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14. はらぺこ皇帝
しおりを挟む皇后には、国から経費が割り当てられている。この国の後宮にあたる掖庭宮の運営とは別に、である。
但し、額は些少なものだったので、堋国からの『化粧料』が頼みの綱だった。―――とはいえ、別途、父親から、
『あなたの婚礼のお祝いに。化粧道具や、衣装などを買うと良いでしょう』
と連絡があって、馬車五台分の黄金やら宝玉やらが運搬されたのだった。
「妾は、物の価値など解らないけれど。こんなにも金子が必要なものなのかしらね」
その上、父王は『足りなくなったら、すぐに連絡をしておいで』と追伸している。
「この玄溟殿での経費はすべて、こちらの化粧料で賄われておりますので……」
経費、と言われても、今ひとつピンと来なかった。だが、食事や薪に至るまで、すべて、化粧料から出ているのだと言うことは理解は出来る。
「そう言われてみると……、皇帝陛下の殿舎は、余計な調度など、なかったように思えるわ」
特に気にしていなかったが、そういえば皇帝は自らを『貧乏皇帝』などと蔑んで見せた。これも、本心からのものだったのかも知れない。
「……貧乏皇帝……」
思わず呟いたのを、瑛漣が聞きつけて「皇后さまっ!」と青い顔で窘めてきた。
「ごめんなさい。妾が言ったことではなくて、陛下がご自分で仰せになったことなのよ。だから、妾は、どうして……黄金が必要だったのか、解らなくて」
心底済まない気持ちになりながら言うと、瑛漣が、「もしかして、皇后さま」とおずおずと聞いた。「もしかして、皇后さまは……、お輿入れのお支度金として、我が国に渡った黄金が、なんの為に使われたか、ご存じないのですか?」
「ええ。解らないわ」
「……そうだったのですね」
実は、と瑛漣が語ったことは、ここ数年、この游帝国が波乱続きだったということだった。
まず、二年前。先帝、蓮花帝三十二年に大飢饉が起こった。この時、国民の怒りを買ったのは、当時、皇太子だった現皇帝・瀛漓曄だった。
『当時皇太子だった陛下が、婚約者の居る娘を……初夜の閨から奪ったのです。その話が、国中に伝わりまして。婚約者の男は、皇太子を呪いながら自殺したと言うことでしたから……。この呪いのおかげで飢饉が起きたと、皆が信じたのです』
琇華は、頭を殴られたような衝撃を覚えていた。
『陛下には、好きな方が居たのね。しかも、ほかの殿御から奪うほど、愛した方が……』
『はい……今は、国民の怒りが在りますから、本当は、下位の妃として後宮に置く予定でしたが、端女として掖庭宮で働いております。皇子だけは、万が一のことを考えて、皇太后さまが保護していると言うことですけれど』
『下位の妃……とはなに?』
翔馬は、耳慣れない言葉を聞いて、琇華は瑛漣に問うていた。
『ええと、後宮を持ちますので、勿論、皇后陛下が、皇帝陛下の正妻であることは揺るぎないことですけれど、ほかに妾を持つことが普通です。游帝国の場合は、三妃と呼ばれる、貴嬪、夫人、貴人から始まって、九嬪と呼ばれる、淑妃、淑媛、淑儀、修華、修容、修儀、妻好、容華、充華とございますが……堋国では?』
琇華は、青ざめた顔で、悲鳴を上げるように言った。
『王妃は一人だけよ! 堋国ではそうだったわ! 父様は、一切、ほかの女性に触れたこともないわ!』
とにかく、琇華の理解を超えていた。
『夫には妻が一人。鴛鴦のように、仲睦まじく在るのが普通なことではないの?』
『ま、まあ……そうだったのですね……堋国が、そういうお国柄だとは存じ上げずに、申し訳ありません、皇后さま』
しかも、婚約者の居る女を初夜の閨から奪いとった……とは、あまりにも、おぞましい話だ。
『妾が、天帝ならば、必ず陛下に、冥罰を下すでしょうね』
飢饉は、冥罰と言うことに成った。飢饉に疫病、洪水と立て続けに災難が起こった挙げ句、北方の夷狄が国境を侵したというので大規模な戦を行わなければなかったが、時期が悪かった。出兵したのは、十二月。兵は、戦争ではなく、寒さで死んだ。
『あまりの寒さに皮膚が裂け、裂けた皮膚から噴き出した血がその場で凍り付く、紅蓮地獄さながらの光景だったと聞いております』
その出兵の為に、兵糧が底をつき、税金の負担を上げた結果、各地で民衆が蜂起し、その鎮圧に金が出て行った。
『その上、後宮を揺るがす大事件が起きたのです。それについては、私は詳しく申し上げることは出来ませんが、それで、我が国の国庫は空になりました。……それで、堋国から黄金を借りる話になったのです。それがなければ、即位の礼さえ行う事は出来ませんでした』
なるほど、と琇華は納得した。
『では、本来ならば、皇帝陛下は、返済の意志があったにもかかわらず、妾を皇后として迎えるならば、黄金はそっくり游帝国に献上すると言うことだったのね』
『はい……』
『それならば、皇帝陛下が、妾を面白くないと思うのも、無理はないわ』
けれど、気に入らない態度を取りながら、皇帝は、琇華の殿舎を訪ねて、朝餉も一緒に食べていく。まるで、普通の夫婦のようだと、琇華は戸惑っていたが、なんとなく、理解できることがあった。
(もしかしたら……、妾の肉体が目当てではなく、朝餉が目当てなのでは……?)
玄溟殿には、専用の料理人が居る。この料理人は、周おばさんというらしいが、彼女が、気を利かせて、堋国風の料理だったり、游帝国の料理だったりを作ってくれる。
朝は、たいてい、身体を温める粥と、菜が何種類か。
今朝の献立を思い出せば、堋国でよく食べられていた、干した牛肉と茸をたっぷりと入れたとろとろの粥に、早春に摘んで塩蔵していたのだろう蕨と竹の子を使った炒め物、棗と白木耳、魚翅を煮込んだスープ、海老を茶で傷めた炒め物……などがところせましと出されたものだった。
今思い返せば、皇帝は、嬉々として朝餉を食べていたような気がする。
(妾があんなに恥ずかしくて、口惜しい思いに耐えているのに、目当ては朝餉か!)
それは口惜しいが、皇帝が腹を空かせているのは、少し哀れだ。そして、はた、と気がついた。
この国で華やかな衣装を身に纏っているのは、琇華くらいだ。瑛漣も、質素……というかいっそ粗末なと言った方が良い服を着ている。そして、女官達も、皆、一様に痩せている。
(あまり、食べていないのね……)
琇華は、意を決して、瑛漣に申し出ることにした。
「ねぇ、瑛漣……、失礼を承知で訊ねるわ。あなたたち女官も、満足に食事を摂っていないのではなくて?」
かあっと、瑛漣の顔が朱に染まった。
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