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第十二章 到達する物語とハッピーエンド
八稚女と七王子と珠子と一期一会の料理(その6) ※全7部
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◇◇◇◇
長かったあたしの物語も終わりが近い。
あの沈みゆく太陽のように。
「どうした珠子。ボーっとしてお前らしくもない」
「いやぁ、ここまで長かったなぁって。あたしが『酒処 七王子』に就職してから2年くらい経ってますから」
「たった2年ではないか。俺様にとっては2年など閨で睦言を囁いていれば過ぎてしまうぞ」
「んもう、酒呑さんならそうかもしれないですけど、花の命は短いんです。花も恥じらう乙女にとっては2年ってかなり長いんですよ」
家や焼けるわ、店は爆発するわ、あたしはモロサーになるわ。
今回の喧嘩でお店の厨房がメチャクチャになったのなんて軽いくらい。
「そうか、喜べ珠子。花の命は短いかもしれぬが、対処法がないわけでもない」
「え!? 何かお肌の瑞々しさを保つ方法があるんですか!?」
「聞きたいか?」
「是非!」
「それは受精することよ! さすれば中にタネが仕込まれ……」
バチーン!!
「なにいうてはるのお! かんにんな、珠子はん。ウチの旦那が変な冗談をのたもうてからに」
「あ、茨木さん。いいえ、いつもの軽口ですから」
「いや、俺様はいつでも……」
「冗談やよ、ねっ!」
「ま、まあ今日はいい天気だからな」
茨木さんの剣幕に酒呑さんがちょっとタジタジ。
夫婦仲は良好みたい。
「ほほっ、夫婦のじゃれ合いかしら。いいわね、新婚さんは」
「櫛名田様! うわー、こんなにいっぱい!」
櫛名田様の手には山盛りの剥き里芋と人参、蓮根、百合根に茄子、それに天然舞茸。
「”豊穣”ですものこれくらいは当然よ」
フフンとたわわなボディを揺らし櫛名田様は胸を張る。
くっ、この豊穣が恨めしい!
「クシナダはんは旦那さんと仲が悪いん? スサノオはんは、えろう強いって話やけど」
ピクッ
あ、なんかヤな気配。
「ホホホ、あんな脳筋マザコン男なんてどーでもいいわ! そりゃま、最初はその強さに魅かれたり、子作りしちゃったりしたけど。ねぇ、あの男がわたしの妊娠を聞いた時の最初の台詞が何だったと思う?」
ポチャポチャと大鍋に具材を入れながら櫛名田様があたしたちに尋ねる。
「ええと、『それより俺の飯、まだ?』でしょうか?」
「うーんと、『勝手に出来たんだから、勝手に生め』やろか?」
「違うな、『本当に俺の子か?』ではないか?」
考え付く限りダメな男の台詞をあたしたちは言う。
「か、かなりヒドイわね」
「今日日これくらいのダメ人間は巷にあふれていますから」
「そうそう、実録ダメ夫とかで雑誌にもよう載っとるで」
「俺様はちゃんと認知するぞ」
そして櫛名田様ドン引き。
「そう、現代の現世も大変なのね。正解は『じゃ、俺はおっ母の所へ行くから』よ。しかも行ったきり戻ってこなかったわ。しかも現地妻を作るし」
須佐之男伝説のラストといえば八岐大蛇退治の後、櫛名田と結ばれハッピーエンド。
そう思われがちだけど、日本神話で彼の出番はこれで終わりじゃない。
八岐大蛇退治のずっと後、大国主の神話で、大国主が黄泉の国へ行って、須世理姫とラブロマンスをやっている時に、彼女の父として登場する。
黄泉の国の妻の名は伝わっていない。
そっか、考えてみると当然よね。
須佐之男が高天原を追放されたのは、死んだ母親の伊耶那美に逢いたいってダダをこねたので父親の伊耶那岐に勘当されたから。
現世で母親の黄泉の国へと通じる黄泉平坂の話を聞いたら、そっちへ行ってもおかしくない。
「櫛名田様は一緒に行かれなかったのですか?」
「豊穣の女神が日ノ本から黄泉へ行ったらどうなると思う?」
「それは……、困りますね」
豊穣が失われた日ノ本なんて想像したくない。
「そーなのよ。わたしたち八稚女の役割は日ノ本を豊かに発展させること。特にわたしがいなくなるわけにはいかないわ」
「あ、ひょっとして櫛名田様が他の八稚女さんたちと違って、あの”虹の橋”の向こうへ行かなかった理由って」
「そうよ、姉さんたちには一緒に行こうって誘われたけど、わたしまで行くと日ノ本がマズイって思兼神様に止められたの。それでわたしだけは思兼神様に匿われていたってわけ。天の光に豊穣の権能を込めれば大地の実りも豊かにできるから。それに、いつか封印から出てくる甥っ子たちの面倒も見るつもりだったから。気が付くとオッサン甥っ子が面倒を見始めてたけど」
なるほど、思兼神様が八稚女の行方を知っていたわけだ。
櫛名田様はずっとここ、高天原にいて、みんなを、あたしたちを見守っていたんだ。
豊穣の恵みは、いつも七王子のみなさんの隣にあったってことね。
大地の恵みに感謝!
