神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

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第五章 廟堂の宵

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 明け方まで、|遊嗄ゆうさと牀褥《しょうじょく》(ベッド)で過ごすのが、入宮以来、灑洛れいらくの日常になっている。

 最初のうちは、素肌に触れる絹の滑らかな感触が、艶めかしくて慣れなかったが、今では、素肌で感じる感覚の素晴らしさを全身で愉しんでいた。

 絹のしとねを素肌で泳ぐのは心地が良いし、素肌で感じる遊嗄の、逞しくて熱い身体も、陶然とするほど、心地が良い。夜のように身を繋げるわけではなくとも、素肌の胸に身を寄せて、脚を絡ませているだけでも、幸福感に満たされる。

 遊嗄の、あどけない寝顔を見ているのも、楽しい。夢を見ているようなときには、口元が、なにやら、もごもごと動いている。戯れに、つん、と頬を突いてみても、遊嗄は起床時間まで起きることは、殆どない。眠りが短い分、深いようだった。

 遊嗄は、初夜の時の約束―――私は、あなたの肌から、口づけの痕を消さないことを誓う、と言ったあの約束を、しっかりと守っているので、灑洛の胸元から、真紅の花弁が消えることはない。

(もしかしたら、これも、私が悪い噂をされる理由かも知れないけれど……)

 それでも、止めて欲しいとは思わなくなっていた。これは、遊嗄にだけ許したことなのだ。遊嗄に愛されていることを実感する為の証でもある。

「……どうしたの、灑洛」

 灑洛を無に元に引き寄せながら、遊嗄が問い掛ける。起床時間だ。

 皇太子の寝所である華臥かが殿は、風華ふうか池の水面を渡る風が、そよ、と吹き込んできて、明け方近くは、夏でも肌寒いほどだ。もっとも―――肌を寄せ合って、暖め合う相手が居れば、少しくらい寒い方が都合は良い。

「この間、妹が殿舎を尋ねてきましたのよ」

「ああ……、とう睿泰えいたいが、一方的に、婚儀の約束を破棄したと聞いた」

 遊嗄は、一応の事情を知っていたらしい。もしかしたら、灑洛の父であるねい宰相が何か言って居たのかも知れないし、遊嗄自身が、とう睿泰えいたいから何か聞いていたのかも知れない。

とう睿泰えいたいと仰有るのね……。私には、名前を明かしてくれなかったから」

「いずれ、将軍になる男だ。今は……辺境に居るはずだ。北の果ての―――天涯てんがいにいるのかな。そこは過酷なところだと聞くよ。夏ならば良いが、冬は、川までも凍てつく紅蓮地獄になると聞いた。
 将軍を目指すのならば、通過点だが―――皇族でそこに配置されたら、死ねということだね」

 ふ、と遊嗄は笑う。自嘲めいた、嫌な笑みだった。

「父上に逆らったら―――逆らい続けたら、天涯へと飛ばされるかも知れないな。辺境の、士気高揚の為だと言って」

 それは、死を意味する言葉なのだとしたら、灑洛の答えは一つだった。

「では、わたくしも、お供いたします。……今日から、頑張って、馬に乗れるように練習しますわ」

「肌が裂けて、紅蓮の血しぶきが凍り付くほどの寒さだと聞いた。……私は、あなたの、柔肌を、そんな寒さに触れさせるつもりはない。もし、そうなったら、あなたは、私のことは見捨てなさい。私は、あなたを苦しめるのではなく、あなたの安らぎで居たいのだから」

 遊嗄が、灑洛の手を取って、そっと口づけした。

 このまま、噂がどうしようもないところまで行ったら――――。

 皇帝も、そういう判断をせざるを得ないだろう。

「嫌です。わたくしは、あなたを愛し抜くと決めたのですから」

「困らせないでおくれ、灑洛。……私は、あなたの、桃香娘娘とうかにゃんにゃんでありたいんだ」

 桃香娘娘は、桃の花の女神だ。男性である遊嗄が、なぜ、桃香娘娘になりたいというのか意味がわからずに、灑洛は「なぜ?」と問い掛ける。

「私は……昔、桃香娘娘の絵姿に、勇気づけられていたんだ。辛いことがあっても、あの絵姿があれば、笑って見守ってくれると。だから、あの桃香娘娘の娘であるあなたに一目で恋をした。
 けれど、私は、絵姿はいらない。私には、あなたがいるからだ……。あなたは、私の桃香娘娘だからね」

 桃香娘娘の絵姿は、灑洛の母、娥婉がえんの顔に似せて造られているはずだった。

(遊嗄さまと、皇帝陛下は、本当に、何もかも似ておいでなのね……)

 けれど、どんなに似ていても、灑洛が選ぶのは、凍てつく凍土のような皇帝ではなく、春の息吹のような遊嗄だ。

「気を悪くしたかい? 今更、こんな話をして」

 心配そうに、遊嗄が灑洛の顔を覗き込む。その口唇に、灑洛は自ら、口づけをした。灑洛の方から、口づけたのは、初めての事だった。

「灑洛……?」

 口唇が離れたとき、遊嗄が、困惑顔で問い掛けた。触れるだけの、ほんの僅かな間の口づけだったが、遊嗄は、酷く驚いたようだった。

「絵姿ではなく、わたくしを見て下さいませ」

「勿論。出逢った時から、私は、あなた以外、なにも見えないよ。だから……」

 どちらともなく、深く口唇が重なる。何度も、口づけを繰り返しながら、遊嗄は囁く。その囁きは、灑洛の耳朶に蕩けて、甘く響いた。



 ―――あなたを渡すくらいなら、私は、あの男と差し違えても良い……。


 甘い、甘い毒のように、その言葉が灑洛を蝕んだ。




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