神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

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第七章 吉報

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 皇帝を追い詰める為の布石は整った―――。

 遊嗄ゆうさは、そう確信していた。

 華臥かが殿の牀褥しょうじょく(ベッド)の上、殆ど糸のように細い月が沈んでいくのを見つめながら、遊嗄は、愛しい妃の裸の肩を抱き寄せながら、そう思った。

 実の父親を殺すのは気が引けるが、それでも仕方がないと思っている。灑洛れいらくを守る―――奪いかえすには、これしかない、と遊嗄は解っている。

(躊躇っているのか、私は……)

 灑洛の寝顔を見つめながら、遊嗄は考える。父の―――他の男の身体を知って、灑洛は、いままでと違う反応を返すようになった。そのことに、遊嗄は、気が狂いそうになるほどの嫉妬を覚える。それは、灑洛が、別の男に暴かれたことを見せつけられているようなものだからだ。

 右の脇腹。こんな所は、今まで遊嗄が触れても、反応を示さなかったところだ。なのに、今では、灑洛自身にも後ろめたさがあるせいなのか、酷く恥ずかしそうに反応する。

 二人で過ごすときも、いつもあの男の影に怯えなければならない毎日というのは耐えがたいことだった。

(だが、この苦痛も、もう少しで終わらせるよ。灑洛……)

 遊嗄の計画は、こうだった。

 神鳥を殺したものは凌遅刑―――しかも理由の如何を問わずという厳命である。これを利用するのだ。

「神鳥をころしたのは父上だからね……」

 灑洛の髪を指できながら、遊嗄は、呟く。

 神鳥殺しは、現在遊嗄が調査を任されている。遊嗄が調査した結果は―――神鳥を殺したのは、現皇帝というものになる。

 神鳥の遺体の様子は、皇宮の画家に詳細に書かせて、いつでもその時の様子がわかるようにしてある。長い尾羽を引きちぎられ、脚を折られ、目を抉り取られ、喉笛を真横に切られて殺されていた―――が、多少の違和感があった。

 くちばし横に、刀傷があったのだった。

 それを、灑洛に聞いてみると、灑洛は、はらはらと涙を流しながら、その時のことを話してくれた。



『陛下に、床に押し倒されたときに……晧珂こうかが飛んできて、皇帝の肩を突いて、止めるように、何度も言ってくれたのです。その時、陛下は懐から刀を取り出して、晧珂に切りつけました。その時は、飛ぶことが出来なくなった晧珂が、ぐったりと床に落ちるのを見ましたけれど』



 灑洛のこの証言は、調査官にも記録させている。皇帝の閨について記録する丹史たんしは、灑洛が陵辱された一件を記録していないが、皇宮で起きた事件として、記録されるに至った。

 皇帝が錯乱して神鳥を切りつけた。

 この事実だけで、皇帝に『神鳥殺し』の罪をなすりつけるのは十分だった。しかも、悲劇の皇太子妃を守ろうとして切られたのだ。皇帝の悪逆は、民達にも浸透しているはずだし、凌遅刑を行っても、問題はない。

(勿論、父帝を凌遅刑にすれば、私の方が残虐非道の誹りを受けるだろうから、新帝として即位した暁には、温情として、離宮へ幽閉の上、毒酒どくしゅを与える形になるだろうが……)

 それでも、早晩、父帝が死ぬことは確定事項となった。

(勝負は、次の朝議ちょうぎ―――)

 特に、大朝議だいちょうぎと呼ばれる、大極殿たいきょくでんで行われる月に一度、朔日さくじつに行われる大朝議の席で発表すれば良い。

晧珂こうかには悪いが……、簒奪には丁度良い機会になった」

 無論、労せず、いずれ遊嗄の手の中に落ちてくるはずであった帝位である。ここで、無理をして性急に簒奪することはなかったが、愛する灑洛を守る為ならば、あの冷ややかな玉座に就くことも、良いだろう。

