上 下
198 / 411
第八章 動転する物語とハッピーエンド

化け猫遊女とカレイの刺身(その3) ※全5部

しおりを挟む
◇◇◇◇

 「あれはまだ、わっちが化ける前、ただの猫だった頃の話にゃ。わっちは吉原の中でとある童女に可愛がられていたニャ。名はゆずりは、お魚、特にカレイが大好きな明るくて優しい女の子だったニャ」
 「ゆずりはは木へんに葉、鰈は魚へんに葉と書きますからね。名前から興味を持たれたのでしょうか。あたしも小さいころ卵料理が好きだった理由もそうでしたから」

 なるほど、珠子さんの好物は卵料理ですか。

 「そうかもしれないニャね。そのゆずりはの母は遊女で、ゆずりはも母と同じように遊女の道を進んだニャ」
 「左様、当時の吉原では遊女が生んだ子が沢山おりました。養子として出されるならば運の良い方。男ならばどこかの下働きとして奉公に出され、女ならば母と同じく遊女とならざるを得なかった場合も多かったと聞いております」
 「時代とはいえ、世知辛いねぇ」

 緑乱りょくらん兄さんの言う通りですね。
 化け猫遊女さんはその楪さんが道をではなく道をと言いました。
 きっとその道しかなかったのでしょう。

 「でもにゃぁ、おまんまの食いぱぐれがなかっただけましかもしれないニャ。ゆずりはは美女で有名だった母に似て美人で頭もよかったにゃ。太夫だゆうまではいかにゃかったけど、格子太夫こうしだゆうにまでなったのにゃ」
 「鳥居様、太夫は知っていますけど、格子太夫って何ですか?」
 「珠子殿、格子太夫とは太夫に次ぐ遊女の格であります。太夫ともなれば馴染みの客からの指名だけとなりますが、格子太夫は指名がない時には格子と呼ばれる遊女の姿が見える所にて、客に見定められて買われます。ゆえに格子太夫」
 「ペットショップの透明なゲージのようなものですね。性を見世物のようにして買われるなんて、あまりいい気はしませんね」クイッ
 「左様、返す言葉もありませぬ。ですが、そこは歴史に存在した事実として受け止めて頂きたい」

 鳥居さんはそう言って軽く頭を下げる。
 
 「そういう時代にゃったのよ。でもゆずりはは頑張って28歳まで勤め上げ、遊郭の主人、楼主ろうしゅへの借金の返済もほぼ終えたのにゃ。じきに引退か誰かに身請けされるのではないかと噂されるようになったのにゃ」

 書物で学んだことがあります。
 遊郭で育てられた、もしくは遊郭に売られた娘はその育成費や売られた代金を借金として抱えさせられて、それを返済するまで自由の身とならないという事を。

 「へー、28歳だなんて、結構若いうちに引退するんですね」
 「当時ではそれくらいが辞め時だったにゃよ。ゆずりはは以前から何度も身請けの話はあったのにゃが、そのたびにある条件を付けてそれを断っていたのニャ」
 「28歳ともなると、借金による奉公の年季は明けたも同然。ならば、そのゆずりはとやらは誰ぞか想い人でも居たのかもしれませぬな。その歳まで奉公を勤め、その者と添い遂げるために」
 「そうかもしれないニャね。借金を全て返済して結ばれるか、少額の身請け金で結ばれるか、そのどちらかを目指していたのかもしれないニャね。でも28歳にゃから……」
 「とうが立っておるので正妻は難しいであろうな」
 「は? あたしより若い28歳の何が立っているですって!?」

 年齢の話に珠子さんが過敏に反応しました。

 「れ、歴史上の話であります珠子殿。え、江戸時代の話、現代の基準ではありませんゆえ、珠子殿は……かわいらしいですぞ」

 少し語気の荒い珠子さんに対し、鳥居さんが慌てて取り繕う。
 
 「そうにゃ。現代では28歳なんてまだ若いにゃ。でも、当時はそうではなかったにゃよ」
 「それで、そのというのは何でしょうか?」クイッ
 「『かたわれ魚のかたわれを持ってきた者になら身請けされてもいい』というものにゃ」
 
 かたわれ魚のかたわれ? 
 
