神鳥を殺したのは誰か?

鳩子

文字の大きさ
上 下
14 / 74
第二章 遠雷

4

しおりを挟む

 急に笑い出した皇帝を灑洛れいらくは訝しんだ。

(なにか、わたくし、変なことを申し上げたかしら)

「『指南書あんなもの』を守っている女が居るとは……」

 身を屈めて笑うほど、おかしいらしい。

「あら? だって……そう、書いてありますし……」

「いや、ちょっと、灑洛。これ以上、言わないでおくれ。おかしくてたまらない」

 眦に浮かんだ涙を美しく細い指で拭いながら、皇帝は言う。良く見れば、遊嗄ゆうさよりも年齢を感じるが、やはり、よわい四十を越えているとは思えない美貌だ。

「まあ、わたくしそんなにヘンだったかしら」

「あなたは、あの『指南書』を、その通りに守っているのかい?」

 ねやごとを聞かれているとおもえば、恥ずかしくて顔から火が出そうになるが、質問とあれば仕方がない。

「ええ。その……守っております。だって、序文には『皇城に仕える宮女たるもの、主にしたがいこの書をよく読み、これを守るべし』なんて書いてありましたもの」

「あなたは真面目だな……では、可哀想に、遊嗄ゆうさは、あなたの素顔も寝顔も見たことはないのか」

 くすくすと皇帝は、からかうように笑う。

 確かに、『女は見苦しい姿をさらさず、素顔を晒すべきではない』とか『朝寝の姿を見せるのは見苦しいことだ』と書かれていたので、朝も、なんとか頑張って起きて、身支度を調えてから、遊嗄と朝餉を採るのだ。

「当たり前ですわ……」

 頬を赤く染めながら、灑洛は言う。

「たまには、遊嗄もあなたの寝顔を見たいだろうにね。……それと、閨でお願い事をしない方が良いのは確かだけれど、閨でお願い事をされて嫌な気分になる男は、そんなにはいないと思うよ?」

「そ、そういうものなのですか?」

「ふふ、甘えられるのは悪くない」

 皇帝は、あまりにも蠱惑的に笑うものだから、灑洛の胸はどきり、と跳ねる。

「わ、悪くない……ですか? 陛下でも?」

女人にょにんにはまつりごとに口出しさせる気はないが……ささやかなお願い事までならば、悪くはないよ。たとえ、下心が見え透いていても、ね」

「下心?」

「あなたは知らなくて良いことだ。……あなたも、遊嗄あれも、真面目なところは美徳だが、少々真面目に過ぎる」

 思わぬ評価を受けて、灑洛は、血の気が引くようだった。真面目すぎる、というのは良いことではない。

「ともあれ、今年も蓮も明後日には終わってしまう。……今宵は、私が骨を折ってやろう」

「陛下のお手を煩わせるわけには……!」

「いや、良い。今宵は天気が良いだろうから、花園で、幻灯を飛ばすことにしよう……私は途中で退散することにするから、あなたたちは、ゆっくり花見を楽しみなさい。……花園の睡蓮はね、『夜咲睡蓮よざきすいれん』と言って、西域からの献上の品だ」

 皇帝は立ち上がる。慌てて灑洛も立ち上がって、拝礼しようとした時、薄い襦裙じゅくんに足を取られて、前のめりにつんのめった。

「きゃっ!」

 倒れる! と思ったが、皇帝に抱き留められて、床に転がらずに済んだ。思わずホッと一息吐いたが、皇帝の腕の中にいることに気がついて、灑洛は慌ててしまった。

 鼻先をくすぐる、くらりとするほど濃密に甘い香の香りは、竜涎香りゅうぜんこう沈香じんこうをベースに麝香じゃこう白檀びゃくだんなどが混ぜられたものだ。

 まるで媚薬のように甘い香りを好んで居るのは、意外なことだと思ったが、遊嗄よりも細く長い指を持つ皇帝の身体は、容易には押し返せないほど逞しい身体を持っていることにも気がついて、灑洛は慌てる。

 ほんの一瞬、強く抱きしめられたような気がして、灑洛はなぜか心細いような気持ちになったが、皇帝はすぐに彼女の身体を介抱した。

「足許には気をつけなさい。私がいたから良いけれど、倒れて傷でも作ったら大変だ」

「はい、陛下………気をつけます」

 皇帝は、侍官に目配せした。「本日、幻灯を飛ばす宴を催すゆえ、仕度を。ちんと皇太子、皇太子妃の三人の仕度で良い」

「畏まりました」と侍官は受ける。

 そのやりとりを聞いて、灑洛は、(あっ)と気がついた。皇帝は、自らを『ちん』というのが普通だ。だが、ずっと、灑洛と一緒にいた皇帝は、自らを『私』と呼んでいた。

 通常ならば、あり得ないことだ……。

 胸の奥が、ざらつくような、嫌な予感を覚えつつ、灑洛は皇帝を見送った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【完結】今夜さよならをします

たろ
恋愛
愛していた。でも愛されることはなかった。 あなたが好きなのは、守るのはリーリエ様。 だったら婚約解消いたしましょう。 シエルに頬を叩かれた時、わたしの恋心は消えた。 よくある婚約解消の話です。 そして新しい恋を見つける話。 なんだけど……あなたには最後しっかりとざまあくらわせてやります!! ★すみません。 長編へと変更させていただきます。 書いているとつい面白くて……長くなってしまいました。 いつも読んでいただきありがとうございます!

お兄ちゃんはお医者さん!?

すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。 如月 陽菜(きさらぎ ひな) 病院が苦手。 如月 陽菜の主治医。25歳。 高橋 翔平(たかはし しょうへい) 内科医の医師。 ※このお話に出てくるものは 現実とは何の関係もございません。 ※治療法、病名など ほぼ知識なしで書かせて頂きました。 お楽しみください♪♪

就職先は命を狙った皇帝のお飾り妃となりました〜殺し屋少女は皇帝の執着愛から逃げられない!〜

イトカワジンカイ
恋愛
――皇帝暗殺 それが由羅に課せられた任務だ。 闇の仕事を請け負う一族の人間である由羅《ユラ》はテフェビア王国の王子サジアナから死の呪いを受けてしまう。 その呪いを解く方法はただ一つ。乾泰国皇帝を暗殺することだった。 由羅は皇帝の寝所に忍び込み殺そうとするのだが、逆に捕らえられてしまう。 もう死ぬしかないと思った由羅に、皇帝である紫釉《シウ》が一つの提案をしてくる。 「俺のお飾り妃になってほしい」 紫釉は義母の紅蘆《コウロ》に命を狙われており、紅蘆の陰謀によって妃候補もまた次々と怪死して妃となる女性が居なくなってしまったとのこと。 なのに妃を娶らない紫釉に男色疑惑まで出てしまい困っているらしい。 さらに紅蘆派を潰すきっかけのため由羅には囮となり、また後宮内での紫釉を護衛するためにお飾りの妃となることを提案されたわけだ。 命の惜しい由羅はこれを引き受けるのだが、お飾り妃なのに何故か紫釉の態度が甘い!? 腹黒皇帝の執着愛に気づかずに外堀を埋められて逃げらなくなった殺し屋少女の物語! ※不定期連載になります

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

処理中です...