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55.毒の真相
しおりを挟む話がしたかっただけとは解っていたが、久しぶりに寝所に侍るので、いくらかの緊張はした。
「……体調は、もう、よろしいのですか? 昼間は、まだ、毒の後遺症があるようにお見受けしましたけれど」
「あなたを抱きしめるくらいは、大丈夫だよ。……それとも、毒を受けた身体は、気持ちが悪い?」
ふふ、と皇帝は笑う。
「妾は、看病していましたのよ。毒くらい、平気です」
「そうだった。冷えた私を、抱いて温めてくれたのだったね」
そういえば、無我夢中だったから、忘れていたが、確かにそんなこともあった。
「ありがとう」
小さな声が聞こえて、琇華は幻聴かとおもって「えっ?」と聞き返してしまった。
「二度は、言わないよ」
皇帝のほうも、言い慣れないことを呟いたもので、恥ずかしいらしい。
「でも、あなたには、感謝している。今、私がここに居ることも、なにもかも」
珍しい言葉を聞いた琇華は、余計に緊張してしまった。指先が冷たい。その指を、皇帝に包まれた。
「あっ」
「冷えてる」
「えっ! ええ、冷えて……しまいましたわ……」
声が裏返る。心なし、皇帝も、緊張しているように思えて、それが不思議だった。
寝室は、池を渡る風が通るようになって居るので、夏でも涼やかだ。珍しく、香がたきしめられている。
「ご寝所に香をたくのはお嫌いかと思っておりました」
「嫌いではないのだけれど……ね」
いろいろと節約していたらしいのを語尾から察した。ならば、今宵は何故だろうと、琇華は訝る。
「良い香りは、心を穏やかにするでしょう」
ならば、いまからする話は、心穏やかでいられない話なのだ。琇華は、皇帝の手を、ぎゅっと握った。
「察しが良くて助かる」
紗で出来た牀帷が、幾重にも重なり合うようにして掛けられているのをかき分けて、ひろびろとした牀褥へ上がる。
「おいで」
褥の上に転がって、大きく手を広げた皇帝の胸の中へ、琇華は飛び込む。温かくて逞しいこの腕に、どれほど焦がれただろう。胸に縋り付くと、皇帝が耳許に唇を寄せた。
「昼に私が言った、毒殺の犯人は、真っ赤な嘘だよ」
「では……」
「うん。まだ、見つかっていない。……だがね」
皇帝は、牀褥の傍らから、小さな陶器で出来た蓋付きの入れ物を取り出した。見てくれは、陶製の瓜のような形をしている。
「これは……?」
「私が、寝際に舐める飴でね。ここに、毒が入っていた」
そっと、皇帝が蓋を開けると、そこに入っていたのは、黒い丸薬のような、飴だった。
「なにやら、薬臭いような……」
「そうだろう。これは、精力剤だ。……妃を召した時に、こっそり舐めるものだ」
精力剤、と聞いて琇華が真っ赤になった。
「お、お召し下さったとき、そういうものを、お使いでしたの?」
これは、あまり皇帝にとって好ましい質問ではなかったらしい。
「……毎回ではないよ」
こちらは、非常に答えづらそうに答えた。
「でも、毒でお倒れになったのは、たしか……昼のことだったかと……」
まさか、昼から、手近な女でも連れ込んだというのだろうか。それならば、いっそ、世継ぎを作る問題は解消されるのかと思うが、それはそれで、なにやら、もやもやとする。
「ち、ちがう! ……その、昼餉が……なかったから、腹の足しに食べたのがまずかった」
なにやら、あまりにも悲しい理由で毒の被害に遭ったことになる。それに、精力剤ならば、毒味も付かないだろう。薬に毒を仕込むとは思わなかった。
「だがね」
皇帝が、一度琇華の頬に口づけてから囁く。「これで、犯人は、ここまで入ることが出来るものだけに限られた」
「!」
「そう。つまり、私の側近だよ」
ごくり、と琇華の喉が鳴った。
「それで……、わざわざ、毒殺の犯人は捕まったなどと仰せになったのですね」
犯人の目を欺く為に。
「私の命が目的ならば、また、動く。……琇華。気を付けなさい。あなたや掖庭宮に危害が及ぶかも知れないのだからね」
琇華は、耳を疑った。
真剣な眼差しで、琇華の頬を捕らえながら言う皇帝の、その言葉を聞いた、胸が一杯になって、眦から涙が溢れて止まらなくなる。
「ど、どうかしたのか? ……頬……が痛かったか?」
動揺する皇帝の首に抱きつくと、そっと、琇華は皇帝の耳許に囁く。
「初めて、妾の名前を呼んで下さいました」
あ、と皇帝は、ばつが悪くなったようで、「そんなことはないだろう」とはぐらかすように言う。
「それを言うのならば、あなただって、私の名を呼ばない。大方、私の名前など、忘れたのでしょう?」
照れたように口早に言う皇帝は、秀麗な美貌が真っ赤に染め上げられていて、いくらか子供っぽく感じた。
「あら、存じておりますわ……漓曄さまですわよ」
皇帝が、口唇を真一文字に引き締めた。琇華は「あら、間違えまして?」と聞き返す。
「いや、あってるよ。あってる……その、もう一度、名を呼んでくれないだろうか」
遠慮がちに、目を伏せながら、漓曄は言う。
「何度でも。……漓曄さま。……漓曄さま……り……」
名前は、口唇に吸い取られた。
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