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魔物の島
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蜘蛛猿は沼の近くまでやってくると、空気や地面の匂いを嗅ぐように周辺をさまよい始めた。沼の匂いがきついから自分の匂いには気づかれないはず、と信じたい。
俺はリュックからそっと、数少ない武器を取り出した。
持ってきた武器は二つ。そのうちの一つが魔法の弾を撃てる銃だ。オッサンが使っていた銃をそのまま小型にしたような手のひらサイズで、小型だけどかなり高かった。俺の半年間の給料の大半がこれに消えた。
でも魔法の弾を込めて撃つそれは、魔法が使えない人間には有効な武器になる。
さすがに丸腰で死の島にくる勇気は俺にはなかった。ただ、高額な魔法弾の数は限られていたから一度も試し撃ちしてない。出来れば使わないで済ませたかった。
蜘蛛猿はしばらくその場をうろつくと、逆方向に歩き始めた。
ほっと息をつく。
だけどその瞬間、蜘蛛猿が立ち止まった。振り返ってこっちをじっと見ている。
まさか、気づかれたのか? 岩場に隠れているのに?
まさかという気持ちと、逃げなければという気持ちがせめぎ合う。それは蜘蛛猿がこちらに一歩足を踏み出した事によって、逃げる方に傾いた。蜘蛛猿が走り出し、俺も岩場から飛び出す。
とにかく逃げなければ。でもどこに逃げたらいい? 沼は論外だ。森に入るしかないんだろうか。
「うわ……!」
背後から足音が迫ってきた。想像以上に速い。
焦って岩に躓いてよろけた背中に、何か重い衝撃が走る。同時に体が青い光に包まれて、痛みはかなり緩和された。
地面に転がった俺のマントを蜘蛛猿の長い手が掴んでいる。
蜘蛛猿は普通の動物とは違って、目の色が赤黒く濁っていた。知性を感じない、ただ殺戮だけしてきた生き物の目。
怖い顔だ。夢に見そう。
無数の牙の並んだ口で噛みつかれるより速く、俺は銃口を蜘蛛猿に向けていた。
ドンッと鈍い音が響く。
スローモーションのように、蜘蛛猿の身体が沼の方に吹っ飛ぶのが見えた。
魔法の銃を撃った衝撃は俺にも伝わり、背中を岩に打ち付けて一瞬呼吸が止まる。しばらく手が痺れと震えで上手く動かなかった。正当防衛とはいえ、生き物を撃ってしまった事に強い罪悪感を感じる。
だけど、そんな俺の罪悪感はすぐに打ち消された。
吹っ飛ばされて沼に落ちた蜘蛛猿は、大した致命傷も見当たらない姿でゆらりと立ち上がったのだ。
あれ? 魔法の弾、高い割に効果ないのか?
背中を冷や汗が伝う。
もしかして魔法防御の高い生き物なんじゃ……とか、あの毛皮は鋼鉄のような素材で出来てるのか……とか、いろいろな可能性が頭をよぎる。正解かどうかは分からないけど、とにかく逃げなければまずい。
そう思うのに、俺の体はぴくりとも動かなかった。
直後、それに気づいた。
茶色く濁った沼の中に、黄色く光る無数の何かがある。
なんだ、あれ……?
蜘蛛猿はまだ気づいていない。黄色く光る何かは、目のように見えた。
ゆっくりと蜘蛛猿に近づいていくと、ゆらりと水面が盛り上がる。中央に黄色い目を持つ茶色い水の塊が、二本足で立つ蜘蛛猿の背後に姿を現した。
スライム、かな。
俺の知っている生き物で一番近いと思えるものがそれだ。クラゲに見えないこともない。巨大だ。
色が茶色で半透明で、ねばねばと動くスライムは、あっという間に蜘蛛猿を包み込んだ。そのまま沼に引きずり込む。
「……」
気持ち悪い。
沼、怖すぎる。
ゴボゴボと音を立てている沼から視線を逸らし、俺は這うようにしてその場から逃げ出した。
***
沼を離れて3時間は経ったと思う。
精神的にも肉体的にも疲労がピークだ。よく3時間も生き延びたと感心してしまう。
3時間の間に魔法の弾を別の生き物に一発使った。蜘蛛猿と違って今度は効果があった。
その後翼竜に狙われて一度だけ森に隠れた。森でも小さくて獰猛な生き物に追いかけられたけど、何とかたいした怪我もなく逃げ延びる事が出来た。大部分はルーシェンにもらった守りの指輪のおかげだ。他にもオッサンのマントやリックのお守り……。
皆の事を思い出すと、泣きたくなってくる。それでも泣かずに歩いて、ようやく川にたどり着いた。
「川だ……」
そこは、それまで見てきた島の風景の中で最もまともな場所だった。
緩やかで大きな川が丘の方から海へと続いている。
丘の上の方には変わった樹木が点在していて、海辺から生暖かい風が吹き寄せてくる。足元は枯草におおわれているけれど、常識的な配色で落ち着く。
……落ち着くはずなのに。
何だろう、この胸騒ぎは。
心の中が不安でざわつく。
しばらく誰もいない川を見て、その胸騒ぎの正体に気づいた。
そこはいつか夢で見た、あの景色に似ていた。子供のアニキが座っていた、あの夢の風景に。
俺はリュックからそっと、数少ない武器を取り出した。
持ってきた武器は二つ。そのうちの一つが魔法の弾を撃てる銃だ。オッサンが使っていた銃をそのまま小型にしたような手のひらサイズで、小型だけどかなり高かった。俺の半年間の給料の大半がこれに消えた。
でも魔法の弾を込めて撃つそれは、魔法が使えない人間には有効な武器になる。
さすがに丸腰で死の島にくる勇気は俺にはなかった。ただ、高額な魔法弾の数は限られていたから一度も試し撃ちしてない。出来れば使わないで済ませたかった。
蜘蛛猿はしばらくその場をうろつくと、逆方向に歩き始めた。
ほっと息をつく。
だけどその瞬間、蜘蛛猿が立ち止まった。振り返ってこっちをじっと見ている。
まさか、気づかれたのか? 岩場に隠れているのに?
