてあげてくださいね、って」

「そうか」

確かに雪乃には仕事の話も趣味の話もすることはなかった。
というのも、昔は仕事の話をしたかったが雪乃が乗り気ではないように思えたので、いつからかしなくなった。

趣味の話や曲作りの話も興味がないことは分かっている。

そもそも互いに何か話そうとしても娘達が割り込んできて、話の腰を折られることがほとんどである。

娘達が生まれる前は、夜に二人で映画を観てゆったりと話しながら過ごしたものだった。

その頃は徹も曲作りに意欲的ではなく、時間を楽しむことに使っていた。

必要なものを必要な分だけ集めながら生きるのも悪くないんじゃない?

結婚前に、SNSで曲を投稿しても伸び悩んでいた徹が「夢を諦める」と口にした時、雪乃が言った言葉だ。

その言葉通り、平穏に、幸せに過ごしていた時期もあった。

しかしいつからか、必要のないものばかりを追いかけ、必要なものを見失っていた。

「ごめん、俺は父親になれていなかった」

気付けばそう呟いていた。

それを聞いた雪乃は答える。

「父親になろうとしなくても父親なんだから、もっと気楽にいれば良いじゃん」

確かに雪乃の言う通りである。

別に自分が何をしても、何をしなくても、娘達にとって徹が父親であることに変わりはない。

「やっぱり雪乃には敵わないよ」

「私だって母親としてはまだ新米だし、本当はもっと良いお母さんになれたら良いなとは思うけど、実際は無理なもんは無理よ。私は私として娘達と向き合っているつもりだよ、もちろんあなたともね」

「そうか」

あー、、、

東京で夢を追っていた頃は何者でもなかった。

結婚をして宮城に引っ越して来てからは雪乃の夫として家族と世間に馬鹿にされないように生きてきた。
仕事では主任になり、SNSで知名度が上がってからは作曲家だ。
そして娘が生まれ、父親となった。

徹はいつも自分が何者かでなければならないと思っていた。
何者かでいなきゃ価値がないと思っていた。
でも実際はどうだ?
ただ怖かっただけなんじゃないか?

そう、山下徹として生きることから逃げていただけなんじゃないか?

その疑問が自分自身の心を打ち抜いた。

身体中に衝撃が走った。

「俺は、、」

自分は何者でもない、価値がないと思っていた。
しかし最初から俺は山下徹であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

雪乃が愛してくれていたのは、旦那としてカッコつけた男でもなく、父親として苦虫を噛みながら苦悩する男でもなく、山下徹その人なのだ。

「何者でもなくて、良いのか?」

助手席から空を見上げ、ぼんやりと呟く。

「何者になろうとしなくても、何者かになっちゃってるんだから、あなたらしくいれば良いじゃない?昔から私はあなたの考えていることは小難しくて理解出来ないけどさ、後先なんて考えずに歌っていたあなたは生き生きとしていたことだけは覚えてるよ」

「そうか」

心に溜まっていた何かが、スッと消えていくのを感じた。

「これからも色々と面倒をかけると思うけど、よろしく頼む」

「それはお互い様でしょ」

流れ落ちる涙が、処方箋の袋を濡らしていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

キャバ嬢とホスト

廣瀬純一
ライト文芸
キャバ嬢とホストがお互いの仕事を交換する話

ボイス~常識外れの三人~

Yamato
ライト文芸
29歳の山咲 伸一と30歳の下田 晴美と同級生の尾美 悦子 会社の社員とアルバイト。 北海道の田舎から上京した伸一。 東京生まれで中小企業の社長の娘 晴美。 同じく東京生まれで美人で、スタイルのよい悦子。 伸一は、甲斐性持ち男気溢れる凡庸な風貌。 晴美は、派手で美しい外見で勝気。 悦子はモデルのような顔とスタイルで、遊んでる男は多数いる。 伸一の勤める会社にアルバイトとして入ってきた二人。 晴美は伸一と東京駅でケンカした相手。 最悪な出会いで嫌悪感しかなかった。 しかし、友人の尾美 悦子は伸一に興味を抱く。 それまで遊んでいた悦子は、伸一によって初めて自分が求めていた男性だと知りのめり込む。 一方で、晴美は遊び人である影山 時弘に引っ掛かり、身体だけでなく心もボロボロにされた。 悦子は、晴美をなんとか救おうと試みるが時弘の巧みな話術で挫折する。 伸一の手助けを借りて、なんとか引き離したが晴美は今度は伸一に心を寄せるようになる。 それを知った悦子は晴美と敵対するようになり、伸一の傍を離れないようになった。 絶対に譲らない二人。しかし、どこかで悲しむ心もあった。 どちらかに決めてほしい二人の問い詰めに、伸一は人を愛せない過去の事情により答えられないと話す。 それを知った悦子は驚きの提案を二人にする。 三人の想いはどうなるのか?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...