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終章 黒珠黒衣
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しおりを挟む槐花二十年三月、崩御した槐花帝に代わり、新帝が即位することとなった。
游帝国では、皇帝が即位する折り、花を選び、皇帝は花の名で呼ばれる。崩御した先帝の選んだ花は『槐』。それゆえ、元号は『槐花』となり、後の人々は『槐花帝』と呼ぶことになる。
新帝が選んだ花は、菊だった。
しかも、『菊を『仙花』と呼ぶこととし、この花を皇帝の花として、国内での栽培を禁ずる』というお触れが出された。
国中のすべての菊は、皇城に集められ、清々しい菊の香りで皇城が満ちることとなった。皇城の花園では、新たに菊園が設けられることになったが、場所がなかった為、桃園と、桃香娘娘を祀った廟堂、それに槐花園が廃止されることになった。
即位式は、菊の宴の行われる、九月九日の重陽と決定した。
九月九日。
即位式の為に仕度をしながら、灑洛は祐翔の姿を見た。祐翔は、まだ、歩き始めたばかり。まだまだ、守ってやらねばならない。
(祐翔には、良い娘を娶せて、沢山の子を産ませなければならないわ……)
そうやって、灑洛は遊嗄の血統を守るつもりだ。
今まで怖くて開封することの出来なかった、遊嗄の遺書を、灑洛は、やっと開くことが出来た。それは、昨夜のことだった。
『あなたがどんなに辛いときでも、私は、あなたの側で見守りあなたの守護をする。
だから、あなたは、わたしのことにとらわれず、幸せになりなさい』
附記するように『わたしはあなたの桃香娘娘になると誓ったからね』と添えられていて、灑洛は胸が熱くなって、涙が溢れて止まらなかった。
来世は、絶対に庶人の夫婦として巡り会うわ―――。
もしかしたら、地獄に落とされて、転生は叶わないかもしけないけど、百万年後でも、遊嗄に再会したら、解るはずだと信じている。
涙がにじんだ眦を指で押さえた灑洛に、鳴鈴が声を掛けた。
「それにしても、皇太子殿下に入宮したあの日、こんな日が来るなんて、思いもしませんでした」
「わたくしも、そう思うわ」
「あの時、桃園で、皇帝陛下に出逢ってしまったのもすべての元凶ですけれど……神鳥が死んだのも、運命が歪んだ原因のように思えますね」
もし、神鳥を、祁貴嬪が殺されなければ―――。祁家は粛正されることなく、灑洛が皇后に上がることもないはずだった。
「そうね。おもえば、望んでも居ないのに、とても遠い所へ来てしまったような気がするわ」
灑洛は、目を伏せて、思い返す。灑洛が遊嗄の妃だったのは、二年前のことなのに。十年も昔のことのような気がする。
「本当ですよね。……それに、今更こんなことを私が言うのも、嫌な話なのですけれど……神鳥を殺したのは、祁貴嬪ではないような気がするんです」
だって、皇帝にとって、あまりにも都合が良すぎるんですもの。と鳴鈴は小さく呟く。
灑洛は、フッと笑った。
「あなたにだけは教えて上げる。神鳥を殺したのは、わたくしよ。……あれは、頭の良い鳥だったから、わたくしの罪をすべて見ていたの。あの時、わたくしは懐妊しているのを知らなかったけれど……あのあと、私は、遊嗄さまにも、皇帝にも、召されることを覚悟していた。
祐翔は、遊嗄さまの子で間違いないけれど……わたくしは、お腹の中の子が、どちらの子か、神鳥に暴かれるのを嫌ったの。神鳥は、わたくしの妹の子が、たしかに、元の婚約者との間に生まれた子だと言い当てたから。解るのよ、神鳥は。
あのお堂で、私は、もしかしたら、皇帝の子を身ごもったかも知れないと思ったわ。ええ、怖ろしかったの。皇帝は、孕むようにと執拗に、私を求めたから」
そして、そのあと。灑洛は、子を守るために、夜叉になった。
「祁貴嬪の爪は、わたくしの密偵が持ってきたのよ。わたくしの密偵は、柳栄花。祁貴嬪の爪は、花園で受け取ったわ。……いざとなったら、何かに使えると思って居たし……あの子の兄は、仕官の口を探していたから、濘家で使うことにした」
「それで……濘宰相に、柳清枳さまが付いていたのですね」
鳴鈴は、茫然と、主を見た。灑洛は、以前と変わらずに美しい。だが、その美しさに、凄惨な影を感じる事がある。
――――それは、氷のようなと形容された、先帝槐花帝と似たような、陰惨な美しさだ。
「……そろそろお時間です」
灑洛に告げたのは、黨睿泰。妹、濘汀淑の夫で、今は、将軍として瀋都警護に尽力している。
灑洛は「出るわ」と告げて、歩き出す。
重い黄金で出来た扉が、軋んだ音を立てて開かれる。
皇城の前庭、ずらりと百官が平伏しているのが地平まで続くようだった。皇城の、百段以上にもなる長い階段の上に立ちながら、灑洛は重々しい錫杖をもって、両手を掲げる。
「皇帝陛下のおなりーーーっ!」
万歳三唱する群臣の前で、仙花をまんべんなく刺繍した、美しき黒珠黒衣が翻った。
了
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