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第五章 遠征する物語とハッピーエンド

酒呑童子とお粥(その3) ※全5部

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◇◇◇◇

 「今日のお酒の味はどうですか?」

 賭けも4日目、酒呑童子さんにお酌をしながらあたしは言う。

 「いつもと変わらん」

 ぶっきらぼうに彼はそう言うけど、今日のお酒は以前とは違うの。
 今日のお酒はただの連続式蒸留焼酎、旧名焼酎甲類。
 ぶっちゃけ味気ない。

 「さーて、お酒も呑まれたことですし、お待ちかねの瀉血ターイムです!」
 「なんだか嬉しそうだな。そんなに血を見るのが好きか?」
 「うーん、職業側、血を見る機会は多いですけど、好きとは言い難いですね」

 肉や魚をさばけば血が出る。
 食べ物にはいつも感謝して頂いていますけど、あたしは美味しく料理するのが好きなのであって、血を見るのが好きなわけじゃない。

 「しかし、やけに嬉しそうじゃないか」
 「えへへ、そう言う酒呑童子さんこそ、最初の方にあった緊張感が薄れているじゃないですか」

 彼の視線や筋肉の硬直、気の張り方、どれもが最初の頃よりずっと緩くなっていた。

 「飯炊き女ごときに気を張る必要もないと思っているだけだ。まあ、俺様が本当の意味で気を抜ける相手は茨木しかおらぬがな」
 「やっぱり茨木童子さんは貴方あなたが唯一、心を許せるパートナーなのですね。でもそれは彼女とふたりっきりの時に言うべきでは?」
 「そんな恥ずかしい事、あいつの前で言えるか。お前もこの事をあいつに言うなよ」

 はーい言いません、ピコピコっと。

 「それじゃあ、四天王のみなさんはどう思っています? 彼らも貴方をとっても慕ってますよ」

 ちょっとコミカルで抜けている感じのする熊童子、金熊童子、虎熊童子、星熊童子の大江山四天王のみなさん。
 彼らもまた酒呑童子さんの事を心配しているのは火を見るよりも明らか。

 「それは理解している。やつらの忠誠心を疑った事もない。だがな……」
 「だが、何ですか?」
 
 あたしの問いに酒呑童子さんは少し遠くを見るような目をする。

 「やつらは危なっかしくて見ておれん。とても心が休まらんわ」
 
 ごもっともで。

◇◇◇◇

 「さあ! 瀉血も無事に終わりましたし、今日のあたしの自信作でーす!」

 そう言ってあたしは土鍋の蓋を開ける。
 そこに見えるのは少し赤みがかったお粥。

 「今日は古代米を使った雑穀粥ざっこくがゆにしてみました。白米に発芽玄米、赤米に黒米に緑米、もちきびにもちあわを柔らかく炊き上げました。どうぞ召し上がって下さい」
 「ふん、昨日とは違って粗末な粥だ」
 「あら、こちらの方が馴染みがあるのでは?」
 「そうだな、少し懐かしいかもな」

 現代では雑穀米は白米よりお高め。
 だけど、酒呑童子さんが活躍していた平安の世では、きっとこっちの方が庶民的で身近なはず。
 彼は人間と八岐大蛇ヤマタノオロチの息子。
 だけど、彼を育てたのは父の八岐大蛇ヤマタノオロチではなく、人間の母、玉姫たまひめ
 豪族の娘って伝承だけど、きっと暮らしは京の貴族ほどじゃなかったと思う。
 だから、この雑穀粥は口に合うと思ったけど、正解だったみたい。

 ズッ

 軽くすするような音を立てて木匙の上のお粥が彼の口に注がれていく。
 それが舌に触れた瞬間、彼のだるそうな目が見開かれた。

 「うま……、食えぬ味ではないな」

 あらま、強がっちゃって。
 そう言いながらも、あなたの手は口と土鍋との往復を止めないじゃないですか。
 カッカッと音を立てて酒呑童子さんの食が進む。

 ピタリ

 最後のひと匙、これを彼が飲み込めば賭けはあたしの勝利。
 
 「どうされました?」
 「……なんでもない」

 なんでもないはずがない、彼は迷っている。
 この最後のひと匙を食べて負けを認めるかどうかを。

 「残して頂いて結構ですよ。いや、むしろ残して下さい」
 「ほう、言うではないか。たなごころにある勝利をみすみす逃すというのか?」
 「はい、約束の五日目、最終日にはあたしの決戦料理スペシャリテをご用意しております。それを出さずに勝利するなど……」
 「など?」
 「おちゃのこさいさいのこんこんちきできょうめます」

 ここまで来たら勝ったも同然、あたしには秘策がある、負けるなんてありえない。
 そんな挑発めいた口調であたしは言った。

 「もがっ!」

 あたしの口に彼の最後のひと匙が突っ込まれた。

 「ぬかしたな! ならばその挑発に乗ってやろう! その“すぺしゃりて”とやらが俺様の口に合わなかった時は、お前の口に突っ込まれるのは匙ではなく、俺様の一物いちもつだと知れ!」

 彼は少し怒りながらも嬉しそうにそう言った。
 まるで、この勝負を楽しむかのように。
 うーん、元気になった途端、下ネタ系に走るのは、やっぱり血筋なのかしら。

◇◇◇◇

 「うまい! これは何という酒だ!?」

 そして決戦の最終日、あたしが用意したお酒を口にするなり彼はそう言った。

 「それは初日にも飲まれた『季の美きのび』ですよ。珍しい日本のジンです」
 「そんなはずがない。あの時の酒はこんなに美味くはなかったぞ!? こんなに複雑で絡み合いながらも調和の取れた味ではなかった」

