悪役令嬢の使用人

橘花やよい

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第五章 因縁と姉妹

第3話 引き裂く言葉

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 その日はいつもと変わらない朝だった。しかし昼になって、別館では見慣れない人間が訪れた。

 顔中に神経質そうな皺を刻んだその男は、旦那様の使用人だ。

 玄関ホールで用件を聞いた私は、急激に気分が落ちこんだ。重い足取りでお嬢様の部屋に向かうと、マリーとレオンもそろっている。私は一つ深呼吸をして、口を開いた。

「旦那様がお呼びです」

 談笑していたお嬢様の表情が固まった。その顔は、屋敷に閉じこもっていたときのお嬢様が戻ってきたかのようだった。だが、それはわずかな時間のこと。

「――行きましょう」

 たしかに光のある瞳で、お嬢様は立ち上がる。旦那様から直々の話なんて、いいものではないだろう。心が、重い。

「リーフさん、顔、怖いですよ」

 こつんとマリーに肘でつつかれる。

「大丈夫です。お嬢様のこと信じましょう。それに、私もリーフさんも、レオンもいます。だから大丈夫」

 ね、と微笑むマリーに、レオンも頷いた。

「……励ますのは私の役目だったのに、今回はマリーに取られてしまったわね」
「私だって、日々成長してますから。リーフさんにばっかり、かっこいい役を任せませんよ」

 ぐっと親指を立てるマリーに、嬉しいような悔しいような気がした。

 本館で案内されたのは、旦那様の書斎。そこにはライラ様の姿もあった。使用人のジルもいる。そして、中央の執務机に重々しい空気をまとって、旦那様が座っていた。

「ご機嫌麗しゅう、お父様」

 お嬢様がゆっくりと頭を下げる。この二人が面と向かって話をするのは何年ぶりだろう。

「ずいぶん、熱心に動いているようだな」

 じろりと鋭い目が向けられる。冷たい声だった。

「お前とその母が、バルド家の名誉に傷をつけたこと、忘れたか。妙な噂ばかり立てられて迷惑だ」
「お父様」

 ライラ様が咎めるように声を上げたが、旦那様が手で制すと押し黙った。もとはといえば旦那様が原因なのに、よくそんなことが言えるものだ。つい、旦那様に非難の目を送ってしまう。

 すると。

「お前の使用人、カインツ家の娘だったな」

 突然、旦那様に睨まれた。まさかこの場で自分の話が出るとは思わず、息をのむ。

「そうですが、なにか」

 お嬢様が問う。

「カインツ家は我が家に代々仕えている使用人一族だ。カインツ家の使用人は優秀だと、社交界でも名が通っている」

 私は戸惑いながら、一応褒められているらしいことに頭を下げた。
 不安と不信感が募る。この状況で私を褒めるその意図は、なに?
 次の旦那様の言葉を緊張して待った。
 旦那様が言う。

「その娘、お前にはもったいないだろう」

 この場にいる旦那様以外の全員が、衝撃を受けた気配がした。

「カインツ家の娘であるならば、未来ある令嬢に仕えるのが筋だ。お前よりも、ライラの方がその使用人の主人として相応しいだろう」

 それは、つまり。

 私に、ライラ様の使用人になれというのか。今までずっとレイチェルお嬢様にお仕えしてきた私に。

 誰よりも先に正気に戻ったのはライラ様だった。

「待って、お父様。リーフは長年お姉様に仕えてきた使用人です。私にはジルもいてくれますし――」
「ライラは黙っていなさい」

 私たちに向けられた声よりは幾分か優しい、けれど有無を言わせぬ語調に、眉を寄せながらライラ様は口をつぐんだ。マリーが不安そうに私の裾を引っ張って、「どうしよう」と訴えてくる。

 カインツ家の私がお嬢様のもとを離れてライラ様に仕えるなんて、バルド家の令嬢にはライラ様が相応しいと示しているようなものだ。お嬢様が不利になってしまう。

 それに、なによりも。
 お嬢様のもとを離れるなんて、嫌だ。

「お言葉ですが、旦那様、私は――」

 不快感のままに、声を上げると、それを打ち消すように旦那様が言う。

「使用人が、私に異議を述べるか」

 じろりと睨まれ、私は、次の言葉を見失った。

 使用人が当主に逆らうなんて許されない。旦那様の機嫌を損ねれば、私はこの屋敷を追い出されるかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。だけど、このままでいいわけない。なんとか反論しないと。

 私が再度口を開こうとしたとき、また、言葉は遮られた。

「分かりました」

 お嬢様だった。
 真剣な表情で旦那様を見据えるお嬢様は、静かに言う。

「お父様のお言葉に従います」

○○○○

 旦那様は私に荷物をまとめて本館に移るように告げたあと、私たちを追い出した。誰も口を開かなかった。太陽に照らされた私たちの影は黒く、重く伸びていた。戻ってきた別館は、やはり静かだ。

 ごめんなさいとお嬢様が呟いた。

「今はお父様に逆らわない方がいいと判断したわ。お父様なら、使用人一人を辞めさせるくらい造作もないのだから」

 それは、私の頭にもよぎったことだ。仮に、旦那様の機嫌をそこねてバルド家から追い出されたら、私は今後貴族社会では生きられないだろう。本当にお嬢様の側にいられなくなってしまう。

「しかし、お嬢様。私はバルド家の使用人ですが、なによりもレイチェルお嬢様を主人としてお仕えしてきました。お嬢様以外を主人とするなんて――」

 言いかけて、口をつぐんだ。
 お嬢様が困ったように、そしてすこしだけ嬉しそうに微笑んでいたからだ。

「ありがとうリーフ。わたくしも、リーフが使用人でいてくれてよかった」

 知らないうちに握り込んでいた私の拳を、お嬢様の手が包んだ。

 幼い頃から、お嬢様にお仕えしてきた。幸せだったときも、絶望したときも、もう一度頑張ろうと顔を上げたときも。ずっと側でお仕えしてきた。

「リーフにはたくさん頼ったし、甘えてしまったわ。だから、リーフがいなくても自分を誇れるようになりたいの。それに、わたくしにはマリーやレオン、パッサン卿にエマにディーもいてくれる。だから、わたくしのことは心配しないで」

 お嬢様は微笑んだ。そして次には真剣な目に変わる。

「お父様がわたくしを疎んでいるのはよく分かったわ。たしかにわたくしはバルド家の名に傷をつけた。でもだからこそ、これからバルド家に恥じない自分になりたい。そして、リーフを取り戻してみせるから――、それまで、待っていてちょうだい」

 ひたすらに前を見据える赤い瞳で、私を見つめる。お嬢様は私のことを考えて旦那様に従うことを選んだ。けれど諦めたわけではない。それが痛い程に理解できる瞳だった。

「――お嬢様は、もうご立派ですよ」

 それだけ言うのが、精一杯だった。
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