まさかという気持ちと、逃げなければという気持ちがせめぎ合う。それは蜘蛛猿がこちらに一歩足を踏み出した事によって、逃げる方に傾いた。蜘蛛猿が走り出し、俺も岩場から飛び出す。
とにかく逃げなければ。でもどこに逃げたらいい? 沼は論外だ。森に入るしかないんだろうか。
「うわ……!」
背後から足音が迫ってきた。想像以上に速い。
焦って岩に躓いてよろけた背中に、何か重い衝撃が走る。同時に体が青い光に包まれて、痛みはかなり緩和された。
地面に転がった俺のマントを蜘蛛猿の長い手が掴んでいる。
蜘蛛猿は普通の動物とは違って、目の色が赤黒く濁っていた。知性を感じない、ただ殺戮だけしてきた生き物の目。
怖い顔だ。夢に見そう。
無数の牙の並んだ口で噛みつかれるより速く、俺は銃口を蜘蛛猿に向けていた。
ドンッと鈍い音が響く。
スローモーションのように、蜘蛛猿の身体が沼の方に吹っ飛ぶのが見えた。
魔法の銃を撃った衝撃は俺にも伝わり、背中を岩に打ち付けて一瞬呼吸が止まる。しばらく手が痺れと震えで上手く動かなかった。正当防衛とはいえ、生き物を撃ってしまった事に強い罪悪感を感じる。
だけど、そんな俺の罪悪感はすぐに打ち消された。
吹っ飛ばされて沼に落ちた蜘蛛猿は、大した致命傷も見当たらない姿でゆらりと立ち上がったのだ。
あれ? 魔法の弾、高い割に効果ないのか?
背中を冷や汗が伝う。
もしかして魔法防御の高い生き物なんじゃ……とか、あの毛皮は鋼鉄のような素材で出来てるのか……とか、いろいろな可能性が頭をよぎる。正解かどうかは分からないけど、とにかく逃げなければまずい。
そう思うのに、俺の体はぴくりとも動かなかった。
直後、それに気づいた。
茶色く濁った沼の中に、黄色く光る無数の何かがある。
なんだ、あれ……?
蜘蛛猿はまだ気づいていない。黄色く光る何かは、目のように見えた。
ゆっくりと蜘蛛猿に近づいていくと、ゆらりと水面が盛り上がる。中央に黄色い目を持つ茶色い水の塊が、二本足で立つ蜘蛛猿の背後に姿を現した。
スライム、かな。
俺の知っている生き物で一番近いと思えるものがそれだ。クラゲに見えないこともない。巨大だ。
色が茶色で半透明で、ねばねばと動くスライムは、あっという間に蜘蛛猿を包み込んだ。そのまま沼に引きずり込む。
「……」
気持ち悪い。
沼、怖すぎる。
ゴボゴボと音を立てている沼から視線を逸らし、俺は這うようにしてその場から逃げ出した。
***
沼を離れて3時間は経ったと思う。
精神的にも肉体的にも疲労がピークだ。よく3時間も生き延びたと感心してしまう。
3時間の間に魔法の弾を別の生き物に一発使った。蜘蛛猿と違って今度は効果があった。
その後翼竜に狙われて一度だけ森に隠れた。森でも小さくて獰猛な生き物に追いかけられたけど、何とかたいした怪我もなく逃げ延びる事が出来た。大部分はルーシェンにもらった守りの指輪のおかげだ。他にもオッサンのマントやリックのお守り……。
皆の事を思い出すと、泣きたくなってくる。それでも泣かずに歩いて、ようやく川にたどり着いた。
「川だ……」
そこは、それまで見てきた島の風景の中で最もまともな場所だった。
緩やかで大きな川が丘の方から海へと続いている。
丘の上の方には変わった樹木が点在していて、海辺から生暖かい風が吹き寄せてくる。足元は枯草におおわれているけれど、常識的な配色で落ち着く。
……落ち着くはずなのに。
何だろう、この胸騒ぎは。
心の中が不安でざわつく。
しばらく誰もいない川を見て、その胸騒ぎの正体に気づいた。
そこはいつか夢で見た、あの景色に似ていた。子供のアニキが座っていた、あの夢の風景に。
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