 「かたわれ魚とはカレイの古い呼び方ですね。でもその”かたわれ”とは何でしょうか」

 話を聞いていた板前長さんが”かたわれ魚”について解説してくれました。
 なるほど、カレイのことでしたか。
 ならば、そのかたわれとは……ヒラメでしょうか。

 「ヒラメじゃねぇのか? ほら、左ヒラメの右カレイって言うじゃねぇか。ヒラメとカレイを裏側で合わせれば寄り添って海中を泳ぐちゃんとした魚みたいに見えるぜ」

 私と同じ結論に達した緑乱りょくらん兄さんが化け猫遊女さんに語り掛けます。

 「そう思った男も多かったにゃ。だけどヒラメを持ってきた男に対しゆずりはは『ヒラメとカレイは似て異なる魚。決して結ばれることはありませぬ』にゃーんて言って断ったのにゃ。やがてゆずりはは『彼女は無理難題を出して誰からも身請けされる気はないのではないか!?』と思われるようになったにゃ」
 「……それで、そのゆずりはさんはどうなったのですか?」

 板前長さんが少し真剣な面持ちで化け猫遊女さんに尋ねます。

 「さあ? ある朝を境に吉原から消えたにゃ。くるわ抜けをしたのか、それともどこかのお大尽に身請けされたのか、それとも急病で死んだのか、わっちにはわからないにゃ。でも、その朝に出たカレイがとっても美味しかったのだけは憶えているにゃ。禿かむろや下働きの男もみんな今までで一番美味しいって食べてたにゃ」
 「なるほど、その朝のカレイが化け猫遊女さんがお求めの味ですか」
 「そうにゃ。でも、あれから300年……わっちが年を経て化け猫遊女となって、色々なカレイを食べたのにゃけど、未だにその味に再会していないにゃ……」

 ほんの少ししんみりと、化け猫遊女さんはその思い出を語りました。

 「化け猫遊女さんは好きだったのですね、そのゆずりはさんのことが。だから、その思い出の最期のカレイの味が忘れられないと」
 「そうかもしれにゃいね。それがわっちが猫だった頃の心残りにゃ。ああ、あの時、わっちが化けていれば、ゆずりはの行方を知ることも出来たかもしれにゃいのに」

 猫は年を経ると化け猫になります。
 ですが、それは生まれた時より強者であった私と違い、無力できゃわいい猫であった時が必ずあるということ。
 その時の心残りが未だ消えないのでしょう。

 「ねえ鳥居様。そのゆずりはさんって遊女さんの行く末に心当たりってありません?」
 「これはまた無茶な問いかけですな。儂が南町奉行を勤めていたのは天保12年、西暦では1841年のことであります。化け猫遊女殿がゆずりはという遊女と別れたのは約300年前、1718年とすると、吉宗様の治世であります。その差100年以上。よほど有名な遊女でもなければ儂が知る由もありませぬ」
 「あー、そういやそうですよね」
 「うーん、ちょっと違うにゃ。その時の将軍様は綱吉様だったニャ。生類憐みなんとかという生き物を大事にするお触れがあって、わっちたち猫も大切にされていたのを憶えているにゃよ」
 「左様でありましたか。生類憐みの令の最中であるなら320年ほど前でありますな西暦1700年頃でしょう。綱吉様が家宣様に将軍職を譲られたのが元禄17年、1704年であります。この年に生類憐みの令は廃されましたゆえ」
 「”あやかし”ってのは大雑把だからよ。20年くらいは約300年ですませちゃうのさ」
 
 徳川綱吉は五代将軍、吉宗は八代将軍。
 その開きは大きいように思えますが、実際は20年も間は空いていません。
 ここらの感覚は人間と”あやかし”とでは違うのでしょう。

 「しかし綱吉様の治世とわかっても、ゆずりはという遊女の行く末はわかりませぬな。せめてもっと有名な家名でも登場すれば話は違うのですが……」
 「やっぱ無理じゃね。当時の吉原の遊女のひとりがどうなったかだなんて、わかりゃしねぇよ」

 緑乱りょくらん兄さんは早々に無理だと諦めて、お酒をチビチビと飲み始めています。
 私も無理だと思います。
 ですが……ここのお節介さんはそうではないようですね。
 珠子さんの目は真剣。
 そして、板前長さんの目も。

 「ねぇ化け猫遊女さん。そのゆずりはさんのお父さんについて何か憶えていることはありません?」
 「うーん……そういえば、ゆずりはが一度だけ話してくれたことがあったニャ。ゆずりはの父は偉いお医者さんで、確か名は村上そうにゃんとか」
 「……村上宗伯むらかみそうはく

