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62.わたくし、恥ずかしくなりましたわ

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「東宮殿下からの、お文?」

 五の宮さまが、身を乗り出した。

「はい。主は、東宮殿下が御自ら筆をおとり遊ばしたお文を、後生大事に肌身離さず持ち歩いております。折角の機会ですので……」

「それは嬉しい。東宮殿下は、能筆であられるので、私も、折々の挨拶の文など頂くと、つい、手元に置いて、飾っておきたくなるのですよ。……高紀子姫。少々拝借しても、よろしいですかな?」

 わたくしは、香散見さんの口元に耳を持っていく。一応、そうしないと、都合が悪い。

『なによ、アイツ。アタシ、あんなのに、文なんか贈ってないわよ。アタシ、文を書くの嫌いなんだから』

 それは、そうですよねー。

 わたくし、いまから、結婚するというのに、お文の一枚も、和歌の一枚も頂いたことがないなんて……いくら、高貴な方とは雖も、あまりにわたくしを軽んじたお振る舞いだわ!

 それは、わたくし、猛然と抗議して良いような気になったので、とりあえず、大方が片付いたら、絶対に、面倒くさがっても、お文を頂いて、そして、ちゃんと、和歌も作って、口説いて頂かなければ!

 さてと、わたくしのことはともかくとして。

 これで、はっきりしたわ。

 香散見さんは、文を出していないという。けれど、この方は、親しく文を交わしていると言う。

「流石に、近しい宮さまともなると、東宮殿下も慕っておいでで、羨ましいばかりでございます……、と主が申しております」

「いやいや、あの方は、義理堅い方だから、私のような……皇族といっても、なぜか、皆から忘れられてしまうものであってもね、親しくして下さるんですよ」

 しみじみと呟く五の宮さまの様子を拝見していると、なんとも、実感のこもった呟きのように感じられる。

 けれど、なぜ、実感がこもっている……? だいたい、香散見さんは、文を出したことは、ないというのに、この、心酔の仕方。なんだか、おかしい感じもするけれど、ここは、あまり気にしないでおこう。

 そしてわたくしは、五の宮さまに、香散見さんの文を渡したのだった。

 香散見さん―――つまり、ここでは『高紀子姫』が『東宮殿下(真)』から頂いた文という形をとっているけれど、自分宛のラブレターのようなものだから。

 そして、文面は、正気の人間が見たら、頭が痛くなるような内容にしてもらったのだった。
 



 『
   美しき高紀子。私とあなたは今は合う時間も限られているが、
   あなたのその美しく清浄な気は、御所にまで満ちて来るようだ。
   どんな花よりも美しく、どんな香よりも馨しく、どのものよりも、勇気と優しさに満ちた高紀子。
   あなただけを、生涯愛し抜くことを、私は誓おう。
  』





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