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第九章 夢想する物語とハッピーエンド
首吊り狸とタヌキケーキ(その1) ※全7部
しおりを挟む夢……夢を見ている。
夢の中のアタシは今よりずっと趣味が悪かったわ。
ああ、ファッションの事じゃないわよ、色恋の趣味の方。
封印から出て、一応、住む所とか食べる所とかは緑乱ちゃんが用意してくれたけど、『酒処 七王子』なんてダサい家になんて、たまにしか寄り付かなかったわ。
アタシのテリトリーは夜の街。
豪華絢爛、暖衣飽食、極彩天然色、サイケデリックな街がアタシの棲み処だったわ
。
そんな時のアタシの趣味は女の子。
可愛くて、綺麗で、だけど影のある女の子が好みだったわ。
フフフ、あの子とは正反対ね。
夜の街は楽園よ、男にとっては。
だけど、女の子にとってはそうではないわ。
たいしたことのないお金と引き換えに心を売るの。
ううん、違ったわ。
心まで売る娘はいなかったわ。
誇りと人間性が削れていくさまを男に見せて、お金に換えていくのよ。
心が摩耗した女の子を落とすのは簡単よ。
お金と笑顔と甘い言葉、それだけで十分。
お金ならいっぱいあったわ。
ママが残してくれた神代の宝。
バブルと呼ばれたあの時代では、目が飛び出るほどの高値で売れたの。
その時の散財で、今はほとんどなくなちゃったけどね。
あ、たまに男らしい逞しさを見せる事が必要だった時もあったわ。
男を盾にアタシを脅そうとした女の子も、その盾をグニャグニャに歪めてやったら、それからはアタシにぞっこんよ。
八岐大蛇の子ですもの、こう見えても見た目より遥かに強いのよ。
女の子はみんな決まってこう言うわ。
『アナタを愛してる。命よりもアナタが好きよ』ってね。
そんな娘たちにアタシはこう返すの。
『アタシのために死ねる?』って。
『うん』ってみんなそう言ったわ。
そう言った娘が次に聞く音は決まってこうよ。
ズブリ
アタシの掌が、そのお腹を貫く音。
ゴリュギュルギュギュギュルルルギュポッ
次に聞くのは、アタシの掌が内臓をかき回し、臓物の一部がまろびでる音よ。
女の子たちは悲鳴を上げたわ。
さっきまで囀るようだった小鳥が、早朝のゴミ捨て場のカラスのような声で鳴くの。
やがて、女の子たちは決まってこう言うわ。
『どうして……?』
アタシの返事もお決まりよ。
『どうしても何も、アナタ言ったじゃない。アタシのために死ねるって質問に”うん”って』
そして最後の言葉はだいたいこうよ。
『ゆるして……』『シニタクナイ……』『いや……』『おか……あさん……』『死……ね……』
内臓のヌチャリとした温かくて柔らかい触感は好きだったわ。
今はそうでもないわね。
子供の時はどろんこ遊びの泥の感触が好きでも、大人になると嫌いになるようなものかしら。
でも、末期の混乱と恐怖と狂気にも似た感情はとってもおいしかったわ。
このまま、こと切れるまで味わっても良かったのだけど、人を殺しちゃうと後々めんどくさいから、やらなかったわ。
アタシの能力は”活殺自在”。
生かすも殺すもアタシ次第。
アタシが与えたダメージを殺すくらい簡単。
放心状態になった娘を置いて、バイバーイ。
その後、その娘がどうなったかは知らないし、興味も無かったわ。
アタシはこの夜の街が好きだった。
光と闇がハッキリと分かれている所が。
光の中に居る人は、いつも笑顔で輝いて、未来に希望を持っていて、アタシの誘いなんかに引っかからない。
闇の中に居る人は、つねに病んだ笑顔で、現在を刹那に生きていて、アタシにおいしい負の感情をくれたわ。
そんな日々を過ごしていたアタシは、とある女の子と出逢ったの。
ひと目で場違いだと思ったわ。
ううん、場違いなのはちょっとだけだったかもね。
絶望によどんだ目。
貧相な身体。
そして、飾りっけの全くない顔。
絶望の目はありきたりだわ。
貧相な身体はわかるわ。
そういう需要がこの街にはあるもの。
