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52.わたくしは、とらわれている

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 かくて、わたくしは香散見かざみさんと共に、『なんとかの廃院はいいん』とやらに来たわけです。

 これが、もう、荒れ放題に荒れていて……、床には土埃が溜まっているし、褥の一枚もない。半蔀は、ぎしぎしと軋んでいて、ちょっとした風が吹いただけでも、ガタッと落下しそうだったし、庭はすすきのような背の高い雑草が茂っていて、とても、お庭の様子を楽しむなどと言う風情ではない。

 牛車のうしだけが、楽しげに道草を食っているのを見て、わたくしはあっけにとられ、香散見さんは、お腹を抱えて笑い出した。

「やだー、牛は面白いわねぇ!」

 よく考えたら、膳もないし。わたくしたち。どうすれば良いのかしらね。

 まあ、ひとばんくらい、食事がなくても、構わないけれど……お腹が鳴る音が聞こえたら、恥ずかしいわ。

「高紀子、おいで」

 香散見さんが、わたくしを手招きする。

 長袴の下で、じゃりじゃりという音がする。ああ、土埃を踏んでいるのだわ。きっと、長袴、汚れているわね。

 香散見さんは、わたくしに、庭の奥を指さした。

「あそこに、垣根があるでしょう。あの奥が、五の宮の邸よ」

 と、仰有っても、わたくしは、よく見えない。

「遠いじゃないですか」

「ええ? 目で見られるじゃない」

「見られませんわよ」

「あら? おかしいわねぇ……」

「だって、わたくしには、一面の背の高い野の草の生えた、荒れたお庭しか解りませんわよ」

 反駁したわたくしの言葉を聞いた香散見さんが、「そういうことね!」と合点が行ったようだった。

「アンタ、背が低かったのね。アタシとアンタじゃ、見てる世界が違うんだわ……ほら、アタシとアンタったら、軽く一尺(約30センチメートル)違うのよ」

 香散見さんは、わたくしを抱き上げる。

 たしかに、隣に邸が見えた。

 けれど―――わたくしは、そんなことより、今の香散見さんの言葉が、胸に棘のように刺さって、しまった。

 見ている世界が違う―――。

 その言葉は、薄々、わたくしが気がついていたものだけれど……改めて言われると、なんだか、辛い。突き放されたような気分になる。

「どうしたの? 高紀子」

 わたくしは、目から、流れる涙を止められなかった。

「どーうしたのよ、泣き止んで。アタシ、アンタが泣いてるの、見たくないわ」

 やさしく、香散見さんの口唇が。わたくしの涙を拭う。

 香散見さんの、黒い瞳に、わたくしが映り込んでいる。不安げな顔をしたわたくしに、香散見さんは「ホントにどうしたのよ」と問い掛けたけれど、わたくしは答えられない。

 ただ……わたくしは、解っている。

 わたくしは、香散見さんに、とらわれてしまったのだ。いつの間にか。

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