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第四章 後宮には危険が一杯!
9.幻惑 ※多少の残酷表現ありです
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ああ、意識が遠退いていく。
誰か、助けて……。
霞みかけた視界の中で、美貌の僧は、顔を歪めて笑っていた。
こんなところで、他人と間違えられて死ぬなんて!
冗談じゃないわよ。だけど、まったく、抵抗にならない。
悔しい……。
首を絞める手の力は、弱まることもなく。
ああ、私は、死ぬんだなあとぼんやり思ったその時だった。
「そなた、一体何をしているのです!」
と激しい声が聞こえて、私は、唐突に解放された。無造作に床に転がされて、全身を強く打ち付ける。
うん、取り合えず、助かった……んだよね。
良かった……。
安堵したら、急に、気が遠くなった。
◇◇◇◇◇◇
気が付いたとき、私は、大勢の女房たちに囲まれていた。
「皇太后さま、気付かれましたか?」
いや、私は、皇太后さまじゃないしね、と言おうとしたけれど、声にならなかった。
全身が震えて、どうしようもなかった。
私の体なのに、思い通りに動かない。一体、どういうことなのだろう。
「おいたわしや、皇太后さま……貴き方が、あのようなことになったのですもの、どれほど、恐ろしかったことか……」
泣き出した女房のほほを、私の隣に控えていた女房が、思い切り叩く。
ちょっと、早蕨に似てるけど、早蕨は、他人の頬を打ったりしない。だから、この女房は、早蕨ではないのだ。
「皇太后さまの御身に起きたこと、一切、他言無用ぞ! もし、禁を破れば、一族朗党、皆殺しにするゆえ、ゆめゆめ忘るるな!」
ぞっとした。
皆殺し、は。流石に、無いよ。
「柏木、そなた、禁を破り、皇太后さまを気遣ったな?」
それも、禁じていたのか。というより、少し、余計な事を言ったのだろう。この、柏木は。
なにか、尋常じゃないことが起きたんだな……。
「も、申し訳ございませぬ、早良さまっ!」
早良さま、の名前は覚えがあった。伝説のスーパー乳母、二条のお乳の方の娘で、早蕨の叔母さまだ。
「みな、誓いを破れば、こうなるのだ。良く覚えておけ」
早良さまは、すっと胸元から短刀を抜いた。
そんなところに、短刀を忍ばせておくなんて、いったいどういう情況なんだ?
とにかく、わかったのは異常事態で、私は、恐らく、過去の出来事を見ているのだろう。なぜならば、早良さまが、早蕨のように、若々しいからだ。
何故か? わからない。
ここで、―――登華殿で、倒れたからかもしれないし、もしかしたら、もはや、この世ではないところにいるのかもしれない。
「早良さま、お止めください! どうか、お許しを!」
切羽詰まった声が、柏木とよばれた女房の口から迸り出る。
ま、まさか、早良さま、柏木を殺すつもりじゃないでしょうね!
だったら、止めなきゃ! と思っても、体がまったく動かない。
そうしている内に、視界に銀色の閃光が閃いた。
短刀が、ひるがえったのだ。
そして。
「きゃああぁっ! 私の、私の、鼻が!」
あたり一帯に、淀んだ血の臭いを漂わせながら、ぽと、と床に柏木の鼻先が落ちた音がした。
柏木は、痛みに耐え兼ねて床を転がり回っている。
「そなたたちが、誓いを破れば、こうなるぞ。私は、皇太后さまのおん為ならば、鬼にも夜叉にもなる。
天にも主上にも背いてみせる」
早良さまの言葉が、殿舎に冴え冴えと響いた。
ここは、いつ?
ここは、どこ?
皇太后さまというのは、どなた?
視線だけで探れば、登華殿のようだけど、似たような殿舍が建っているので、良くわからない。
ただ、早良さまが、お仕えして、皇太后と呼ぶ方ならば、やはり、登華殿の女御さまと、呼ばれた方だろう。
二条のお乳の方のゆかりの女人は、みな、二条関白家に仕えているはずだ。
私は、超異例なのだ。
そういえば、早蕨を私のところへ送ってくれた、『高貴な方』は、誰なんだろう。関白殿下は、自分だといっていたけれど、あれは、嘘じゃないかと思う。それに、主上が、誰かのお名前を上げていたような気がするけれど、一体どういう方なのだろう。
「早良さま、あちらへは、いつ戻りましょうか」
女房が、早良さまに聞く。
あちら、というのは、どこのことだろう。
早良さまは、「それは……」と言葉を濁した。
「今は、あちらも殿舍が焼けてしまいましたから、修繕などするのでしょうが、あまり、長々と、登華殿にいるわけにもいきますまい。
恐らく、主上が、不審に思います」
女房の言葉を聞いて、早良さまがため息まじりに言った。
「確かに、お前の言う通りたけど、このご様子の皇太后さまを、あちらへ戻すわけにはいくまい。
ご実家、二条関白家へ戻るのが、一番良いだろう」
「そうですわね。それが、一番、よろしいでしょう。そのように、こちらは進めます」
「ああ、くれぐれも……」
「はい、誓いは、忘れませんわ」
誰か、助けて……。
霞みかけた視界の中で、美貌の僧は、顔を歪めて笑っていた。
こんなところで、他人と間違えられて死ぬなんて!
