大書楼の司書姫と謎めく甜食

鳩子

文字の大きさ
上 下
13 / 43
第一章 珍奇で美味なる菓子

大書楼へのみちゆき

しおりを挟む

 大書楼にこうを案内するのに庭を歩いていると、唐突に「あの、済まなかった」と鴻が謝った。

「なにか?」

「俺のせいで、国王と、喧嘩になったのではないか?」

「いや、陛下にしても、いつまでも、私をここに置いておくわけにも行かないだろうから。遠国との縁談というのは、渡りに船だったのだろうよ」

「あなたは……まだ、若々しいのにな」

 娃琳ゆりんの実際の年齢―――二十九歳を知りながら、鴻は、そんなことを言う。

「あなたより、随分年嵩だろう?」

「あなたから見たら、俺は随分子供っぽく見えるんでしょうね」

 間髪おかずに言い返されて、娃琳は面食らった。

「また……」

「事実でしょう。無謀にも、雑琉ざいるから単身出て来た、世間知らずの若い男……。そう哀れんだから、俺を、公主府の客人にしてくれたんでしょう?」

 鴻は、縋り付くように言う。

「私が、若い男を愛人として囲いたかった……と言ったら、あなたは、一体、どうするんだ」

「じゃあ、夜のほうも、頑張るよ」

 鴻は妙に乗り気で言うので、娃琳は、げんなりした口調で「止めてくれ」と吐き捨てるように言った。

「なんで? ……俺、上手いかどうかは解らないけど、持久力なら、多分、この国の奴らよりあると思うよ?」

「比べたこともないくせに、適当なことを言うな! ……というか、この話は、止めてくれ。昼間にする話じゃない」

 娃琳は、心の底から(勘弁してくれ)と思った。鴻は、妙に乗り気のようだし、本当に困る。

「鴻。……もし、公主府の女官や、後宮の女に指一本触れたら、本当に、私は、あなたの指を落とすからな!」

「女官や妃嬪には、触れないよ」

 なにやら言い回しに引っかかりを覚えたが、そこは流しておくことにした。

「しかし、後宮は、広いんだな」

 鴻が感慨深げに言う。

「雑琉は、もっと狭いのか?」

「んー……殆どが、書楼とか仏塔だからな。こんなに広い庭は、後宮にもないよ」

 鴻の言葉に、やはり何か、引っかかりを感じつつ、娃琳は問う。

「天空の都、千塔の街……西域と、こちらの中間という場所だったか? たしか、雑琉ざいる語は、どちらかと言ったら、西域の言葉に近いと聞いている」

「ああ、殆ど、西域の言葉に近いな。半分は、こちらの文字も使うが、音や意味を宛てているだけのことも多いし」

 娃琳は、西域の文字を思い浮かべた。表意文字(漢字のように形が意味を持っている文字)を使う、大陸文化に対して、西域は表音文字(アルファベットやハングルのように音を意味する文字)を使う。なので、基本さえ知って居れば、読むことには苦労はしないが、意味には繋がりにくい。逆に、西域のものが、大陸の言葉を学ぼうとすると、膨大な表意文字を覚えなければならずに、苦労するというのだった。

 どちらにも、善し悪しはある。

 その両方を使っているのが雑琉語なので、こちらは、複雑で娃琳は今まで雑琉語で書かれた本を、あまり見たことはない。

「機会があったら、少し教えてくれ」

「解った、ほかならぬ、あなたの頼みだったら、喜んで!」

 鴻の、晴れ晴れとした笑顔をまぶしく思いながら、娃琳は、(早く、大書楼に辿り着きたい……)と思って居た。太陽の下、鴻の若さも、笑顔も、まぶしすぎる。

「鴻、こちらへ」

 大書楼への近道を示す。薔薇しょうびで作られた生け垣が続く、優美な場所なのだが、いかんせん、この季節は、春に備えて、ギリギリまで短く剪定されている。優美さの欠片もない。

 大書楼の足許まで来たとき、不意に鴻が足を止めて、掠れた声で呟く。

「すごい……巨大な書楼だ……。本当に、大書楼というのが相応しいな………」

 黄金色の瓦を葺いた八角形、地上八層、地下三層からなる大書楼は、黄金宮と供に光り輝き、眩いばかりの偉容を誇っている。

「雑琉にも、塔書楼群があるだろう? あちらは、十二層の塔書楼が三十四と聞いた。この世のすべての本が蒐集されると聞いているのに、なぜ、わざわざ、游帝国へ?」

 予言のせいだと言うことは解っていたが、娃琳は敢えて問い掛けてみた。

「たしかに、予言で言われたから。ここに来た」

「予言……ねぇ」

 娃琳は、あまり、予言の類いを信用していない。殆どの場合がインチキであることが多いからだ。たとえば―――後の国王となる男児が誕生したときに、季節外れの牡丹が咲き誇った……などというのは、大抵、裏がある。

