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第十一章 探求する物語とハッピーエンド
彼岸様とすかんぽ(その4) ※全4部
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◇◇◇◇
あたしの三度目の呼びかけで橙依君は目を半分開いた。
「……あれ? やっぱ夢よりも汚い顔かな」
ピシッ!
そして、寝起きで失礼な事を言ったので気つけにチョップ!
「……ひどいよ珠子姉さん。こんな朝っぱらから。来るなら夜更けにして」
ピシシッ!!
「いたっ!?」
さらに寝ぼけて性少年の欲望を口にしたので連続チョップ!!
「……んもう、なんなのさ」
「いいから来て! きっと出来たと思うの。橙依君の”すかんぽ”料理が」
あたしは早朝の冷たい空気の中、寝ぼけ眼の彼の手を引き台所へ連れ込む。
「じゃーん! これが珠子特製! ”虎杖のすかんぽ和え”よ!」
「……昨日の梅肉和えじゃん」
橙依君がそう言うのも無理ないわね。
だって、テーブルの上の料理は深い緑の煮物に赤いペーストがかけられた姿。
昨晩、あたしが作った虎杖の煮物の梅肉和えと同じビジュアルなんですもの。
でも、違うのよ。ふっふふ。
橙依君はあたしの自信たっぷりの心を一瞥すると、煮物を口に。
モニュと彼の口が動き、その味を確かめると、
「これ……、これだ! これだよ! 夢で食べたあの味!」
橙依君の半開きの目は大きく見開かれ、大声を上げた口はそのまま次の煮物を飲み込む。
「んっふふ、やっぱりそうみたいね。まだ”すかんぽ和え”のバリエーションはあるわよ」
そう言ってあたしが彼の前に差し出したのはふたつの皿。
緑の蕾の中にちらりと見える菜の花の黄色が可愛らしい”菜の花の蕾のすかんぽ和え”と真っ白な姿をたたえる”ノビルのすかんぽ和え”。
どちらも共通しているのは、赤いペーストで和えられている所。
彼の箸は次々と皿の上を走る。
ザクッ、シャキッ、ヌルッ
「これも! これも! 婆の味! あの時の味だ! ありがとう珠子姉さ……」
橙依君は言葉をそこまで続けると、箸を降ろし、その掌で目を覆う。
「ごめん! ちょっとトイレ!」
そして急に立ち上がると、ダダダと家の奥へ走って行った。
きっと朝の食事で腸が動いたのね。
すかんぽの酸味の素であるシュウ酸は食べ過ぎるとお腹をゆるくするし、茹でたノビルのぬめりには腸の動きをスムーズにしてくれるから。
「うんうん、朝の快食快便は気持ちいいわよね」
「朝っぱらから乙女とは思えぬ台詞ですね。顔と同じで汚らしい」キラッ
げっ!? 口に出してた!?
そして朝日反射鬼畜眼鏡に聞かれてた!?
「いったいどうしたんだい? さっき橙依君がダッシュで洗面所に走って行って、顔を洗っていたぜ」
「おおかた汚れた珠子さんの顔を見て、起き抜けの自分の顔が恥ずかしくなったのでしょう。昨晩の汚れが残ってますよ」クイッ
「え? そんなに汚れてます?」
あたしの問いに緑乱さんはウンウンと頷き、鬼畜眼鏡は見られたもんじゃないと眼鏡を逸らす。
そう言えば、山で”すかんぽ”を採った後、手は洗ったけど顔はまだだった。
「あ、あたしも顔を洗ってきまーす!!」
あたしが洗面所にたどり着くと、そこでは橙依君が顔をタオルで抑えていた。
きっとトイレの後、顔も洗ったのね。
「橙依君、次いいかな?」
「どうぞ。僕はもう終わったから」
顔にタオルを当てたまま、橙依君はトコトコとあたしの隣を通り抜けて行く。
「……どうしてこのタイミングで来るかな」
すれ違いざまにタオルの下からそんなつぶやきが聞こえた。
◇◇◇◇
「お、戻ってきた、戻ってきた。やったじゃねぇか嬢ちゃん。これはまさしく婆さんの味だぜ」
顔を洗ってビューティになったあたしが台所に戻ると、緑乱おじさんが各種”すかんぽ和え”を手にあたしを褒める。
「……正しくはリフレッシュ珠子姉さん」
橙依君もいつもの調子……、ううん、いつもより嬉しそうに食べている。
「甘さと酸味のバランスが絶妙で美味ですね。これが夜中に山に行ってまで手に入れた食材で作ったものですか?」クイッ
