神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

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第三章 噂と女たち

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灑洛れいらく、顔を上げなさい」

 やんわりとした口調だが有無を言わさぬ語調で皇帝に命じられ、灑洛は顔を上げた。

「なぜ、あなたは、床に這いつくばっていたのかな?」

 答えられずに、灑洛は困り果てる。貴嬪きひんに言われたといえば、また、祁貴嬪から不興を買うだろうし、皇帝に嘘を言うわけにもいかない。

「答えられないようならば、余が教えてやろう」

 皇帝は、やんわりと笑んだ。美しい顔に、乗った酷薄な笑みは、周りの者たちから、一瞬、呼吸を奪った。

「――君は、なんだか、祁貴嬪から、躾を受けていたようだね。滅多に声を荒げない遊嗄ゆうさが、花玉堂かぎょくどうの外まで聞こえていたよ」

「陛下!」

 祁貴嬪が、声を荒げて駆け寄ってきた。皇帝に拝跪すると「灑洛は、遊嗄の妃ですから、我が娘も同然……その娘に、躾を行ったのを、遊嗄が酷く怒っただけで……」と言い訳を並べる。

「祁貴嬪、控えよ。……朕は、すべて見ていた」

 花玉堂かぎょくどうが、水を打ったように静かになった。

「皇宮に、良からぬ噂が流れていると知ったからね。……祁貴嬪、そなたが思うより、我が眼、我が耳は、その辺中に潜んでおるぞ? そなたが、藍玉らんぎょく殿で口走った、朕に対する言葉も、一言一句違わずに、朕の元へ届いている」

 祁貴嬪は、陸に打ち上げられた魚が喘ぐように口を、ぱくぱくと、動かしていた。言葉にならないらしい。

「しかし、そなたに何かあれば、朕は、遊嗄の処遇を考えねばならぬだろう。それゆえ、今回は、大目に見よう。今日は、皇太后様を偲ぶ会だからね……とは言っても、そなたは、なにを勘違いして、そんな派手派手しい衣装を着ているのか、解らぬが」

 祁貴嬪は、灑洛を見て、眉を吊り上げた。派手な衣装と言われた祁貴嬪に対して、灑洛は、質素に見える清浄な白の衣装だ。

「そなたのほうこそ、灑洛を見習いなさい。……急な召し出しにもかかわらず、灑洛は、朕の意を汲んで、共に皇太后様を偲んでくれるようだよ」

「それは……本当に、……近頃、浮いた話がなかったものですから……、つい、宴の席と聞いて、浮かれてしまいましたわ。本当に、皇帝陛下に、心よりお詫び申し上げます」

 今度は、祁貴嬪が、床に平伏して礼をすることになった。

「礼は良い。……ここには、皇太后様を偲ぶ気分でないものが大勢居るようだから、そのものは、遠慮せずに出て行きなさい。祁貴嬪、ねい夫人、はい淑妃しゅくひ……あなたもだよ」

「妾は!」と反駁しかかった祁貴嬪だが、唇を噛みしめると「それでは、御前を失礼いたします」と拝礼して、後ろへ下がった。史玉に上衣を持たせて、そのままゆっくりと 花玉堂かぎょくどうを立ち去っていく。

 弔いの白を着たことも、被り布を被ったことも、すべて裏目に出てしまったのだ。これで、いっそう祁貴嬪は、灑洛を憎むだろうと思う。今日、皇帝が庇ってくれたことで、また、灑洛に対する風当たりは強くなるだろう。

 こまったことだ……と灑洛がふさぎ込んでいたときだった。

「灑洛。今日はそなたに、これをやろうとおもってな……それもあって、この席を設けたのだ」

 皇帝は、す、と手を宙へさしのべた。そこへ、ふわりと神鳥が止まる。

「神鳥に、拝礼いたします」と灑洛と遊嗄は並んで拝礼する。既に、背中を向けていた祁貴嬪たちも、様子に気がついて、拝礼を行った。

 程なく楽にするよう命じられたのち、顔を上げた灑洛は、神鳥が、じっと見ていることに気がついた。

 まん丸の、紫水晶の瞳に、吸い寄せられそうになる。

(何か、言いたそう……?)