大鍋に火が付き、ゆっくりと具材に熱が通り始める。
この分なら七王子のみなさんが戻ってくる日没までには出来上がりそう。
でも、帰ってくるのかしら。
日没までに帰らなくっても、明日になれば帰れるんだから、今日は帰らないってこともあり得るわよね。
あたしにはあんまり時間がないのに。
「心配するな珠子。兄者たちはちゃんと帰ってくる」
「あれ? 顔に出てました?」
「イイ男はイイ女の心の機微に聡いものだ。珠子のような極上の女が待っているのだ。戻って来ぬはずがなかろう」
「えー、あたしはそれほど良い女じゃありませんよ。食材と醤油の匂いまみれですし」
良い感じに鍋が温まってきたので、あたしは湯葉の巾着と醤油をトポポと入れる。
「そんなことはない。今まで誰も成し遂げなかった失われし八稚女の行方を探り当てたのだ。信じられぬ偉業ぞ」
「あたしは、ただ料理を作っていただけなんですけど」
うん、思い直してみても料理しかしてない。
「呵呵呵ッ! 料理だけでそれを成し遂げたのが偉業というのだ。九尾の狐も二尾の玉藻も料理で懐柔する人の女なぞ、誰も想像出来なかったであろう」
「せやね、わっちも珠子さんに救われるとは思いもひいかったでありんす」
「あんたは自業自得でしょ。よくもまあ、いけしゃあしゃあと。でも、本当に珠子は凄いわね。玉環の望みを叶えてくれたのは感謝してるわ」
「楽しい食事とお酒だけで、ここまで事を成し遂げた人間はふたりといませんわ」ポロロン
玉藻さんとコタマちゃんも大鍋に巾着をポトポトと入れ、ミタマさんの爪弾く琴の音が、今はすっかりと閑散としたキッチンスタジアムに響く。
「それに、俺様が認めた女が良い女でないはずがなかろう」
「へへ、ありがとうございます」
酒呑さんの誉め言葉にあたしは少し照れる。
「しかし、解せぬことがある」
「まだ何かあるんですか?」
「珠子がどうしてそこまで兄者たちに肩入れするのだ? 八稚女の行方を見つけた所で、お前にメリットなどなかろう。金にもならん」
『金にもならん』の所でみんながウンウンと頷く。
ひょっとして、あたしってば金にしか興味が無いように思われている?
「金が全てってわけじゃないです。七王子のみなさんにはあたしがピンチの時に助けてくれましたし、橙依君には家族との思い出のアルバムを火事から救ってもらいましたからね、その恩返しです。それに……」
あたしはそう言って、これまでの日々を、あたしが作ってきた料理の数々とそれを食べるみんなの顔を思い出す。
「七王子のみなさんからは毎日あたしの料理に”おいしい”って言ってもらっていますから。料理人にとってこれほど幸せなことはありません。だから、あたしもみなさんを幸せにしたいって思ったのです」
「なるほど、しかし何故恩返しに”八稚女の行方”を選んだのだ? 分からず仕舞いでも良かったであろうに」
酒呑さんの言いたいことはわかる。
一度は自分を捨てた母親に再会することが幸せとは限らないと言いたいのだ。
「かもしれません。ですが、良いにしろ悪いにしろ、一度過去に向き合って、そこに自分なりの答えを見つけた上で、七王子のみなさんには未来に進んで行って欲しかったんです。未来に進まないとエンディングは迎えられませんから。特にハッピーエンドには」
母親と再会した七王子のみなさんが、今どういった話をしているかはわからない。
だけど、それは、きっと彼らが幸せになるのに必要なことだと思う。
「珠子はん、あんたはええ女や。な、今からでも遅くないでウチと酒呑と一緒に大江山で幸せにならん? 他の女はともかく、珠子はんなら大歓迎や」
「うむ、茨木の許可も出たことだ。珠子、お前、俺様達の女になれ。どんな望みも贅沢も俺様たちが叶えてやるぞ」
2年前なら飛びつきそうな誘惑で、茨木さんと酒呑さんがあたしを誘う。
でも……。
「残念ですがご遠慮します。あたしは『酒処 七王子』が好きですし、これから『何処何某』の再建もしなくっちゃいけませんから、それに……」
「それに?」
「もう遅いです」
そう、もう遅いの。
だって……
長かったあたしの物語も終わりが近い。
あの沈みゆく太陽のように。
「どうした珠子。ボーっとしてお前らしくもない」
「いやぁ、ここまで長かったなぁって。あたしが『酒処 七王子』に就職してから2年くらい経ってますから」
「たった2年ではないか。俺様にとっては2年など閨で睦言を囁いていれば過ぎてしまうぞ」
「んもう、酒呑さんならそうかもしれないですけど、花の命は短いんです。花も恥じらう乙女にとっては2年ってかなり長いんですよ」
家や焼けるわ、店は爆発するわ、あたしはモロサーになるわ。
今回の喧嘩でお店の厨房がメチャクチャになったのなんて軽いくらい。
「そうか、喜べ珠子。花の命は短いかもしれぬが、対処法がないわけでもない」
「え!? 何かお肌の瑞々しさを保つ方法があるんですか!?」
「聞きたいか?」
「是非!」
「それは受精することよ! さすれば中にタネが仕込まれ……」
バチーン!!
