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65.伏して君に愛を冀う
しおりを挟む目を焼くほどの強烈な陽差しの中、琇華は花園の四阿に向かう。
勿論、強すぎる陽差しは肌を焼くので、傍らの女官が傘を差し向けているが、それでも、汗をかくほどに気温が暑い。
「陛下、四阿に参りましたら、いくらか涼しくなりましょうから」
瑛漣が、琇華に柔らかく呼びかける。最近、暑い日が続いていたので、午頃には午睡の時間を摂っていた。城下通いも続けていたが、繍工のおばちゃん達から『また、攫われたら困りますよ!』ということで、回数は減らしている。
差し入れに、と食事を出すこともあったが、それも回数は減っている。早い収穫の小麦が出回ったのと、堋国からの品々がある。
四阿に辿り着くと、卓子の上には、お茶の道具が揃っていた。
「急に四阿に来るように仰有って……漓曄さまったら、お茶の仕度をして下さっていたのね」
琇華と愁月が、攫われてから、十日。やっと公務に復帰した皇帝が、午後の休憩に呼んだのだろう。
一緒にお茶がしたいと言ったことを、ちゃんと覚えていてくれているようだった。
「陛下は、程なく参りますわ。わたくしは、下がります」
瑛漣が、拱手して去って行く。榻に座りながら、琇華は、皇帝に代わって公務をこなしていた、ここ数日の、目の回るような忙しさを思い出していた。
(堋国のお父様は、『皇帝の暗殺』に関わったとして、命を取る代わりに、いろんな事を後悔したくなるほどの賠償金と食糧を出させたし……妾の借金も、ついでに踏み倒してきたし……)
その他、大方の所は片付いた。かねてから問題だった、瀋都郊外の橋についても、農閑期である冬に、人足を集めて工事をすることを決定してあり、工事に志願したものには、前金を支払うことにしていた。これで、次の季節に蒔く種や、道具を購入することが出来る。
池渡る風が、頬を撫でる。湿り気を帯びたひんやりとした風は心地よく、きらきらと輝く水面を見ていた琇華は、ふと、思い出した。
「堋国には、噴水があったけれど……、游帝国は、どこに噴水があるのかしら」
たしか、あの時。
出逢った時、皇帝は、琇華に語ったのだった。
『游帝国にも、噴水はありますよ』と。
ひどく懐かしいけれど、まだ、ほんの数ヶ月前の出来事だ。
(游帝国に来てから、本当にいろいろなことがあったわ……)
まさか、市井で町の職人達と一緒になって過ごすとは思わなかったし、攫われれることなど想像も付かなかったし、皇帝の代理として政に口を出すとも思わなかった。皇帝の代理として立っている間に、こっそり、貿易に関する決め事を二三通させて貰ったが、それは良いだろう。
「噴水……どこにあるのかしらね。この池には、なさそうだけど……」
琇華は池を覗き込む。きらきらと、銀色の魚の鱗のように輝く水面には、それらしい影は見えない。
「噴水なら、あるよ」
背後から声がした。黒衣の―――皇帝の色彩を身に纏った、漓曄がそこに居た。
「漓曄さま! ……久方ぶりのご公務でしたけれど、お体にご負担は?」
「側近が、十分動いてくれているからね」
四阿の外に控える新たに迎えた側仕えを、漓曄は見遣る。琇華も、視線を移すと、新らしい側仕えは、拱手して一礼した。つい先日まで、衛士をしていた彭機鏡である。
「……彭機鏡殿が、あの時、狸寝入りと言ったのには、妾は驚きましたけれど」
死ぬほど泣いて取りすがったというのに、漓曄は、狸寝入りだったのだ。しばらく口を聞かないかと思ったが、看病は必要だったのでやめておいた。
「すまないね。あなたの本音が聞きたかったから。……それも含めて、あなたに、謝ろう。私は、あなたに、どうやって償えば良い?」
琇華の隣に腰を降ろしてから、漓曄は呟く。
「私は……一応、戦には出たことはあるし、馬には乗れるけど、本当に、それだけしか出来ないし。外交も、からっきしだけだから、君の父上につけ込まれるし……そういえば、君の父上から、詫び状が来たよ。凄い分厚いものが。二度と謀反を起こさないから、勘弁してくれと言うことだったけど―――一体、どれだけ賠償させたんだい?」
実は、堋国の国家予算のほぼ五年分を、分割して(利子も徴収する)五十年で賠償させるというのが、堋国国王へ出した条件だったが、勿論、そんなことは言わない。
「妾は父上の娘だから、手心は加えましたわ」
にこりと笑うと、漓曄は「そうなんだ」と単純に納得してくれたので良かったが、これが『洙学綺』を作り出したのだとおもえば、気を引き締めなければならない、と琇華は気を入れる。
「妾は、狸寝入りの陛下に言ったことを望んで居ます。一緒にお茶をして、それから……子供が欲しいの。出来れば、姫と王子の二人欲しいわ。辺境に飛ばしても構わないから……勿論、子供達には恨まれるだろうけれど、妾は、あなたと……情が通じた証を、この世に残したいの」
琇華の必死な訴えに、「うん、そうしよう。……でも、おそらく、ほかに妃を迎える必要は出ると思う」と漓曄は答える。
「勿論、存じております」
胸は軋むように痛いけれど……漓曄の子に帝位を継がせる為ならば、仕方がない。
「生まれた子は、妾が引き取って育ててよろしゅう御座いますね?」
「むろん、皇后が育てた方が都合が良い」
「であれば、妾の願いは、それだけです」
琇華は、漓曄の胸に頭を預けた。漓曄は琇華の肩を抱いて、「何度謝っても許して貰えるか解らないが……本当に済まなかった」と小さく謝る。
「……それは、もう、大丈夫です」
答えた琇華の頬を、そっと指の背で撫でてから、漓曄は「あなたはそのままで」と告げてから立ち上がる。
一体何だろうと思って居た琇華の目の前で、漓曄はそっと跪いて、彼女の、上衣の端に口付けを落とした。
「漓曄さま?」
これは一体、なんだろう。琇華の胸が高まる。煩いほど胸の鼓動が早い。漓曄が、そっと顔を上げる。
「伏して君に愛を冀う。私の黄金姫。……あなたに、一生、私の側にいて欲しい。どうだろうか」
皇帝は、切なくなるような眼差しで、美しい眉根を寄せて琇華に懇願していた。
これは、求婚のやり直しだ……。まるで物語の一場面の如く夢のような求婚に、胸の高鳴りを必死で押さえつつ、琇華は「勿論ですわ」と躊躇うことなく告げて、愛しい男に飛びついていた。
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