 グビッと盃をさらに口に含み、『季の美』を舌と喉でゆっくりと味わいながら彼は言う。
 彼の驚きには理由がある。
 ううん、正確に言うとあたしの策のせい。

 実は2日目と4日目のお酒はただの甲類焼酎だったの、それは味わいとしては単調なお酒。
 で、今日出したのはとっても美味しいドライジンの『季の美きのび』。
 昨日のお酒との味の差が、彼の驚きの秘密。
 今日は決戦の日だから、やっぱり最初からガツンとやらなくちゃね。

 「いえ同じですよ。この『季の美』はお米のライススピリッツをベースに、西洋ねずの実ジュニパーベリーアヤメの根オリス・ルートひのき柚子ゆず、レモン、玉露ぎょくろ、生姜、赤紫蘇、笹の葉、山椒の実、木の芽といった11種類のボタニカルで作られたジンです。京都の和のボタニカルが活きた素晴らしい味わいなんですよ」

 ジンはイギリスで生まれたお酒。
 元は医療向けに薬草のリキュールとして開発されたのだけど、その優れた味わいにハマる人が続出し、今では世界三大スピリッツの一角を担うようになった。

 「本当なのか? 俺様をたばかってはおらぬだろうな」
 「本当ですよ。酒呑童子さん、貴方はこの前まで味覚がおかしかったでしょ。ううん、味覚を喪失そうしつされてませんでしたか? 味を感じられるようになったのは、ここ数日ではないでしょうか?」

 あたしの問いに、彼は一瞬動きを止め、盃に浮かんだ自分の顔をじっと見つめる。

 「いつから気付いた?」
 「何度か料理をぶちまけられた時には既に。ほら『苦い、食えたもんじゃない』、『石でも舐めているようだ』、『ゴム手袋でも皿に盛っておるのか』なんておっしゃってたじゃないですか。あれって、味覚に異常がある人の症状ですよ」

 人間にとって味覚はとても重要。
 だけど、それに異常をきたしたり、それが喪失してしまう事もままある。
 その原因は様々だけれども、舌の火傷といった外的要因でなければ、内臓疾患の可能性が高い。
 具体的には肝炎とか腎炎とか。

 「酒呑童子さん、あなたの身体に残った”神便鬼毒酒しんべんきどくしゅ”の毒、それがあなたをむしばみ、肝臓をはじめとする内臓はその解毒と回復で手一杯でした。だから、あなたは病に侵された人間のようなになっていて、味覚も異常をきたしていたのだと思います」

 明らかに病気のていをしていた彼の身体。
 その原因に心当たりはひとつしかかった。
 それが鬼には毒になる酒、”神便鬼毒酒しんべんきどくしゅ
 彼の死に際に身体に残っていた毒。

 「だろうな、幽世かくりよでの休養が中途半端に終わったため、そうなったのだろう。だが、どうして俺様の味覚は戻った? いや、ここ数日は非常に気分がいい。今日は復活してから連綿れんめんと続く頭痛も止んだ。茨木いばらぎ石熊いしくまが手に入れた貴重な薬やたんも効果はなかったというのに」

 彼の体調が悪いのは明らか。
 それを見て、茨木童子さんが何もしなかったはずがない。
 きっと、日本各地で薬を探し回った事は想像にかたくない。
 でも、それではダメなの。
 だって、彼の身体をむしばんだ毒は神便鬼毒酒しんべんきどくしゅなのだから。

 「普通の薬や丹では効果が薄かったのだと思います。たとえそれが神仙の薬であったとしても。いいえ、むしろ神仙の薬だったから効果がなかったのかもしれません。だって、神や人には薬となる神便鬼毒酒しんべんきどくしゅの成分は神仙の薬にとっては友達も同然。『あっ、これ身体にいい成分だー』なんて思われて攻撃しなかったのかもしれませんから」

 ちょっとおどけるような口調であたしは言う。

 「なるほど。では娘よ、お前の瀉血しゃけつとやらに効果があった理由は?」
 「その理由は最期の瀉血をしながら語るとしましょう。ちょっと長めになると思いますから」
 「よかろう、ではお前の身体を布団替わりに治療を進めようぞ」

 そう言って、酒呑童子さんがあたしに身体と腕を預けてくる。

 「ちょちょちょ、ちょーっと、なんでこんな体勢なんですか!?」

 彼の頭はあたしの膝の上。
 ちょうど横向きの膝枕のような体制で彼は横たわる。
 
 「なんだ、この体位では出来ぬと申すか」
 「うーん、できない事はありませんけど……」
 「ならばよい。俺様はまだ病人なのだ。病人には優しくするものだと母様ははさまも言ってくれたぞ」

 うーん、最初に比べると随分素直になってくれて、ちょっと可愛らしいのはいいんですけど、少し退廃的かも。

 「なにやら違和感があるな」
 「どうされました? どこかお加減でも悪くなりましたか」
 「いや、母様の膝枕でこの体制になった時は母様の顔がみえなんだ。だが、今はお前の顔がよく見える」

 あたしの膝から上目使いで彼はあたしの顔をじっと見つめる。
 ふふーん、最初は醜女しこめなんて言われたけど、やっとあたしの魅力に気付いたみたいね。

 「そうか……胸が薄いのか。なるほどなるほど」
 
 プスッ

 「あたたたたぁ! もっと優しく刺さぬか!」

 瀉血用の針が勢いよく彼の皮膚を貫いた。
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