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「学校での課題に、ビズマー病を選んだのはおそらく私の影響だと思いますが、その内容を盗んだのかと言われればそうかもしれないし、違うかもしれません」
以前思い出した時は、ただのちょっとした学生のトラブルだと思っていた。あの時は彼について特別な感情があったなんて思っていなかったから。
あの事件が起こった時はすでに教授と共にビズマー病について何度も議論を重ね、非公式に現地調査に何度も行っていた頃だった。
「ですが、当時病の原因については解明されていませんでした」
「……地下水が原因だったと聞いている」
「正確には特定の地域から流れてきた地下水ですが、それを調べ原因を特定したのは私と教授です。当時はそれは未発表で、だから彼がそれを知るはずはないんです。裏切られたと思っていたのに、それでもどこかでもしかしたら彼も同じように考えていたのかもしれない。そんな風に希望を持っていた自分もいました」
研究所に入りながらも企業と契約し、薬の開発をし始めた。私と教授の研究はずっと進んでいたけれど、何となく予感があった。彼、また来るんじゃないかって。
あんなことがあったのに当たり前のように声をかけてきてたもしかしたらなんて思ってもいたからはね跳ね除けることもできず、流されるように挨拶を交わした。
あの時、ここまで思い出していたら、違っただろうか。
ラニーは私の話を黙って聞き、話すことで不思議と私は心がすっと軽くなるような気がした。
ある日、同じ敷地内にあるカフェの方へ彼が歩いていくのを見た。
窓の外はどんよりとした曇り空で、もうすぐにでも雨がザーザーと降り始めそうな匂いまで立ち込めていた。
自分から関わるべきではない。そう思っているのに、予想通り降り出した雨に、さっき見た彼は傘を持っていなかったと思った。
気が付けば、予備の傘を持って研究室の外を歩いていた。引き返そうとも思った。でもなぜか彼の眩しい笑顔が浮かんでしまう。
もやもやとするのに、足は止まらない、何を今更期待しているのか。彼と仲直りがしたいのか、それとも、ありがとうと言って抱きしめられることを求めていたのか。
正面ではない方の入り口から入り見渡すと、観葉植物の影に彼の色を見つけた。
声をかけるかどうしようか迷う私の耳には彼ともう1人の女性の声が聞こえてきた。
1人で入ったはずの彼は、女性と一緒で、つまりはそういうことだ。待ち合わせをしていたんだろう、急に自分が恥ずかしくなり、くるりと踵をかえす。
「そういえば、あの陰気な雨女ちゃんはどうなったの? あそこの教授、あなたのお兄さんと契約しているんでしょ、先越されちゃうんじゃない?」
「そうかもな。あの女、無駄に真面目だからな、最近じゃあ、小さい個室をもらったって聞いたよ」
「あら、ちょっと出世したのね」
その2人の話で出てきた雨女ちゃんは、自分のことだと分かった。室内がやけに寒く感じ、足元から震えが上がってくる。
「向こうに行く前に1回偵察に行ってくるよ。役に立つものがあればいいな」
「やだぁ、悪い男ね」
「ちょっと参考にするだけさ」
それからはどうやってどう戻ったのか覚えていない、ただ気付いたら寮のベッドの上でぼんやりと天井を見てた。
「私は、私自身を見てもらえることはないとやっと気がついたの。……あの日も、お義父様から私の事を聞いて、同じ事を思った」
「違うっ、私はレイを利用しようなんて思っていない」
ガタンと乱暴に席を立ったラニーは、怒っていると言うよりは悲しそうに眉を寄せていた。
「私はレイを愛している! 君が、たとえ共同研究者ではなかったとしてもだ!」
ラニーは私の傍によると手を取り、両膝を着き、私は驚いて手を引いたが、力強く握られ解くことが出来なかった。
「全て思い出した君が、出ていくかもしれないと思った。レニアスを想って、泣くかもしれないと、嫉妬した。君の危機的状態に漬け込んで、夫に収まったことを、責められるかもしれないと、友情だったと言われるかもしれないと、怖かったんだ」
握る手は震えていた。
ラニーは私の膝に額をつけ、どうか許してくれと、震える声で言った。
「……私は、ラニーを疑ったの。信じられなくて、逃げたのよ。そんな私を、許せるの?」
「隠していたのは私だ。思い出せなくても、話してさえいれば違っただろう。他人の口から聞かされ、君は混乱したのだろう。それさえも、私に非がある」
私などに縋らなくても、ラニーならいくらでも美しく聡明で気遣いの出来る女性が見つかる。きっと突き放せば、終わってしまう。
「ここまでの列車の中で、考えたの」
飛び出した事は、すぐに後悔した。でも、帰る勇気は無かった。
「ラニーは私のした事なんて比較にならないくらいに名を挙げているもの。きっと、違うって。でも、怖かったのもし聞いて、否定されなかったらって。でも、ここでお世話になって、ずっと考えていたの。みんな親切で、優しいけれど、……ラニーに会えなくて、とても寂しいって」
気がつけばボロボロと涙か零れていた。
「黙って出て行ってごめんなさい」
すぐに力強い腕が私を包み、懐かしくも慣れた、シガレットとシトラスが香る。