でも、飾り気が無いのは場違いだわ。
そういう需要に応える娘は、媚びたメイクや、一見ナチュラルに見えるメイクをしているもの。
スッピンの娘だって、”おいしそうなスッピンです”ってアピールするものよ。
でも、その娘はそうじゃなかった。
「こんばんはお嬢ちゃん。こんな所に何しに来たの? アナタのような娘にここは危ないわよ」
「こ、こんにちは。あたし、ここで誰かのためになりたくて来たの」
「まぁ、珍しいわね。お嬢ちゃんお名前は? アタシは藍蘭、この街にはちょっと詳しいのよ。アナタの力になれると思うわ」
「あたしはアリス、有栖院アリスです。”パイノパイノパイ”みたいな面白い名前でしょ」
そして彼女はか細い声でアタシの知らない古い歌を歌い始めた。
面白い娘ねとアタシは思った。
これがアタシとアリスちゃんの出逢いだった。
アタシは彼女の断末魔に興味があった。
■■■■
夢……夢をみている。
思い出の中のあたしは今よりずっと体が弱くって。
満足に走ることもできなかった。
ううん、走れることさえ知らなかった。
だって、走ったことがなかったんですもの。
あたしが走ろうとしただけで、胸は締め付けられ、足は力を失い、呼吸が乱れたわ。
小学校を卒業するまでは何度も入退院を繰り返したわ。
パパとママは小さい時に事故で無くしちゃったけど、あたしには素敵なおばあちゃんがいたわ。
だから平気よ。
泣かなかったわ。
人前では。
大きくなるにつれ、少しずつ身体が丈夫になってきたわ。
走ることだって出来るようになったのよ。
これってスゴイことじゃない。
でも、あたしが14歳になった時、あたしの身体に異変が起きたの。
最初はいつもの貧血かと思ったの。
だけど違ったわ、頭が痛くって、身体に痣がいくつも出たわ。
あたしは大丈夫って言ったけど、おばあちゃんは大慌てで病院に連れていったわ。
病院では、いっぱい検査したの。
血を抜かれるのは慣れてたから泣いたりしなかったわ。
だけど、腰にぶっとい注射をされて血を抜かれた時には少しだけど涙がでたわ。
何十回、何百回もの注射に耐えてきたあたしが泣くんですもの、他の人だってきっと泣くに違いないわ。
でも、それより辛かったのは検査の後、おばあちゃんが泣いたことよ。
理由を聞いても教えてくれなかったわ。
ただ、あたしがかわいそうだと泣いてたの。
それからの日々は地獄だったわ。
ううん、地獄の入り口だったのかも。
あたしは地獄になんて行ったことないんですもの。
え? 幽世と黄泉になら行ったことあるですって!?
すごいわ、やっぱりモノリスさんみたい。
入院したあたしは毎日薬をいっぱい飲まされて、ぶっとい注射を何度もされて、そして血を何度も吐いたわ。
輸血も何度もしたし、女の子の日は死ぬかもしれないっておばあちゃんが呼ばれたりもしたわ。
死ななかったけどね。
お金もいっぱいかかっただろうし、おばあちゃんの弱った足腰だと病院まで来るのも大変だと、ずっと思ってた。
出来ることは少なかったけど、その優しいおばあちゃんに『何かお返しをしたい』って何度も言ったわ。
だけど、その度におばあちゃんは『いいんだよ、アリス。アリスは生きているだけでいい。それだけで婆は十分』って言ってくれたの。
うれしかったけど、少し悲しかったわ。
あたしは生きていけるか自信がなかったもの。
でもね、命ある限り、生き続けたいと思っていたわ。
ある日、おばあちゃんが同じ病院に入院してきたわ。
あたしは『これで毎日一緒ね』って少し嬉しそうに言ったわ。
いつか一緒にお家に帰れるとも思っていた。
だけど、帰れたのはあたしだけだった。
おばあちゃんは、あたしが15歳の時に癌で死んだわ。
もちろん泣いたわ。
泣きすぎて涙に血が混じって目が真っ赤になるくらいにね。
あたしは、おばあちゃんのために生きようと思ってた。
苦しくても、痛くても、辛くても、おばあちゃんが笑ってくれるから、無理してでも笑えたの。
だけど、そのおばあちゃんが死んじゃったら、どうすればいいのかしら?
