悪役令嬢の使用人

橘花やよい

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第一章 支度をしましょう

第7話 ここから、始めましょう

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「お嬢様、すこしよろしいでしょうか」

 マリーと一緒にレイチェルお嬢様の部屋に入ると、読書をしていたらしいお嬢様が首を傾げた。カスミソウの栞を挟んで本を置き、私たちを見る。

「どうしたの、そのお花」
「ライラ様よりいただきました。お部屋に飾らせていただいても?」

 お嬢様は少しの間ためらって、頷いた。

 窓辺に花瓶をおいて花を移し替える。部屋の雰囲気が明るくなったような気がする。お嬢様も嫌がっていないようだし、よかった。私たちが花を飾る様子をじっと見ていたお嬢様は、手を伸ばして小さくて白いカスミソウの花に触れた。

「お嬢様、カスミソウがお好きですよね」
「わたくしじゃない、お母様が好きだったの。――綺麗な花。あの子にお礼を言っておいて」
「お嬢様がご自分でお伝えになった方が喜ばれますよ」

 お嬢様の長い睫毛が、赤い瞳に影を落とす。

 私とマリーは二人で頷き合う。ライラ様とした話はマリーに伝えてあった。できるだけ内密にと言われていたけど、マリーだってお嬢様に仕える大事なメイドだ。彼女には伝えるべきだと思った。私は深呼吸をして、お嬢様を見つめる。

「宮廷のお茶会の件ですが。もう一度考え直していただけませんか」

 お嬢様は私とマリーを交互にみて、綺麗に整えられた眉をひそめた。

「私たち、お嬢様には社交界に戻っていただきたいんです。だってお嬢様は、本来こんな屋敷に閉じこもるべきお方ではないのですから」
「あなたたち今までそんなこと言ってこなかったじゃない。どうして突然そんなことを言うの?」

 お嬢様は怪訝な表情を浮かべた。戸惑いと、不信感が伝わってくる。お嬢様にそんな顔をされるのは辛いけれど、もう簡単に諦めないと決めたのだ。私は真正面からお嬢様をみた。

「后となるご令嬢を決めなくてはならないと、国中が躍起になっていることは、お嬢様もご存知でしょう」
「ええ。王子ももう一八歳ですもの。それなのに、まだこれといったお相手がいないから、貴族たちもやきもきしているようね。――でも、ライラが有力候補でしょう。だったらあの子が后になるべきだわ。お父様もそれを望んでいる。わたくしが出る幕ではない」

 お嬢様は窓の外を見る。外は暗い。庭園の木々の合間からわずかに本館の灯りがみえた。

「お父様にとって、わたくしは邪魔なだけ」

 お嬢様は深くため息をついた。自嘲するような表情を浮かべる。

「わたくしがいても、この家の足枷になっているだけだわ。いっそ、消えてしまった方がお父様も、ライラも、幸せになれるでしょうに」
「――それは嫌です」

 それまで沈黙を守っていたマリーが口を開いた。

「そんなこと言わないでください!」

 いつも天真爛漫なマリーが、眉を八の字にして、怒っているような、悲しんでいるような、そんな表情を浮かべた。

「私、お嬢様がずっと頑張ってきたのを知っています。それなのに、このまま屋敷に閉じこもるなんて、そんなお嬢様を見たくありません。消えるなんて、もっと嫌。――私、お嬢様とお庭でお茶会をするのが好きでした。社交界でみんながお嬢様を褒めてくださるのが誇りだった。お嬢様のこと大好きだから、私の自慢のお嬢様なんだって、みんなに胸を張って言いたいです。だから、そんなこと言わないでください」

 マリーは一息でそう言った。拳を握って、お嬢様を真っ直ぐ見る。

「私にとっては、旦那様もライラ様も関係ありません。レイチェルお嬢様が幸せかどうかだけが問題なんです。私は、お嬢様に幸せになってほしい」

 お嬢様は何かを言いたそうにしたが、結局、なにも言葉にできないようだった。マリーも、それ以上なにも言わなかった。沈黙がおりる。

「私、お嬢様を守れなかった自分が憎いです」

 静かな部屋に、私の声が響いた。

「私が不甲斐なかったから、お嬢様をたくさん傷つけてしまいました」
「あなたのせいではないわ。もちろんマリーのせいでもない。わたくしが、弱くて、子どもだったから」
「私は、お嬢様に社交界に戻ってきてほしいです。お嬢様は、別館でこのまま過ごしたいですか? お嬢様が今のままでいいと言うなら従います。でも、そうではないのなら――」

 そうでないのなら、いくらでも、私は。

「……わたくしは」

 お嬢様は窓に視線を走らせた。重い空気が流れる中、私たちはじっとお嬢様の言葉を待つ。

 今のままでいいなら――なんて、ずるい言い方だ。そんなことをお嬢様が思っているわけがない。私もマリーもよく分かっている。私たちの意志は決まっている。あとは、お嬢様だけ――。お嬢様は自分の体を抱くようにして、小さな声をこぼした。

「このままでいいなんて、思ってない。人目を気にしないで過ごせるようになれたら、って、いつも思ってる。でも怖いの。これ以上お父様に嫌われたくない。人に後ろ指をさされたくない」

 心臓を掴まれたような心地がした。お嬢様がなんと言おうと、お嬢様をここまで追い詰めたのは私だと思う。誰よりも側にいたのに、何もできなかった。悔しくて、自分が恥ずかしい。

 ――でも、後悔するだけじゃ、何も始まらない。私は前に向かうと決めたから。

「今度は必ず、私たちがお守りします」

 私とマリーは床に片膝をつく。

「もし、お嬢様がお許しになるなら、もう一度私たちにチャンスをください。今度こそ、お嬢様をお守りします」

 二人で深く頭を下げる。そのためにお嬢様の表情は分からない。窓の外で木の葉が揺れる音がする。鳥の声がする。そういう小さな音が耳についた。お嬢様はじっと動かず、沈黙している。

 長い長い時間が経ったように思う。そっと布の擦れる音がして、お嬢様が動いたことが分かった。こつこつと靴音が近づいてきて、目の前でとまる。

「このままなんて――、わたくしも嫌よ。お父様に、認めてほしい。貴族たちにも、笑われたくない」

 絞り出すような声。

「あなたたちが自慢の主人だと言えるくらいの女性に……、今からでもなれるかしら」

 そっと顔をあげると、青白い右手が差し出された。

「もう一度、自分に誇れる生き方をしたい。前に進みたい。立ち止まりたくない。――わたくしはまだ弱いから、守ってくれる? わたくしも、頑張るから」
「――はい。必ずお守りします」

 目の前に差し出された手をとった。か細い指。小刻みに震えるその指を、自分の額にあてる。

「私も、もうお嬢様に悲しい思いも、辛い思いもさせません。お嬢様のこと、大好きですから」

 マリーも続いてお嬢様の手を握り、額におしあてた。

 レイチェルお嬢様に忠誠と、約束を。この日、私たちは再度誓った。もう一度、お嬢様を社交界で輝かせてみせると――。
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