「はい、そうです。あたしがとってきたのはこれ! じゃじゃーん! スイバ! またの名を”すかんぽ”!」
あたしがカゴから取り出したのは赤と薄緑が縞になった茎と緑の細長い葉を持つ野草。
その酸っぱい味から”酸い葉”とも書く、タデ科の野草”スイバ”だ。
「ん? ”すかんぽ”ってのは、あっちの虎杖じゃなかったのかい?」
「そうです。どっちも正解なのですよ。虎杖を指して”すかんぽ”と呼ぶ地域もあれば、このスイバを指して”すかんぽ”と呼ぶ地域があったのです。昨晩のあたしと橙依君との会話に齟齬が生まれたのはそこが原因でした」
そしてあたしは几帳面鬼畜眼鏡が丁寧にラップを張った作りかけの”ぼたもち”を指さす。
「ヒントは昨晩の蒼明さんとの会話からです。”ぼたもち”と”おはぎ”のように同じ食べ物でも違う呼び方をする物があるなら、逆に違う物でも同じ呼び方をする物もあるかもしれない。その台詞から調べてわかりました! ”すかんぽ”と呼ばれる植物はふたつあって、しかも味は同じように甘酸っぱいのです!」
「夜中に山へ走り出す珠子さんを見た時は、ついに気でも狂ったのかと思いましたよ」クイッ
「いやー、思い至ったら居ても立っても居られなくって。でも、ちゃんと見つけましたよ。この赤さが残るスイバを。スイバは西洋ではSorrelと呼ばれまして、若葉をサラダに加えたり、ピューレにしてソースやスープに利用したりします。冬のスイバの茎には赤い部分がありますが、春になるとこの赤い部分が緑に変わってしまいます。山に行けばまだ赤いのが残っていると思いましたが、残ってて良かった。ちなみに虎杖はタデ科ソバカズラ属でスイバはタデ科ギシギシ属です。だから味も似ているんですよ」
あたしはスイバの茎の赤い部分を示しながら説明する。
「なるほど、俺っちの記憶にあった梅肉和えの赤いのは、実はスイバのペーストだったってわけかい」
「そうです。だから何を和えるかで色や食感の違う料理が出来たんだと思います。菜の花の蕾だったら緑と黄色、ノビルやウドで白、虎杖やコゴミだったら緑ってな具合に。うん、酸っぱくでおいしー」
あたしはスイバのペーストに味醂と砂糖を加えて煮立てて仕上げたピューレをペロッと舐めて顔をちょっと尖らせる。
続けてみなさんも。
「うおっ!? すっぺぇ!」
「酸味が強いですね。でも、爽やかです」クイッ
「……これ、婆の味、間違いない。ありがとう珠子姉さん。やっぱり珠子姉さんってスゴイ。感謝」
「ふっふーん。大切な橙依君のためですもの。その大切な思い出の味くらい再現出来なきゃ女がすたるってもんよ。フハハハハ! もっと褒めて褒めて!」
「珠子姉さん天才! 台統領! 女前! 料理の中に気品が出てくるみたい! 拍手拍手」
うーん、橙依君の拍手と称賛が心地いいわ。
「よかったですね橙依君。しかし、このスイバのピューレは色々と応用が効きそうですね。あの”ぼたもち”に混ぜても美味しいかもしれません」クイッ
「蒼明さんナイスアイディア! 広島では”レモンおはぎ”という新商品があるって話もありますから、甘酸っぱい味付けもいいかもしれませんね。残り半分は”すかんぽぼたもち”にしちゃいましょ」
「……僕も手伝う」
「俺っちも手を貸すぜ。嬢ちゃんは疲れているだろうからな」
「やれやれ。これでは言い出しっぺの私も手伝わざるを得ませんね。言った責任として私が最初に味を確認しましょう」クイッ
みなさんはそう言うと、腕まくりをして”ぼたもち”の材料のラップをペリリと剥がす。
それからあたしたちは仲良く”ぼたもち”作りを始めた。
「さて、出来たようですね。では試食っと」
あたしたちは試作用にちっちゃく作った”すかんぽ入りぼたもち”を口へと運ぶ。
モムッ
最初に感じるのは粒あんの甘味、そしてその中にわずかに感じる”すかんぽ”の酸味。
その酸味が唾液を呼び、餅と粒あんを口の中でパラパラとほぐしていく。
甘味はしっかりしているのに、どこか爽やかで、食欲を促進させる良い味。
「これは大成功ですね! 立派な新作が出来ましたよ」
「こいつはいけるぜ。左党の俺はこっちの方が好みかもしんねぇ」
「もう少し酸味を強くしてもいいかもしれませんね。その方が立役者の”すかんぽ”が活躍出来るかもしれません」クイッ