「なにいうてはるのお! かんにんな、珠子はん。ウチの旦那が変な冗談をのたもうてからに」
「あ、茨木さん。いいえ、いつもの軽口ですから」
「いや、俺様はいつでも……」
「冗談やよ、ねっ!」
「ま、まあ今日はいい天気だからな」
茨木さんの剣幕に酒呑さんがちょっとタジタジ。
夫婦仲は良好みたい。
「ほほっ、夫婦のじゃれ合いかしら。いいわね、新婚さんは」
「櫛名田様! うわー、こんなにいっぱい!」
櫛名田様の手には山盛りの剥き里芋と人参、蓮根、百合根に茄子、それに天然舞茸。
「”豊穣”ですものこれくらいは当然よ」
フフンとたわわなボディを揺らし櫛名田様は胸を張る。
くっ、この豊穣が恨めしい!
「クシナダはんは旦那さんと仲が悪いん? スサノオはんは、えろう強いって話やけど」
ピクッ
あ、なんかヤな気配。
「ホホホ、あんな脳筋マザコン男なんてどーでもいいわ! そりゃま、最初はその強さに魅かれたり、子作りしちゃったりしたけど。ねぇ、あの男がわたしの妊娠を聞いた時の最初の台詞が何だったと思う?」
ポチャポチャと大鍋に具材を入れながら櫛名田様があたしたちに尋ねる。
「ええと、『それより俺の飯、まだ?』でしょうか?」
「うーんと、『勝手に出来たんだから、勝手に生め』やろか?」
「違うな、『本当に俺の子か?』ではないか?」
考え付く限りダメな男の台詞をあたしたちは言う。
「か、かなりヒドイわね」
「今日日これくらいのダメ人間は巷にあふれていますから」
「そうそう、実録ダメ夫とかで雑誌にもよう載っとるで」
「俺様はちゃんと認知するぞ」
そして櫛名田様ドン引き。
「そう、現代の現世も大変なのね。正解は『じゃ、俺はおっ母の所へ行くから』よ。しかも行ったきり戻ってこなかったわ。しかも現地妻を作るし」
須佐之男伝説のラストといえば八岐大蛇退治の後、櫛名田と結ばれハッピーエンド。
そう思われがちだけど、日本神話で彼の出番はこれで終わりじゃない。
八岐大蛇退治のずっと後、大国主の神話で、大国主が黄泉の国へ行って、須世理姫とラブロマンスをやっている時に、彼女の父として登場する。
黄泉の国の妻の名は伝わっていない。
そっか、考えてみると当然よね。
須佐之男が高天原を追放されたのは、死んだ母親の伊耶那美に逢いたいってダダをこねたので父親の伊耶那岐に勘当されたから。
現世で母親の黄泉の国へと通じる黄泉平坂の話を聞いたら、そっちへ行ってもおかしくない。
「櫛名田様は一緒に行かれなかったのですか?」
「豊穣の女神が日ノ本から黄泉へ行ったらどうなると思う?」
「それは……、困りますね」
豊穣が失われた日ノ本なんて想像したくない。
「そーなのよ。わたしたち八稚女の役割は日ノ本を豊かに発展させること。特にわたしがいなくなるわけにはいかないわ」
「あ、ひょっとして櫛名田様が他の八稚女さんたちと違って、あの”虹の橋”の向こうへ行かなかった理由って」
「そうよ、姉さんたちには一緒に行こうって誘われたけど、わたしまで行くと日ノ本がマズイって思兼神様に止められたの。それでわたしだけは思兼神様に匿われていたってわけ。天の光に豊穣の権能を込めれば大地の実りも豊かにできるから。それに、いつか封印から出てくる甥っ子たちの面倒も見るつもりだったから。気が付くとオッサン甥っ子が面倒を見始めてたけど」
なるほど、思兼神様が八稚女の行方を知っていたわけだ。
櫛名田様はずっとここ、高天原にいて、みんなを、あたしたちを見守っていたんだ。
豊穣の恵みは、いつも七王子のみなさんの隣にあったってことね。
大地の恵みに感謝!
