上 下
3 / 8

03

しおりを挟む

 その日は朝から粉雪が舞っていた。



「教会にお菓子を届けてきますね」



 こちらを見ずに手を振る厨房の使用人たちに声をかけ、かごにつまった焼き菓子を抱え裏門から外に出る。

 雪の積もった街道を歩けば、薄くなった靴底から冷たい水が染みこんできて足先を刺すように冷やしていく。

 だが私は黙々と歩いていた。早く教会に着きたかったから。





 貴族は市井の人々に施しをすることが美徳とされており、グラス家も近くにある教会に頻繁にお菓子や布糸などを届けていた。

 以前は使用人が届けていたが、いつしかその仕事までもが私のものになった。

 外出は禁じられているがいいのかと一度だけ確認したことがあるが、使用人たちはそれを鼻で笑った。



「それはお嬢様がグラス家の人間だと知られたくないからの決まりでしょう? お嬢様は使用人として教会に行くんだから大丈夫ですよ」



 使用人のフリをしろと暗に告げられ悲しくなったが、外に出る機会のなかった私はそれを素直に受け入れた。

 裏門から出てほんの数分歩くだけの短い外出はとても楽しかった。

 教会のシスターや子どもたちは私の訪問を喜んでくれたし、家では禁じられていた音楽にも触れられた。

 オルガンは下手くそだったし賛美歌はめちゃくちゃな音程だったが、子どもたちは誰も笑わなかった。一緒に練習しようとさえ言ってくれた。

 いっそ、捨ててくれればここにこられるのに。

 本気でそう願っているほどに私は教会で過ごす時間に救われていた。





 あと少しで教会に着く。

 そんなときだった。道ばたに座り込んだ人影に気が付いたのは。

 葉っぱの落ちきった街路樹にもたれるように座っていたのは、若い男性だった。

 銀色の髪に陶器のような肌。凛々しい顔に薄い唇。長い睫毛は粉雪で濡れていた。

 まるで雪の妖精かと見紛うばかりの美しい造形に、思わず息を呑む。



(具合が悪いのかしら)



