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第五章 後宮からの逃走
34.白き夜叉王
しおりを挟む私が文を抜き取ったのは、鷹峯院も御覧になっていたらしい。
「山科の~、その文は何?」
「まだ、解りません……そちらにお持ち致します」
なんとなく、一人で見たい気もしたけど……まあ、一緒に見て貰った方が良いか。
「畏まりました、そちらに参ります」
「じゃあ、こっち来る時、夜叉王も連れてきて~」
「夜叉王……?」
私は、聞き返す。
「夜叉王は、その猫よ。可愛いでしょう?」
私は、足許に居るデブ猫を見遣った。………夜叉王……。お前、夜叉王というの……なんというか、もの凄いお名前貰ってるのね。ヘタしたら、位階も貰ってそうだわ。
私はでっぷりとした夜叉王のお腹に手を回して、持ち上げ―――ようとしたけど、持ち上がらないっ!
「な、なに、この子……もの凄い重いんですけどっ! 四貫くらいあるんじゃないですかっ!」
四貫っていうと……、五歳くらいの子供くらいあるわよ! 子供の重さなんか、計ったことはないけど。
「あら、夜叉王はお利口だから、付いてこいって言えば付いてくるわよ! ……夜叉王、アタシの所へいらっしゃい」
鷹峯院が呼ぶと、夜叉王は、うにゃう~と低く鳴いて、ぺた、ぺた、ぺた、ぺた……とえっちらおっちら歩いて行く。
腹は御殿をするびいて居るし、どう見ても猫の敏捷性はない。
しかし、鷹峯院の所へ真っ直ぐ行くのは、猫ながら見事。そして、鷹峯院の隣にごろんと寝転んで、億劫そうに欠伸をした。
あ、そういえば、私たちって長袴生活なので、大体、片足立ち膝で座っている。なので、片膝に四貫が乗ったら大変なのだ。
私は、夜叉王の首に付けられていた文を、鷹峯院に渡した。
「アリガトね……えーと。これ、懐仁の手跡だわっ!」
鷹峯院は声を荒げた。
懐仁―――つまり、鬼の君からの、文、だ。
私は、緊張して、鷹峯院の言葉の続きを待った。
「……今夜、邸の石榴の木の所に来るから、少し邸を抜けて逢うことは出来ないかと……。きゃーっ! 逢い引きだわーっ! なに? どうする? 山科の、余ってる部屋沢山あるから一部屋貸す? 男女が真夜中に会ったら、盛り上がるわよねーっ!」
「あ、逢えるのは、嬉しいのですけれど……っ! お部屋は貸して頂かなくって良いですよ……」
「えーっ? 久しぶりに、出逢う男女。指と指が絡まり合って、二人は見つめ合い……きゃーっ! 物語の世界だわーっ! 山科のっ! もう、今夜キメちゃいなさいよ、アンタ! アタシの娘になって~っ!」
鷹峯院は、どうしようもないほど一人で盛り上がっているので、そそくさと鬼の君からの文を貰ってきた。
たしかに、鬼の君が書いたものだと思う。
おそらく、今日は、鷹峯から嵯峨野まで移動したりと、割合派手に動いていたから、鬼の君が、私がここに居ることを聞いたのだろう。ここは、実父の鷹峯院の御殿だから、鬼の君も安心してくることが出来るだろうし。
「とにかく、夜……ここに書いてある感じだと、月が天頂に輝く頃……、行ってみます。この場所は……」
「ああ、この御所の門近くよ。ここからは見えないのだけど、この真裏かしらね、石榴の木が植えてあるの」
「石榴をお邸に植えてあるのは珍しいですね」
「果実を付けていない時は、見栄えのしない木だけどね。昔、懐仁が良くお腹を壊していたから、石榴湯を飲ませていたのよ。懐かしいわね。それに、存外、実も美味しいのよ?」
解ります解ります。山科でも食べてました。
「山科の。……一番近くの部屋、掃除させるからね!」
「いや、こんな宵の口に、大変ですし、そういうことにはならないと思いますし……はい、結構です」
余計な気遣いをして下さる鷹峯院とお話ししていると、なんだか、心臓に悪いわ。
鬼の君に会ったら……いろいろ、話したいことがある。この先、どうするおつもりなのかも聞いておきたいし。
うにゃう~、と夜叉王が鳴いた。
「ああ、そうだったわね。お前に、ご飯を遣っていないわ。椰子の所へ連れて行ってあげなさい」
手近な女房に、そう言いつけた鷹峯院は、ふ、と動きを止めた。
「如何なさいましたか?」
「ええ……そういえば、夜叉王って……懐仁には懐かなかったのよね……。どうやって、首に文をくくりつけたのかしらね」
鷹峯院が首を捻る。
「ああ、多分、主は、お魚の匂いをさせているんだと思いますよ!」
不審がる鷹峯院に小鬼が、申し上げた。
「あ、お魚ねー」
至極あっさり、鷹峯院は納得されたが……ちょっと、なにか、違う気もする。
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