涙はとどまることがなく気が付けば子供のように声を上げて泣いていた。
以前思い出した時は、ただのちょっとした学生のトラブルだと思っていた。あの時は彼について特別な感情があったなんて思っていなかったから。
あの事件が起こった時はすでに教授と共にビズマー病について何度も議論を重ね、非公式に現地調査に何度も行っていた頃だった。
「ですが、当時病の原因については解明されていませんでした」
「……地下水が原因だったと聞いている」
「正確には特定の地域から流れてきた地下水ですが、それを調べ原因を特定したのは私と教授です。当時はそれは未発表で、だから彼がそれを知るはずはないんです。裏切られたと思っていたのに、それでもどこかでもしかしたら彼も同じように考えていたのかもしれない。そんな風に希望を持っていた自分もいました」
研究所に入りながらも企業と契約し、薬の開発をし始めた。私と教授の研究はずっと進んでいたけれど、何となく予感があった。彼、また来るんじゃないかって。
あんなことがあったのに当たり前のように声をかけてきてたもしかしたらなんて思ってもいたからはね跳ね除けることもできず、流されるように挨拶を交わした。
あの時、ここまで思い出していたら、違っただろうか。
ラニーは私の話を黙って聞き、話すことで不思議と私は心がすっと軽くなるような気がした。
ある日、同じ敷地内にあるカフェの方へ彼が歩いていくのを見た。
窓の外はどんよりとした曇り空で、もうすぐにでも雨がザーザーと降り始めそうな匂いまで立ち込めていた。
自分から関わるべきではない。そう思っているのに、予想通り降り出した雨に、さっき見た彼は傘を持っていなかったと思った。
気が付けば、予備の傘を持って研究室の外を歩いていた。引き返そうとも思った。でもなぜか彼の眩しい笑顔が浮かんでしまう。
もやもやとするのに、足は止まらない、何を今更期待しているのか。彼と仲直りがしたいのか、それとも、ありがとうと言って抱きしめられることを求めていたのか。
正面ではない方の入り口から入り見渡すと、観葉植物の影に彼の色を見つけた。
声をかけるかどうしようか迷う私の耳には彼ともう1人の女性の声が聞こえてきた。
1人で入ったはずの彼は、女性と一緒で、つまりはそういうことだ。待ち合わせをしていたんだろう、急に自分が恥ずかしくなり、くるりと踵をかえす。
「そういえば、あの陰気な雨女ちゃんはどうなったの? あそこの教授、あなたのお兄さんと契約しているんでしょ、先越されちゃうんじゃない?」
「そうかもな。あの女、無駄に真面目だからな、最近じゃあ、小さい個室をもらったって聞いたよ」
「あら、ちょっと出世したのね」
その2人の話で出てきた雨女ちゃんは、自分のことだと分かった。室内がやけに寒く感じ、足元から震えが上がってくる。
「向こうに行く前に1回偵察に行ってくるよ。役に立つものがあればいいな」
「やだぁ、悪い男ね」
「ちょっと参考にするだけさ」
それからはどうやってどう戻ったのか覚えていない、ただ気付いたら寮のベッドの上でぼんやりと天井を見てた。
「私は、私自身を見てもらえることはないとやっと気がついたの。……あの日も、お義父様から私の事を聞いて、同じ事を思った」
「違うっ、私はレイを利用しようなんて思っていない」
ガタンと乱暴に席を立ったラニーは、怒っていると言うよりは悲しそうに眉を寄せていた。
「私はレイを愛している! 君が、たとえ共同研究者ではなかったとしてもだ!」
ラニーは私の傍によると手を取り、両膝を着き、私は驚いて手を引いたが、力強く握られ解くことが出来なかった。
「全て思い出した君が、出ていくかもしれないと思った。レニアスを想って、泣くかもしれないと、嫉妬した。君の危機的状態に漬け込んで、夫に収まったことを、責められるかもしれないと、友情だったと言われるかもしれないと、怖かったんだ」
握る手は震えていた。
ラニーは私の膝に額をつけ、どうか許してくれと、震える声で言った。
「……私は、ラニーを疑ったの。信じられなくて、逃げたのよ。そんな私を、許せるの?」
「隠していたのは私だ。思い出せなくても、話してさえいれば違っただろう。他人の口から聞かされ、君は混乱したのだろう。それさえも、私に非がある」
私などに縋らなくても、ラニーならいくらでも美しく聡明で気遣いの出来る女性が見つかる。きっと突き放せば、終わってしまう。
「ここまでの列車の中で、考えたの」
飛び出した事は、すぐに後悔した。でも、帰る勇気は無かった。
「ラニーは私のした事なんて比較にならないくらいに名を挙げているもの。きっと、違うって。でも、怖かったのもし聞いて、否定されなかったらって。でも、ここでお世話になって、ずっと考えていたの。みんな親切で、優しいけれど、……ラニーに会えなくて、とても寂しいって」
気がつけばボロボロと涙か零れていた。
「黙って出て行ってごめんなさい」
すぐに力強い腕が私を包み、懐かしくも慣れた、シガレットとシトラスが香る。
涙はとどまることがなく気が付けば子供のように声を上げて泣いていた。
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