ごめんなさい、あたしイヤな質問をしちゃったわね。
おばあちゃんが死んで、あたしは初めてお医者の先生から病名を聞いたわ。
”急性前骨髄球性白血病”。
とっても難しい名前よね。
白血病ってシンプルな名前の方が好みだわ。
先生はとても正直にあたしの病状について教えてくれたわ。
このまま薬を飲み続けて入院治療を続ければ、治るかもしれない。
でも治らなかったら死ぬ。
治るかどうかはわからない、良くて五割、あたしの体力を考えるともっと低いかもって。
そして、治ったとしても相当の借金を背負う事になるとも。
そうよね、貧乏って嫌よね。
そこはとっても同意だわ。
あたしは、バッグいっぱいのお薬を持たされて、家に帰ったわ。
ひとりで。
家では何もやることはなかったわ。
薬を飲んでテレビを見ながら寝るだけ。
どんな面白い番組を見ても、あたしは笑えなかった。
笑顔は涙と血と一緒に流れちゃったのか、それとも病院に置いてきちゃったのかも。
テレビの中の人たちはとても楽しそうだったわ。
あたしも、その中にいたら笑えるかしら。
そう思って、あたしは初めて夜の街に出たの。
そこであたしは彼に出逢った。
彼の名は藍蘭。
とっても優しくて、あたしの知らない店や知らない事をいっぱい教えてくれたわ。
あたしは彼に夢中になったわ。
だけど、笑顔は戻らなかった。
本当の笑顔は。
■■■■
アタシが彼女と出逢ってから一週間。
今日も楽しいデートよ。
「ごめんなさい。待った?」
「ううん、今きたとこ。ふふっ」
デートの待ち合わせはいつもこう。
彼女の方が先に来ていて、アタシは時間通り。
アタシは時間を、ううん約束を守るわ。
だって、それは当たり前じゃない。
もし、相手が約束を守らなかったら、ちょっとイジワルしちゃってもアタシは悪くないわよ。
「あら、なんだか楽しそうね」
「ええ、あたしこういう会話に憧れてたの。ふふっ、夢がひとつ叶ったわ」
ガサッ
植え込みの中に黒い影が見える。
「あ、タヌキ」
「ホントね」
「あたしね、最近タヌキをよく見るの。たまに食べ物をあげたりするのよ。ふふっ、いつか恩返ししてくれたら素敵だわ。絵本みたいで」
「それよりも早く行きましょ。今日はアナタをスキーに連れてっちゃう」
「うわぁ、映画みたーい。でも、今は夏よ。スキーなんて……ひょっとして、ひょっとしちゃう!?」
「ひょっとしちゃうわ! この前千葉にオープンしたばかりの”ららぽーとスキードームSSAWS”に連れてってあげるわ」
「やったー! あたしスキーするの初めて!」
「いいわよ。アタシが手取り足取り腰取り教えてあげるわ。さっ、車はこっちよ。そこまでドライブしましょ」
「あのカッコイイ車ね。あたし、こんな映画やドラマみたいな恋をしてみたかったの。ねえ、セックスしよっ!」
「もうちょっとしたらね」
何度かのデートでアタシは理解したわ。
この娘は好みは本やTVのような典型的なデートが好みなの。
夢見る乙女っぽくてカワイイわよね。
今の衝撃的に思える台詞もドラマの真似だわ。
「ぶー、あたしは今して欲しかったのに。でも、約束だからね。でも、あんまり待たせちゃイヤよ」
「ええ、でも、その時、アナタの気持ちが変わってなかったらよ」
「だいじょうぶ! あたしはランランがずっと好きだから!」
心配しなくても、アタシは約束を守るわ。
でも、その前に聞くわ。
アナタの内臓にアタシのぶっといのを突っ込んでね。
タヌキがじっとアタシたちを見てたわ。
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