 灑洛はなんとなくそう思ったが、神鳥は、瞬き一つしない。一体何なのだろうと灑洛が不思議がっていたときだった。美しく白い指で神鳥の鶏冠を撫でた皇帝が、散歩に誘うような何気ない口調で、言ったのだった。

「灑洛。そなたに、神鳥を与えよう」

 一同が色めき立った。

「父上! 神鳥しんちょうは、国の宝……いいえ、守護神とも言うべき存在です。皇帝陛下の肩に居るならばともかく、私の妃が賜るわけには参りません」

「恐れながら申し上げます」

 花玉堂かぎょくどうを立ち去ろる途中だった祁貴嬪、ねい夫人、はい淑妃しゅくひが急いで駆けつける。

ちんは、そなたらに立ち去れと命じたはずだが、なにゆえ、舞い戻ってきた」

 皇帝の声は厳しい。

「恐れながら……、皇帝陛下。神鳥は、国の守護神です。容易に、そのような小娘に与えてはなりませぬ……」

「私からも、申し上げます。……神鳥は、天帝の御使いにございますれば、そのような賤しき娘に与えるべきものではありません。もし、そのような事をなされば、天帝が必ず冥罰みょうばつを下されます。陛下、どうぞお考えを改め下さいませ」

「私からも……、皇帝陛下、なにとぞ、神鳥は、お手元に置かれますよう……」

 三人の妃嬪が、五体投地に近い形で拝礼するのを見て、遊嗄と灑洛も、慌ててしたがった。そこに居合わせた端女や宦官に至るまで、すべて、五体投地して皇帝に願う。

「ふふふ、黒衣黒珠を身に纏い……か」

 皇帝は、楽しそうに笑った。その皇帝を諫めるように、神鳥が言う。

『黎氷』

「いいや、神鳥。あなたには、我が姪を守ってほしいのだよ。……朕と、灑洛のことで、なにやら嫌な噂が流れている。朕は、そう言った噂が広まるのを。好ましく思って居ない。しかし、このままでは、行き過ぎたものが、灑洛を害することも考えられる。神鳥。あなたは、我が姪を守ってくれるね?
 灑洛は、あなたが告げたように、『国母こくもになる』のだ。ならば、灑洛を護ることがすなわち、国国を護ることになる。それならば、あなたも、灑洛の側に付きやすくなるだろう」

『私は構わぬ』

 どこからともなく響く神鳥の声に、祁貴嬪が顔を上げた。

『その娘に、この国の行く末が掛かっているのだろう。ならば、私自身の目で、この娘の未来を見届けるのも一興だ』

 ふわり、と神鳥は皇帝の腕を離れ、灑洛の肩に止まった。

「まあっ……お、重くない……のですね。わたくし、大きな鳥だから、重いのかと……」

 驚いて声を上げた灑洛に、皇帝は、やんわりとした眼差しを向けて、微笑していた。

「灑洛。神鳥は、嘘を言うことは出来ない。……だから、常に側に置きなさい。そして、神鳥には、敬意を持って、嘘偽り無く尽くすように。……遊嗄、これで、お前も安心するだろう」

 急に水を向けられた話を振られた遊嗄が、戸惑って皇帝を見遣った。

「なんの、お話しでしょうか、父上」

「知って居るよ。……お前自身も、噂話を信じ込んで、東宮へ朕を入れることを罷り成らぬと命じたそうだな。妃想いは良いが……無用な嫉妬などして居れば、いずれ、身を滅ぼす。そなたは、何を成すべき人間か、良く自身に問い直すことだな」

 殊更冷たい言葉を残したのちに「さあて、宴をはじめるか」と遊嗄と灑洛を玉座まで招いて、『亡き皇太后を偲ぶ宴』は始まった。

 灑洛は、そっと指先で神鳥の首を撫でた。くすぐったそうに羽を震わせたので、灑洛は身を竦める。

「神鳥様、あなたのお名前はなんと仰有いますの?」

『名は、無い』

「でも、お名前がないと呼びづらいわ」

『では、そなたが名付けよ、灑洛』

「そうね……純白の羽がとても美しいから『晧《こう》』。それに、瞳も嘴《くちばし》も玉で作ったように美しいから『珂《か》』として『晧珂《こうか》』という名はどうかしら?」

『晧珂か……うむ、良い名だな。では、灑洛、私のことは、晧珂と呼ぶように』

 灑洛が付けた名を、神鳥は噛みしめるように呟いていた。
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