 玉座は、酷く孤独なものだろうと、遊嗄は思う。父帝の姿を知って居るから、余計にそう思うのかも知れない。

 だが、遊嗄には灑洛が居る。傍らに、愛おしい灑洛が居る限り、遊嗄の玉座は、決して孤独なものではないだろうと思うのだ。

「……ん……、遊嗄さま?」

 ぼんやりとした眼差しで、灑洛が遊嗄を見上げる。潤んだような黒い瞳が闇に輝く。遊嗄にとって、この眼差しこそ、何にも代えがたい黒珠こくじゅであった。

 そっと、瞼に口づけてから遊嗄は「起こしてしまった?」と甘く問い掛ける。

「いいえ、わたくし、ずっと、起きて居ましたわよ」

 灑洛は、遊嗄の前で眠ったことない―――といつも主張する。どうやら『指南書』を律儀に守っているようなので、夫に寝顔を見られてはいけないだとか、そういうばかばかしい決まりを守っているようだが、それも、すべて、遊嗄の為にやっていると解っているので、それは可愛いものだった。

 灑洛の頬や口唇に口づけを落としながら、遊嗄は笑う。

「たまには、私に、寝顔を見せて」

「嫌です……だって、多分、見苦しいですもの……こうして居るときだって……明かりは落として頂きたいのに」

 灑洛は、顔をしとねに埋めてしまった。

「どうして?」

 甘く問い掛けると、灑洛は褥に埋めた顔を上げた。耳まで、真っ赤になっている。

「恥ずかしいのです……」

「何度も、こうして居るのに?」

 少しの間でも、夜離よがれることは出来ないほどに、灑洛の肌を愛しているというのに。

(あなたが、皇帝の寝室に行っている間……私がどんなに荒れているか、あなたは知らないだろう)

 遊嗄の私室は、現在、他人を通すことが出来ない状態になっていた。

 召し出しを受けている間中、遊嗄は、悪夢を振り払うように、ものに八つ当たりをしていた。刀を抜いて、部屋中のものに切りつけて、叩き壊していたのだ。とにかく、ありとあらゆるものを壊した。もし、もう少し正気を失っていたら、宦官でも侍女でも斬り殺していただろうと思う。

(勿論、こんな、情けない私を、あなたには知られたくないけれど……)

 口づけを受けてくすぐったそうに無邪気に身をよじる灑洛を見ていると、心の底に溜まったどす黒いおりが、消えていくような気がする。

「……あなたのことは、助けるよ……。私は、いん太監たいかんが言うように、庶人ではないからね」

 遊嗄は、灑洛が心配そうな眼差しで見ていることに気がついた。

「どうしたの?」

「……勿論、わたくしも、こんな悪夢のような日々は、早く終わって欲しい……ですが、遊嗄さま。約束して下さいませ。決して、危険なことはなさらないように」

 縋り付いてくる灑洛に、遊嗄は微笑した。

「大丈夫だよ、灑洛。………私の身が危険にさらされることはない。皇帝を殺すのは、噂話だからね」

「それは……わたくしを、寝所に召していると言うことですか?」

「いいや、神鳥の件だよ。―――灑洛。あなたは、何も心配要らない。重陽ちょうようまでにすべてを片付けよう。だから……あなたは、重陽の私の衣装を―――黒衣に菊の刺繍を貼り替えておくれ」

 灑洛が、瞳を見開いた。

 重陽――――九月九日の菊の節句にして、遊嗄の誕生日だ。

 その宴を、遊嗄は、『黒珠黒衣』で迎えるつもりなのだ。

 灑洛の唇が震えた。その唇を優しく奪って、遊嗄は灑洛の白い身体を、そっと抱き寄せる。

「あなたは、なんにも心配しないで。……朔日ついたちには片が付く。もう、あなたは、あの男に抱かれることもないんだ。悪夢の日々は、終わったんだよ、灑洛」

 遊嗄は、灑洛に告げるが、灑洛は、まだ信じられないような顔をしていた。





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