大鍋に火が付き、ゆっくりと具材に熱が通り始める。
この分なら七王子のみなさんが戻ってくる日没までには出来上がりそう。
でも、帰ってくるのかしら。
日没までに帰らなくっても、明日になれば帰れるんだから、今日は帰らないってこともあり得るわよね。
あたしにはあんまり時間がないのに。
「心配するな珠子。兄者たちはちゃんと帰ってくる」
「あれ? 顔に出てました?」
「イイ男はイイ女の心の機微に聡いものだ。珠子のような極上の女が待っているのだ。戻って来ぬはずがなかろう」
「えー、あたしはそれほど良い女じゃありませんよ。食材と醤油の匂いまみれですし」
良い感じに鍋が温まってきたので、あたしは湯葉の巾着と醤油をトポポと入れる。
「そんなことはない。今まで誰も成し遂げなかった失われし八稚女の行方を探り当てたのだ。信じられぬ偉業ぞ」
「あたしは、ただ料理を作っていただけなんですけど」
うん、思い直してみても料理しかしてない。
「呵呵呵ッ! 料理だけでそれを成し遂げたのが偉業というのだ。九尾の狐も二尾の玉藻も料理で懐柔する人の女なぞ、誰も想像出来なかったであろう」
「せやね、わっちも珠子さんに救われるとは思いもひいかったでありんす」
「あんたは自業自得でしょ。よくもまあ、いけしゃあしゃあと。でも、本当に珠子は凄いわね。玉環の望みを叶えてくれたのは感謝してるわ」
「楽しい食事とお酒だけで、ここまで事を成し遂げた人間はふたりといませんわ」ポロロン
玉藻さんとコタマちゃんも大鍋に巾着をポトポトと入れ、ミタマさんの爪弾く琴の音が、今はすっかりと閑散としたキッチンスタジアムに響く。
「それに、俺様が認めた女が良い女でないはずがなかろう」
「へへ、ありがとうございます」
酒呑さんの誉め言葉にあたしは少し照れる。
「しかし、解せぬことがある」
「まだ何かあるんですか?」
「珠子がどうしてそこまで兄者たちに肩入れするのだ? 八稚女の行方を見つけた所で、お前にメリットなどなかろう。金にもならん」
『金にもならん』の所でみんながウンウンと頷く。
ひょっとして、あたしってば金にしか興味が無いように思われている?
「金が全てってわけじゃないです。七王子のみなさんにはあたしがピンチの時に助けてくれましたし、橙依君には家族との思い出のアルバムを火事から救ってもらいましたからね、その恩返しです。それに……」
あたしはそう言って、これまでの日々を、あたしが作ってきた料理の数々とそれを食べるみんなの顔を思い出す。
「七王子のみなさんからは毎日あたしの料理に”おいしい”って言ってもらっていますから。料理人にとってこれほど幸せなことはありません。だから、あたしもみなさんを幸せにしたいって思ったのです」
「なるほど、しかし何故恩返しに”八稚女の行方”を選んだのだ? 分からず仕舞いでも良かったであろうに」
酒呑さんの言いたいことはわかる。
一度は自分を捨てた母親に再会することが幸せとは限らないと言いたいのだ。
「かもしれません。ですが、良いにしろ悪いにしろ、一度過去に向き合って、そこに自分なりの答えを見つけた上で、七王子のみなさんには未来に進んで行って欲しかったんです。未来に進まないとエンディングは迎えられませんから。特にハッピーエンドには」
母親と再会した七王子のみなさんが、今どういった話をしているかはわからない。
だけど、それは、きっと彼らが幸せになるのに必要なことだと思う。
「珠子はん、あんたはええ女や。な、今からでも遅くないでウチと酒呑と一緒に大江山で幸せにならん? 他の女はともかく、珠子はんなら大歓迎や」
「うむ、茨木の許可も出たことだ。珠子、お前、俺様達の女になれ。どんな望みも贅沢も俺様たちが叶えてやるぞ」
2年前なら飛びつきそうな誘惑で、茨木さんと酒呑さんがあたしを誘う。
でも……。
「残念ですがご遠慮します。あたしは『酒処 七王子』が好きですし、これから『何処何某』の再建もしなくっちゃいけませんから、それに……」
「それに?」
「もう遅いです」
そう、もう遅いの。
だって……
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