冗談じゃないわよ。だけど、まったく、抵抗にならない。
悔しい……。
首を絞める手の力は、弱まることもなく。
ああ、私は、死ぬんだなあとぼんやり思ったその時だった。
「そなた、一体何をしているのです!」
と激しい声が聞こえて、私は、唐突に解放された。無造作に床に転がされて、全身を強く打ち付ける。
うん、取り合えず、助かった……んだよね。
良かった……。
安堵したら、急に、気が遠くなった。
◇◇◇◇◇◇
気が付いたとき、私は、大勢の女房たちに囲まれていた。
「皇太后さま、気付かれましたか?」
いや、私は、皇太后さまじゃないしね、と言おうとしたけれど、声にならなかった。
全身が震えて、どうしようもなかった。
私の体なのに、思い通りに動かない。一体、どういうことなのだろう。
「おいたわしや、皇太后さま……貴き方が、あのようなことになったのですもの、どれほど、恐ろしかったことか……」
泣き出した女房のほほを、私の隣に控えていた女房が、思い切り叩く。
ちょっと、早蕨に似てるけど、早蕨は、他人の頬を打ったりしない。だから、この女房は、早蕨ではないのだ。
「皇太后さまの御身に起きたこと、一切、他言無用ぞ! もし、禁を破れば、一族朗党、皆殺しにするゆえ、ゆめゆめ忘るるな!」
ぞっとした。
皆殺し、は。流石に、無いよ。
「柏木、そなた、禁を破り、皇太后さまを気遣ったな?」
それも、禁じていたのか。というより、少し、余計な事を言ったのだろう。この、柏木は。
なにか、尋常じゃないことが起きたんだな……。
「も、申し訳ございませぬ、早良さまっ!」
早良さま、の名前は覚えがあった。伝説のスーパー乳母、二条のお乳の方の娘で、早蕨の叔母さまだ。
「みな、誓いを破れば、こうなるのだ。良く覚えておけ」
早良さまは、すっと胸元から短刀を抜いた。
そんなところに、短刀を忍ばせておくなんて、いったいどういう情況なんだ?
とにかく、わかったのは異常事態で、私は、恐らく、過去の出来事を見ているのだろう。なぜならば、早良さまが、早蕨のように、若々しいからだ。
何故か? わからない。
ここで、―――登華殿で、倒れたからかもしれないし、もしかしたら、もはや、この世ではないところにいるのかもしれない。
「早良さま、お止めください! どうか、お許しを!」
切羽詰まった声が、柏木とよばれた女房の口から迸り出る。
ま、まさか、早良さま、柏木を殺すつもりじゃないでしょうね!
だったら、止めなきゃ! と思っても、体がまったく動かない。
そうしている内に、視界に銀色の閃光が閃いた。
短刀が、ひるがえったのだ。
そして。
「きゃああぁっ! 私の、私の、鼻が!」
あたり一帯に、淀んだ血の臭いを漂わせながら、ぽと、と床に柏木の鼻先が落ちた音がした。
柏木は、痛みに耐え兼ねて床を転がり回っている。
「そなたたちが、誓いを破れば、こうなるぞ。私は、皇太后さまのおん為ならば、鬼にも夜叉にもなる。
天にも主上にも背いてみせる」
早良さまの言葉が、殿舎に冴え冴えと響いた。
ここは、いつ?
ここは、どこ?
皇太后さまというのは、どなた?
視線だけで探れば、登華殿のようだけど、似たような殿舍が建っているので、良くわからない。
ただ、早良さまが、お仕えして、皇太后と呼ぶ方ならば、やはり、登華殿の女御さまと、呼ばれた方だろう。
二条のお乳の方のゆかりの女人は、みな、二条関白家に仕えているはずだ。
私は、超異例なのだ。
そういえば、早蕨を私のところへ送ってくれた、『高貴な方』は、誰なんだろう。関白殿下は、自分だといっていたけれど、あれは、嘘じゃないかと思う。それに、主上が、誰かのお名前を上げていたような気がするけれど、一体どういう方なのだろう。
「早良さま、あちらへは、いつ戻りましょうか」
女房が、早良さまに聞く。
あちら、というのは、どこのことだろう。
早良さまは、「それは……」と言葉を濁した。
「今は、あちらも殿舍が焼けてしまいましたから、修繕などするのでしょうが、あまり、長々と、登華殿にいるわけにもいきますまい。
恐らく、主上が、不審に思います」
女房の言葉を聞いて、早良さまがため息まじりに言った。
「確かに、お前の言う通りたけど、このご様子の皇太后さまを、あちらへ戻すわけにはいくまい。
ご実家、二条関白家へ戻るのが、一番良いだろう」
「そうですわね。それが、一番、よろしいでしょう。そのように、こちらは進めます」
「ああ、くれぐれも……」
「はい、誓いは、忘れませんわ」
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