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第三章 死
第14話 夜
しおりを挟むその日はずっと怒りが収まらなかった。
そしてずっと手が震えていた。
曲を作れる状況でもなく、ゲームをする意欲すらなかった。
ただひたすらに頭の中で雪乃に言われたことや子供達の言動が繰り返され、沸々と一人で煮えたぎっていた。
気が付けば家族のことだけじゃなく、会社のことや過去に誰かに言われたことなども頭の中を駆け巡り、思わず頭を振って大声で叫んでいた。
ふと我に返って時間を確認すると0時を回っていた。
もう寝よう、明日も仕事なので寝なければならない。
そう思い、寝室へと向かう。
子供達と雪乃はもう眠っていた。
ベッドを二つ並べただけなので、四人で眠るには狭過ぎる。
いつも徹は壁際の狭いスペースで寝ていた。
子供達の足が顔面に振り下ろされることは多々あるが、子供がいなかった時からこのベッドで一緒に寝ていたため、今更寝る場所を変えることは出来なかった。
自分の定位置に寝転び、目を閉じるとまた嫌な映像が頭の中を駆け巡る。
さっきまでは怒りの感情に支配されていたが今は心の底から不安に襲われていた。
どうしてあんな酷いことを言ってしまったのだろうか。
俺は父親失格だ。
自分が言った言葉が頭の中に響く。
きっと子供達にも雪乃にも嫌われてしまった。
身体が震え出し、恐怖感に襲われ始める。
家族に煙たがられながら死ぬまで過ごしていくのだろうか?
定時ですぐに家に帰るので、きっと会社でも悪口を言われているに違いない。
どうせ作った曲は評価されることなくお蔵入りになるのだろう。
誰の期待にも応えられなかった。
何者にもなれなかった。
何者にもなれないのであれば生きている意味はない。
止まらない不安感と恐怖感に押し潰されそうになりながらも布団から出られずにいた。
遂にはどうやって死のうかを考え出していた。
あの棚の中に使っていない延長コードがある、それを首に括り付ければ、、
いや、そんなことをして良いわけがない。
そうやっていくら振り払おうとも死のシュミレーションは終わらない。
浴槽にお湯を溜めて、その中で手首を切れば死ねると聞いたことがある、試してみようか。
いっそ切るなら首に刺していってしまおうか。
家の中にある薬類を全て一気に飲み込んでしまおうか。
シュミレーションは止まらず、気付けば徹は歩き出し、そっと棚を開けていた。
やはり、これで首を吊ろう。
延長コードを解きながらベランダへと出た。
夜の冷たい風を受け、少しだけ我に返る。
俺は何をしているんだ、こんなこと許されるわけがない。
一旦外を歩いて冷静になった方が良いか。。。
「パパ、何してるの?」
その時、トイレに起きたのか灯が目を覚ましていた。
「ちょっと眠れなくてね、トイレかい?行っておいで」
「うん、あーちゃん怖い夢見たの、パパぎゅーして」
灯はぎゅーされようと手を広げている。
「どんな夢か明日聞くから覚えておいてね」
徹は灯を強く抱きしめた。
「ありがとう、トイレ行ってくる」
灯は走ってトイレに駆け込んだ。
徹は延長コードをゴミ箱に捨て、パジャマのまま階段を駆け下りた。
そして玄関の扉を開けた。
訳も分からず走り出していた。
どのくらい走るのか、どこを目指しているのか、何のために走っているのか、何も考えていなかった。
ただとにかく今は死のシュミレーションから逃げ切りたかった。
死ぬべきではない、死んではいけない、有酸素運動によって早まる呼吸に合わせて、その言葉を繰り返した。
道中の記憶はないが辿り着いたのは海だった。
ここは車で三十分ほどかかる距離にあるので、二時間近く走っていたのかもしれない。
何も考えていなかったので、スマホも家に置いてきた。
正確な時間は分からないが、もはやそんなことはどうでもいい。
徹は砂浜に腰掛けた。
夜の海を眺め、波の音に身を任せる。
この暗闇の海を真っ直ぐに歩いてみようか、行けるとこまで行ってみよう。
それでもし生きてどこかに辿り着いたとしたら、生きている価値があるとしてこの先も生きていく、このゲームはどうだろう?