 化け猫遊女さんの話に鳥居さんがボソッとつぶやきます。

 「そう、そんな名にゃ」
 「ご存知なのですか鳥居様!? 鳥居様の生きていた時代より100年以上も前の人を!?」

 不意に出てきた”村上宗伯”という人物。
 それを知っているという鳥居さんに珠子さんが驚きの声を上げます。
 
 「高名な医師の村上という名であれば儂が知らぬはずがなかろう。だが、儂では『かたわれ魚のかたわれ』がわからぬ……」

 そう言って鳥居さんは珠子さんと板前長さんを見ます。

 「ああ、そっちのことならお任せ下さい。あたしはわかってますから。板前長さんもそうでしょ」

 これくらいはわかって当然といった顔つきで珠子さんが手にVサイン。

 「ええ、今、それを手に入れる算段を付けた所です」
 「さっすがー! をすぐ手配できるなんて、いよっ日本一!」
 「なるほど、珠子殿、板前長殿、少しよろしいかな」

 そう言って鳥居さんは私たちから少し距離を置き、そこで珠子さんと板前長さんと何やら会話をします。

 「……なるほど、鳥居様の仮説だとそういうことですか」
 「わかりました。魚は目黒に届けるよう手配を取りましょう。話の流れはこんな感じではどうでしょうか」
 「あっ、それいいですね。やっぱかなわないなぁ」
 「うむ、ではそのように」

 そんな小声がひとしきり聞こえた後、3人はクルッっとこっちを向き直ります。

 「化け猫遊女さん喜んで下さい! ゆずりはさんの行く末がわかるかもしれません!」
 「本当にゃ!?」
 「左様、しかしそれをここで口で説明しても信憑性に欠けまする。これから目黒不動尊の境内に向かいましょう。そこに村上宗伯の文字が刻まれた石碑がございます」

 そう言って鳥居さんは私たちを促します。
 楪さんが言っていた父親”村上宗伯”のヒントがそこにあるという事です。
 ですが……、

 「で、その村上宗伯という方はどんな人物なのですか?」クイッ

 残念ながら私の知識ではその人物に心当たりがありません。

 「そやつは中津藩の藩医の家系の開祖。子孫には村上玄水むらかみげんすいという男がおります。そして、その村上玄水は……」

 そう言って鳥居さんは少し複雑な顔を浮かべて言葉を続けました。

 「村上玄水は、儂の憎っくき蘭学者のひとりよ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?

あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」 結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。 それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。 不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました) ※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。 ※小説家になろうにも掲載しております

イケメンが好きですか? いいえ、いけわんが好きなのです。

ぱっつんぱつお
キャラ文芸
不思議な少女はとある国で大きな邸に辿り着いた。 なんとその邸には犬が住んでいたのだ。しかも喋る。 少女は「もっふもっふさいこー!」と喜んでいたのだが、実は犬たちは呪いにかけられた元人間!? まぁなんやかんやあって換毛期に悩まされていた邸の犬達は犬好き少女に呪いを解いてもらうのだが……。 「いやっ、ちょ、も、もふもふ……もふもふは……?」  なろう、カクヨム様にも投稿してます。

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな

ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】 少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。 次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。 姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。 笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。 なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

あやかし狐の身代わり花嫁

シアノ
キャラ文芸
第4回キャラ文芸大賞あやかし賞受賞作。 2024年2月15日書下ろし3巻を刊行しました! 親を亡くしたばかりの小春は、ある日、迷い込んだ黒松の林で美しい狐の嫁入りを目撃する。ところが、人間の小春を見咎めた花嫁が怒りだし、突如破談になってしまった。慌てて逃げ帰った小春だけれど、そこには厄介な親戚と――狐の花婿がいて? 尾崎玄湖と名乗った男は、借金を盾に身売りを迫る親戚から助ける代わりに、三ヶ月だけ小春に玄湖の妻のフリをするよう提案してくるが……!? 妖だらけの不思議な屋敷で、かりそめ夫婦が紡ぎ合う優しくて切ない想いの行方とは――

名古屋錦町のあやかし料亭〜元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

櫛田こころ
キャラ文芸
名古屋は錦町。 歓楽街で賑わうその街中には、裏通りが数多くある。その通りを越えれば、妖怪変幻や神々の行き交う世界​───通称・『界隈』と呼ばれる特別な空間へと足を運べてしまう。 だがそこは、飲食店や風俗店などが賑わうのは『あやかし』達も変わらず。そして、それらが雑居するとあるビルの一階にその店はあった。数名のカウンター席に、一組ほどの広さしかない座敷席のみの小料理屋。そこには、ちょっとした秘密がある。 店主が望んだ魂の片鱗とも言える『心の欠片』を引き出す客には、店主の本当の姿​──猫の顔が見えてしまうのだ。 これは元地獄の補佐官だった猫が経営する、名古屋の小料理屋さんのお話。地獄出身だからって、人間は食べませんよ?

処理中です...