 瑞兆の演出は、国家事業である。だから、種明かしはされないし、秘密も漏れないだろう。ただ、それだけだ。

「雑琉の人たちは、とても立派な志を持っている」

 娃琳は、唐突に、鴻に語りかける。

「えっ?」

「雑琉の初代王、九鳥多羅くちょうたら王は、塔書楼群を建て、近隣国の戦火を逃れた書籍経典を保護した。そうやって、先人が、苦労を重ねてやっとの思いで繋げてきたのが、今の塔書楼群のはず」

「まあ、そういうのは、習ったことがあるよ」

 鴻は、照れたようにいう。

「人間は、現在にだけ生きているわけではない。だからこそ、書や美術品など、過去のものを大切にしなければならない。失ったモノは、二度と取り戻すことは出来ないのだからな。おそらく九鳥多羅くちょうたら王の考えは、そういうことだと思う」

「雑琉の奴らが聞いたら、きっと、喜ぶと思う。雑琉は、……自分たちが、ゆうとかほうとかからは、辺境の国と言って、馬鹿にされていると思って居るから」

 たしかに、大陸の五国はともかく、雑琉などの属国になると、辺境の蛮族と蔑むものも多い。それを心配したからこそ、娃琳も、自分の公主府へ客人として招くことを提案したのだ。

 はたして、娃琳に差別するような気持ちが、欠片もないかと聞かれればよく解らない。

「最初から、揚げ饅頭を投げられたから、嫌な女かと思って居たら、いろいろ、世話をしてくれて、いい人だ」

「あれは、揚げ饅頭ではなくて……」

一吻餅いっふんびん』という菓子だった。この菓子は、一吻いっふん……つまり接吻をしているように、口を窄めて食べなければ、中の甘くて柔らかな餡が流れ出てしまう。しれで、口づけをしたい相手に送る菓子、として最近、ほう国の若い男女の間で流行っている。

 というのを、鴻に説明するのも、甚だ気恥ずかしい気分になって、娃琳は「まあいい」と切り上げる。

「なにが、良いんだよ、俺は良くない」

「いや、あの菓子は……」

 娃琳は口ごもる。他意はなかったが、口づけをねだったようでもあって、恥ずかしくて目を背けると、慌ただしく、後宮の女官達が走り回っているのが見えた。

 後宮では、女官は走らない。しかし、ああして走っているのだから、よほどの緊急事態が起きているのだろう。

「そこな女官、なにか、あったのか?」

 娃琳は、緊張しながら、女官に問い掛けた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子
恋愛
貧乏皇帝×黄金姫の、すれ違いラブストーリー。 堋《ほう》国王女・燕琇華(えん・しゅうか)は、隣国、游《ゆう》帝国の皇帝から熱烈な求愛を受けて皇后として入宮する。 しかし、皇帝には既に想い人との間に、皇子まで居るという。 「皇帝陛下は、黄金の為に、意に沿わぬ結婚をすることになったのよ」 女官達の言葉で、真実を知る琇華。 祖国から遠く離れた後宮に取り残された琇華の恋の行方は?

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

はずれのわたしで、ごめんなさい。

ふまさ
恋愛
 姉のベティは、学園でも有名になるほど綺麗で聡明な当たりのマイヤー伯爵令嬢。妹のアリシアは、ガリで陰気なはずれのマイヤー伯爵令嬢。そう学園のみなが陰であだ名していることは、アリシアも承知していた。傷付きはするが、もう慣れた。いちいち泣いてもいられない。  婚約者のマイクも、アリシアのことを幽霊のようだの暗いだのと陰口をたたいている。マイクは伯爵家の令息だが、家は没落の危機だと聞く。嫁の貰い手がないと家の名に傷がつくという理由で、アリシアの父親は持参金を多めに出すという条件でマイクとの婚約を成立させた。いわば政略結婚だ。  こんなわたしと結婚なんて、気の毒に。と、逆にマイクに同情するアリシア。  そんな諦めにも似たアリシアの日常を壊し、救ってくれたのは──。

処理中です...