自分に問いかける。
答えはこうだ。
「面白い、やってみよう」
徹は靴を脱ぎ、砂浜を歩き出した。
押し寄せる波は月明かりに照らされ、幻想的な風景がつくられていた。
冷たい水温を足で感じながら、どんどん前に進んでいく。
あっという間に腿のあたりまで水に浸かり、数歩進んだだけで腰まで浸かってしまった。
それでも真っ直ぐに海を歩く。
波だけが徹の行手を阻んでくれるが、それを振り切ってとにかく前に進んでいく。
自分がこの世から消えたところで悲しむ人などいない、世の中の動きが止まるわけでもない、自分は何者でもないのだから。
そう思ったが、ふと義幸さんと誠司さんの姿が頭をよぎる。
義幸さんには一般就労を目指して欲しい、彼なら出来る。
でもまた今日もパチンコに負けて精神を病んでいるだろうか?だとしたら俺が隣でサポートすべきだろうなぁ。
誠司さんは俺がいなくなっても働いてくれるだろうか?
「山下さんがいないなら俺は仕事しません!」って言い出して、職員を困らせそうだなぁ。
もうすでに胸の辺りまで水に浸かっていた。
徹が曲を作り、投稿する度にコメントをくれていたファンの方々がいた。
「何回もリピートして聞いています!いつも新曲を心待ちにしています!」
その言葉から勇気をもらい、曲作りによる収益がなくとも、例え有名になれなくとも曲を作り続けることが出来た。
新曲を心待ちにしてくれている誰かを悲しませてしまうだろうか?
そう思い、ほんの少しだけ歩みが止まった。
水はもう首の辺りまできていた。
いや、しかし行くしかない、行かなければならない。
遂に海の中へと沈んで行った。
息が出来ない、苦しい、やはりここで俺は死ぬのだなぁ。
ようやく少しだけ心が安らいだ。
灯はどんな怖い夢を見たのだろうか?
明日どんな夢を見たのか聞かなければならない、、、
「パパ!」
ふと灯の声が聞こえた。
いや、そんなわけはない、徹は今海の水の中にいるのだ。
「パ~パ~」
次は灯に泣かされたのだろう風花の声が聞こえた。
これはあの世へ行く前の走馬灯のようなものなのだろうか?
「必要なものを必要な分だけ集めながら生きるのも悪くないんじゃない?」
次に雪乃の声が聞こえた。
結婚する前、夢を諦めると言った徹に対して雪乃が言った言葉だった。
確かに当時はその生き方は素晴らしいのかもしれないと思っていた。
でも結局は夢を捨てきれず、時間のない中でコツコツと努力を積み上げてしまっていた。
それだけならまだ良かったのかもしれない、今は必要なものを集めず、本当は必要のないものに手を伸ばしていたのかもしれない。
もちろん音楽クリエイターになりたいし、期待に応えたい。
しかし、それは家族を蔑ろにしてまで必要なものではない。
数分前までは怒りの感情に囚われ、不安に押し潰されていた。
全てが攻撃の対象であり、全てが敵だと思っていた。
自分には何もない、何者にもなれない、生きていたって意味がないと思っていた。
それは紛れもない事実だ。
だがしかし、死が間近に迫り、湧き出てきた感情は感謝の感情だった。
この感謝を伝えなければ、、、
暗闇の海の中で酸素が不足し、意識が薄れていく。
いや、もう何もかもが手遅れか。
今更生きて戻って、関係を修復出来る自信はない。
何よりも、もう疲れた。
徹はゆっくりと目を閉じた。
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