「……」
あたしたちは”すかんぽ入りぼたもち”に思い思いの舌鼓を打ったけど、橙依君だけはひとつ食べた後、じっと”ぼたもち”を見続けていた。
「橙依君、どうかした? あんまり美味しくなかった?」
「……ううん、美味しかった。ちょっと考え事。婆とのあの日の思い出」
「そう、とっても大切な思い出なのね」
あたしがそう言うと、橙依君はちょっと照れくさそうに頷いた。
その下にある笑顔は隠せなかった。
◇◇◇◇
その後もあたしたちは”ぼたもち”作りを続けた。
スイバの”すかんぽ”のペーストを入れすぎて、みんなが口を尖らせたり、緑乱おじさんがジャンボサイズの”ぼたもち”を作ったり、蒼明さんがキュートな”ウサギさんぼたもち”を作ったり、色々あったけど、とっても美味しくてとっても楽しかった。
…
……
………
「さてと、これは別枠でっと」
「……珠子姉さんそれは?」
「これは彼岸様へのお供えの分。彼岸様ってのは彼岸の日に帰って来る先祖の霊のことよ。あの世に帰るお土産にお菓子とかをお供えするの。今頃、この家にはあたしのおばあさまが帰ってらっしゃるんじゃないかしら。この新作の”すかんぽ入りぼたもち”の感想を聞かせてくれるといいんだけど」
ひょっとしたら、運良くまだ赤いスイバを見つけられたのは、おばあさまの導きかしら。
ありがとうございます、おばあさま。
おばあさまのおかげで珠子は朝からハッピーエンドです。
「……そう、僕もひと皿、ううん、ふた皿もらってもいい。お供え用に」
「いいわよ。橙依君がお世話になったお婆さんへと、他にも昔お世話になった人への分かな?」
「……えっと、両方とも婆」
ちょっと複雑な顔をして橙依君は言う。
そのお婆さんって意外と大食いだったのかしら。
「……違うよ。珠子姉さんとは違って」
あら、失礼ね。
「でも、僕はどっちも大好き」
あら、大胆ね。
あたしの心の声に橙依君はクスッと笑うと、ふたつの皿を持つ手を上へと掲げる。
「……祝詞の継子、橙依が介し橙依が捧げる。彼の者、彼の場所、彼の時へ、この言の葉にのせて、祝詞に乗りて、この掌の甘味よ、心よ、喜びよ、彼方の下へ貴女の下へ……」
橙依君の口から流れるような言葉が紡がれ、彼はひと呼吸おいて、視線を天上へと向け最後の祝詞捧げた。
「……届きまえ」
神社の奉納の儀にも似た厳かな雰囲気が一瞬流れたかと思うと、そのふたつの皿は虚空へと消えていった。
「……うん、届いた」
空になった手をパンパンと鳴らし、橙依君は満足そうな顔。
きっと、これが橙依君の能力なのね。
ガタッ
あれ、蒼明さんが何か驚いた顔をしている。
珍しい。
「これは、まさか……、あの日に届けた……、だとすると……アーサー王、コネチカットヤンキー……」
何だかブツブツ言っているけど、アーサー王ってあれよね。
橙依君がやってるスマホゲーのキャラで、イギリスの偉人よね。
蒼明さんもスマホゲーに興味があるのかな。
「……的外れにもほどがある。いったいどうして僕はこんな人を……、まあ理由はよくわかっているけど」
「まあ、しょうがねえさ。嬢ちゃんは食い物と酒関係以外はからっきしだからよ。この”すかんぽ”みたいってことさ」
山菜のカゴの中の虎杖とスイバを指しながら緑乱おじさんはニヤニヤ笑う。
「なるほど、どちらの”すかんぽ”も茎の構造は中空になっています。中身が空っぽとは言い得て妙ですね」クイッ
「それって、あたしは甘酸っぱい青春の味がするってことですよね。うんうん、身体は三十路でも心は青春」
頭ガチガチ鬼畜眼鏡の言葉は無視して、あたしは精一杯の色気が出るような、出てると信じたいポーズを取って若さをアピールする。
「あ、嬢ちゃんの中ではそういうことにしといてくれ。でも、俺っちが言いたいのは橙依君の方さ」
?
緑乱おじさんの言葉にあたしの頭に疑問符が浮かび、橙依君はちょっぴり顔をしかめる。
「ほら、”蓼食う虫も好き好き”って言うじゃねぇか。このふたつはどっちもタデ科って話だろ」
「……僕は虫じゃない」
「私は虫ではありません」クイッ
橙依君と蒼明さんの台詞がシンクロした。
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