赤い珊瑚

マチバリ

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「海が見てぇと言っていたんでね、骨の一つでも海までいってりゃあええなぁ」



老婆が腕を愛おしそうに撫でながらほほ笑む。
唾を飲み込む感覚に己の喉がひどく乾いているのに気が付いた。
冷えた茶を煽るように流し込む。



「さて、話も終わりましたし絵も描けましてございます」



そういえば絵を頼んだついでに聞いた話だったのだ。
老婆が差し出す紙には見事な海辺が描かれていた。波が押し寄せる砂浜と、どこか物悲しい海の動き。



「これは見事な」



純粋な賛辞が口から零れる。
これは金を出して買っても惜しくはない出来だ。
片腕がない老婆の絵だと触れ込めば、儲け話になるかもしれない。

しかしそんな気は毛頭起きない。
絵の素晴らしさをかき消して余りある老婆の不気味さはどうするのだ。
美しい絵を描く老婆が抱える手を愛した男との日々。
それも一興か。

老婆の話が真であるという証は、その腕一つだ。
生まれた時からの欠損や、何らかの事情で失せた手を商売道具にする者も少なくない。
作り話であっても不思議はない。




されど、老婆か語る話は生々しく男と女の息遣いがあった。



「婆様」

「なんですかな」

「・・・いや、いや良い絵をありがとう。そして面白い話だった」



それだけを言うのがやっとだった。
立ち上がろうとして足が痺れているのに気が付く。
何とか立ち上がり、老婆に軽く会釈をすると応えて老婆もかすかに頭を下げた。


しゃりんと鈴が鳴ったような気がして視線を動かせば、老婆の髪に赤いものが光った。
赤い珊瑚のかんざしの金細工が揺れている。
体中の皮膚が泡立つ。男が女に与えた、橋の上で事の発端となったかんざし。
艶めいた赤い珊瑚は見慣れたものより随分と赤い。

まるで血で染めたような、赤。

不意に血溜まりから白い手が血を滴らせながらかんざしを拾い上げる光景が思い浮かぶ。
それは男からもらったかんざしなのか問いたいのに、喉に物が詰まったように声が出なかった。









***









「どうでしたかな?」



座敷から顔出すと待ち構えていたかのように店の主人がしたり顔で近づいてくる。
おそらく老婆が何を話したのか知っているのだろう。



「ああ、面白い話が聞けたよ。凄い婆様だな」

「楽しんでいただけなのなら何よりです」



楽しんだ?楽しんだのだろうか。確かに不気味ではあるが話の題材にするには悪くない。
女と男に名前を与え肉を与え血を通わせれば生きる話かもしれない。

されど。



「いささか悪趣味が過ぎる趣向だな」

「そうでございますか?半分呆けている婆ですが、怪談話は評判ですのに」

「怪談?あれがかい?」

「先のお客様は番町皿屋敷を聞いたと」



主人が言うには老婆が話すのはありきたりな怪談話が主だという。
自身の話など聞いたことない。
腕がないのは生まれつきだと主人は訝し気に首をかしげる。


もういちど話を聞くべきかと迷ったが、主人に茶代を支払うと逃げるように店を飛び出した。
外は眩しいばかりの晴れ間で、照り付ける日差しが冷えた体を温める。
街道を歩く人並みにようやく詰めていた息を吐きだした。



「さて、行くか」



わざとらしく口に出して歩き出す。
気晴らしに少し海を見て帰ろうかと考えていくと、ふと、海を目指す道の先を歩く人影に目が留まる。
旅人には不自然な着流し姿の男だ。
役者のように体を揺すりながら歩を進めるその人は、仲睦まじく白い女と手をつないでいる。


否、白い、白い女の手だけを愛しげにひきながら歩いている。



「ひいっ」



思わず尻餅ついて座り込む。
周りの人々が不審そうに振り返る。誰もあれに気が付かないのか。

なんなんだあれは戦慄く声で叫んだつもりだったが、口から零れたのはかすれた呼吸の音だけ。

照り付ける日差しは痛いほどなのに、なぜか水音が聞こえてきた。
それは激しく降る雨のようでも、流れる川の水音のようでもあり、寄せては還す波音のようでもあった。
動くことも目を逸らすこともできないままに、呆然と女の手を持つ人影を見送る。
それは振り返るでもなく先に進んでいき、視界から消えてしまった。









***









それからどうやって家に帰ったかわからない。
気が付いた時には家人が襤褸切れのような風体で帰り着いた己に驚いて叫んだのだけは覚えている。

もしあのまま共に海を目指していたら、どこにたどり着いていたのだろう。

果たしてあれは真か、それとも現にみた幻か。答えを出せぬまま、私はこの話を書いている。









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