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プロローグ

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 その夜のことは今でもよく覚えている。
 厚い雲に覆われて月明かりすら見えない夜空、焦った大人たちの声ーーそして、涙をこらえて滲んだ金色の瞳がまっすぐ前を見つめていた。





 診療所の扉を叩く大きな音で俺は夜中に目を覚ました。ちょうど、七歳の誕生日を迎えた夜のことだった。

 医師である母と薬の調合師である父は二人で診療所を営んでいる。村唯一の診療所だから、夜中だろうが明け方だろうがお構いなしに急患がやってくるのはいつものことだ。
 どこかの老人が転びでもしたか、それとも小さな子どもが熱でも出したかな。眠い頭でそんなことを考えていると、玄関扉を開く音が聞こえた。父さんと母さんが患者を出迎えたのだ。
 民家にしては少し大きなこの木造家屋は一階が診療所兼薬の調合室で、二階に両親と兄、それから俺の四人が暮らしていた。

「ーーどうかこの子をお願いします! この子だけは……!」

 玄関から女性の声が聞こえてきた。ほとんど叫んでいるようだ。母さんが何かを答える声が聞こえてきたが、何を話しているかまではわからない。
 今夜運ばれてきたのは子どもなのだろうか? 気になった俺は、ベッドからするりと抜け出して自室のドアを少しだけ開けた。階段を登ってすぐのこの部屋からは玄関が見えるのだ。

 わが家の玄関口には五人が集まっていた。何かを話す母と燭台を持った父、あとは向かいの家に住むおじいさんーー騒ぎを聞きつけてやってきたのだろうかーーが困惑した表情を浮かべていて、それから黒色のローブを纏った見たことのない女性と、女性の後ろに隠れるようにして立つ男の子がひとり。二人とも青みがかった黒髪で、瞳は灯りの少ない暗闇でもきらきらと輝くような黄金色をしていた。親子だろう。男の子は俺より少し年下だろうか。
 村では見かけない顔だ。どうやら外からやって来たようだが、具合が悪そうな雰囲気は全くない。

「サフィルスさん、あなたもここに残った方がいいわ。この子を一人にするなんてだめよ」

 母さんが女性の両肩に手をおき諭すように言った。

「いいえ、だめなんです。私は戻らなくちゃ……まだやらなければならないことがあるんです」

「負ける戦に戻るなど得策ではありません。うちならあなたと息子さんを匿うくらいできますから」

 母さんの背後に立っていた父さんも母さんに加勢した。

「私はあの村を最後まで守らなければいけません。そしてこの子も……。フォーゲル先生、どうかご理解ください」

 深々と頭を下げた女性に、両親は何も言えなくなってしまったようだった。
 彼女は頭を上げると、地面に膝をつき男の子の顔を覗き込んだ。

「ウィルフリード、ここでいい子で暮らすのよ。寂しいかもしれないけど、きっとそれも最初のうちだけ。母さんはあなたの幸せを願ってるわ」

 そう言って彼をぎゅっと抱きしめた。女性の目からはぽろぽろと涙が溢れ出し、男の子の肩を濡らした。

 男の子は、多分まだ何も理解できていないのだろう。ぼーっと空を見つめるばかりで、母親にされるがままになっていた。

 意を決したように立ち上がると、彼女は俺の両親と向かいのおじいさんに向き直った。

「本当にごめんなさい。でも、ありがとう」

 泣き笑いの表情で彼女は言った。
 母さんが女性にハグをして、そのまま口を開いた。

「この子を迎えにくると約束して」

 女性はハグに応えながら、ゆっくりと目を瞑って押し黙った。
 次に彼女が瞼を開くと、金色の瞳は光を増し炎のように揺らめいた。

「ーー果たせない約束はいたしません」

 彼女が母さんから数歩離れ体を覆っていた黒いローブを翻すと、同時に、目を覆うほどの突風が吹き抜けていった。

 そして次に目を開けたとき、そこに彼女の姿は無かった。

 残された男の子は、今にも泣きそうな顔で彼女が消えていった暗闇をずっと見つめていた。けれど、決してその涙を溢すことは無かった。



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