 私はもう慣れたものだが、外の寒さに身体が耐えられなくなったのかもしれない。

 慌てて駆け寄りその肩を揺らそうと思ったが、高級そうな服に灰が付いてしまうのが申し訳なく、私はそっと声をかけた。



「あの、大丈夫ですか?」

「ん……ああ……」



 どこかぼんやりとした返事に、やはり寒さで動けなくなっているのだと悟った私は思いきってその肩に触れた。

 がっしりとした男性らしい体格に、心臓がびくりと跳ねる。



「ここでは風邪を引きます。少し先に教会があるので少し休んで行かれませんか?」

「教会……? 君は天使なのか?」

「まさか」



 こんな醜い天使がいるものか。

 そうとは口に出さず、私は青年に肩を貸すと教会へと半ば引きずるように連れて行った。



 雪でずぶ濡れの私と男性にシスターは悲鳴を上げ、慌てて暖炉の前へと案内してくれた。

 濡れた上着を乾かしながら布で顔や頭を拭く。青年も私に倣うようにのろのろと上着を脱ぎ、顔や手足を拭いていた。

 ぱちぱちと薪が弾ける音を聞きながら温まっていると、青年がふう、短い声を上げた。



「ああ、温かい。ありがとう、生き返ったよ」

「そんな、私はただここにご案内しただけで」

「いいや。君が声をかけてくれなかったら、あのまま朝になっていたかもしれない。凍らずにすんだよ」



 わざとらしく肩をすくめる青年に私は思わずくすりと笑ってしまった。

 こんな風に笑ったのはずいぶんと久しぶりな気がする。



「あんなところでなにをされていたんですか?」



 お酒に酔ったか空腹かと思ったが、青年からは酒精の匂いはせず、肌つやのよさからも栄養が足りていないようには見えない。



「……実はずっと人を探していてね。手がかりが途絶えてしまい途方にくれていたんだ。だんだんと悲しくなって、座り込んだら動けなくなった」

「まあ……それは……」

「だから君が目の前に現れたとき、本当に天使かと思ったんだ」

「そんな……私のような醜い娘を天使だなんて」



 咄嗟にそう答えれば、青年は大きく目を丸くして「なんだって」と尖った声を上げた。



「君が醜い? どこがだい! 確かに少し痩せてはいるが、君はとっても美人だよ。醜いなんて言った奴がいるのかい? 僕がそんな奴、叩きのめしてやる!」



 強い口調でそう言われ、私は言葉が紡げなくなってしまう。

 はくはくとみっともなく口を開閉させ、思わず俯けば青年が大きな手で肩を掴んできた。



「それに、自分を醜いなどと言ってはいけない。人の本質は心だ。君は行きずりの僕に声をかけ、ここに運んでくれる優しさを持っているじゃないか。君は素晴らしい人だよ」



 目頭が焼けるように熱を持つ。

 暖炉の火で火照った頬を何かが伝っていくのがわかった。



「あ……」



 気が付いたときにはぽたぽたと大粒の涙がこぼれていた。

 こんなに優しい言葉をかけてもらえるなんて思っていなかったのだ。



「ああ、すまない。泣かないでくれ……ええと……」



 青年は私の涙に慌てたのか、ぱたぱたと自分の胸や腰回りを叩くとポケットから真っ白なハンカチを取り出し、差し出してきた。

 そして優しく涙を拭ってくれた。



「これを使って」

「でも、汚してしまう」

「いいんだ。命を助けてくれたお礼だよ。どうか持っていてくれ」



 ハンカチからは優しい花の香りがした。

 胸いっぱいに吸い込めば、ざらついていた心が柔らかくほぐれていくようだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

嫌われ者の側妃はのんびり暮らしたい

風見ゆうみ
恋愛
「オレのタイプじゃないんだよ。地味過ぎて顔も見たくない。だから、お前は側妃だ」 顔だけは良い皇帝陛下は、自らが正妃にしたいと希望した私を側妃にして別宮に送り、正妃は私の妹にすると言う。 裏表のあるの妹のお世話はもううんざり! 側妃は私以外にもいるし、面倒なことは任せて、私はのんびり自由に暮らすわ! そう思っていたのに、別宮には皇帝陛下の腹違いの弟や、他の側妃とのトラブルはあるし、それだけでなく皇帝陛下は私を妹の毒見役に指定してきて―― それって側妃がやることじゃないでしょう!? ※のんびり暮らしたかった側妃がなんだかんだあって、のんびりできなかったけれど幸せにはなるお話です。

聖人の番である聖女はすでに壊れている~姉を破壊した妹を同じように破壊する~

サイコちゃん
恋愛
聖人ヴィンスの運命の番である聖女ウルティアは発見した時すでに壊れていた。発狂へ導いた犯人は彼女の妹システィアである。天才宮廷魔術師クレイグの手を借り、ヴィンスは復讐を誓う。姉ウルティアが奪われた全てを奪い返し、与えられた苦痛全てを返してやるのだ――

私はあなたの何番目ですか?

ましろ
恋愛
医療魔法士ルシアの恋人セシリオは王女の専属護衛騎士。王女はひと月後には隣国の王子のもとへ嫁ぐ。無事輿入れが終わったら結婚しようと約束していた。 しかし、隣国の情勢不安が騒がれだした。不安に怯える王女は、セシリオに1年だけ一緒に来てほしいと懇願した。 基本ご都合主義。R15は保険です。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

「不吉な子」と罵られたので娘を連れて家を出ましたが、どうやら「幸運を呼ぶ子」だったようです。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
マリッサの額にはうっすらと痣がある。 その痣のせいで姑に嫌われ、生まれた娘にも同じ痣があったことで「気味が悪い!不吉な子に違いない」と言われてしまう。 自分のことは我慢できるが娘を傷つけるのは許せない。そう思ったマリッサは離婚して家を出て、新たな出会いを得て幸せになるが……

【完結】27王女様の護衛は、私の彼だった。

華蓮
恋愛
ラビートは、アリエンスのことが好きで、結婚したら少しでも贅沢できるように出世いいしたかった。 王女の護衛になる事になり、出世できたことを喜んだ。 王女は、ラビートのことを気に入り、休みの日も呼び出すようになり、ラビートは、休みも王女の護衛になり、アリエンスといる時間が少なくなっていった。

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

愛してしまって、ごめんなさい

oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」 初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。 けれど私は赦されない人間です。 最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。 ※全9話。 毎朝7時に更新致します。

処理中です...