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第5章 物語と、ひとつの色(下)
(1)少年と
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「絵莉、おはよ。ずーっと部屋に引きこもって、あきない?」
彩乃が呆れたように言った。それでも怒る気はなさそうで、おにぎりをせっせとつくっている。しそと昆布の二種類。彩乃も絵莉も梅干しの酸っぱさはは苦手だった。
「朝ごはん、たまにはおにぎりもいいでしょ」
「うん。ありがと」
「一色さんととわくん、絵莉に会いたがってたよ」
答えに困ってあいまいに笑いながら、急須にお茶を淹れる。寒い日は、熱々のお茶に限る。
絵莉はここしばらく、店に顔を出していない。ずっと部屋でぼんやりするか、二階から借りてきた本を読んでいる。本当は彩乃と顔を合わせるのも、気が引けた。しかし朝ごはんだけは一緒に食べよう、という彩乃からの申し入れで、こうして毎朝食卓を囲んでいる。一緒に食べないなら部屋を出ていけ、とまで言われたのだから仕方ない。
心配してくれているのは、わかる。
朝ごはんを食べ終わると、その日も絵莉は自分の部屋にもどって、敷かれたままのふとんに寝転がった。
――雪、また降ってるな。
窓の外はぶ厚い雲に覆われていて、白い雪がちらついている。陽の光を浴びないとやる気が出ないから、雪の日は憂鬱だ。白く染まっていく街並みを見ていると、この風景に絵の具を落としたところで、汚すことしかできないのだろうなあと思う。
一色には、きちんと説明した。鹿野がどれだけすばらしい絵を描くひとなのか。鹿野に装画を依頼することが本を売る最善の選択肢なのだということ。書籍化してほしいという願い。一色だって、書籍化したくないわけではないと思うから。
『描かないのですか』
一色が訊いてきたのは、それだけだった。
描けません、と答えてからは連絡を取らないようにしていたし、店で顔を合わせるのも避けていた。絵莉は机の前に座り、突っ伏する。画材は出したままになっていた。鹿野の絵が表紙を飾る本たちも、まだそこに置かれている。片づける気力もない。もしかしたら、まだ未練があるのかもしれない。
――力が出ないのは、曇ってるせい。
そう言い訳しながら、目を閉じる。今日はなにもしたくない。
三階へと上がってくる足音がしたのは、昼ごはんも過ぎてからだった。彩乃よりも軽やか。けれどお雪さんほど小さくない。だれ、と思って振り返ると、控えめな呼びかけの声。
「おねえさん」
「え、とわくん? どうしたの」
驚いてすぐに出迎えた。とわが三階に来るのははじめてだ。いくら仲がよくても、兎ノ書房のお客さまであることに変わりはない。三階の居住スペースにまでは、まだ来たことがなかった。
「……お雪さんが、おいでって、してたから」
「お雪さんが?」
どうやら、不思議の国のアリスよろしく、白うさぎがとわをここまで連れてきたらしい。当のお雪さんは、どこかに姿を消してしまっている。
――お雪さん、なにを考えてるんだろ。
「とりあえず、入って」
昼前にはふとんをしまっていたから、ひとを入れるには問題ない程度に片づいている。あいかわらず、机の上は画材でごちゃごちゃとしたままになっているけれど、まだましだ。
と、そこで絵莉は気づいた。
「とわくん、今日はランドセルなんだね」
見慣れないランドセルを、とわは背負っていた。小柄なとわは、ランドセルに食べられてしまいそうにも見える。いつも兎ノ書房に来るときはリュックサックが多かったから、なじみのない姿だけれど、これが本来の形でもあるのだろう。
「学校……、行ってきた」
絵莉の差し出すクッションに座りながら、とわがランドセルを横に置く。絵莉はぱちっとまたたきして、そんなとわを見つめた。え、と言いそうなのは必死にこらえた。
彩乃が呆れたように言った。それでも怒る気はなさそうで、おにぎりをせっせとつくっている。しそと昆布の二種類。彩乃も絵莉も梅干しの酸っぱさはは苦手だった。
「朝ごはん、たまにはおにぎりもいいでしょ」
「うん。ありがと」
「一色さんととわくん、絵莉に会いたがってたよ」
答えに困ってあいまいに笑いながら、急須にお茶を淹れる。寒い日は、熱々のお茶に限る。
絵莉はここしばらく、店に顔を出していない。ずっと部屋でぼんやりするか、二階から借りてきた本を読んでいる。本当は彩乃と顔を合わせるのも、気が引けた。しかし朝ごはんだけは一緒に食べよう、という彩乃からの申し入れで、こうして毎朝食卓を囲んでいる。一緒に食べないなら部屋を出ていけ、とまで言われたのだから仕方ない。
心配してくれているのは、わかる。
朝ごはんを食べ終わると、その日も絵莉は自分の部屋にもどって、敷かれたままのふとんに寝転がった。
――雪、また降ってるな。
窓の外はぶ厚い雲に覆われていて、白い雪がちらついている。陽の光を浴びないとやる気が出ないから、雪の日は憂鬱だ。白く染まっていく街並みを見ていると、この風景に絵の具を落としたところで、汚すことしかできないのだろうなあと思う。
一色には、きちんと説明した。鹿野がどれだけすばらしい絵を描くひとなのか。鹿野に装画を依頼することが本を売る最善の選択肢なのだということ。書籍化してほしいという願い。一色だって、書籍化したくないわけではないと思うから。
『描かないのですか』
一色が訊いてきたのは、それだけだった。
描けません、と答えてからは連絡を取らないようにしていたし、店で顔を合わせるのも避けていた。絵莉は机の前に座り、突っ伏する。画材は出したままになっていた。鹿野の絵が表紙を飾る本たちも、まだそこに置かれている。片づける気力もない。もしかしたら、まだ未練があるのかもしれない。
――力が出ないのは、曇ってるせい。
そう言い訳しながら、目を閉じる。今日はなにもしたくない。
三階へと上がってくる足音がしたのは、昼ごはんも過ぎてからだった。彩乃よりも軽やか。けれどお雪さんほど小さくない。だれ、と思って振り返ると、控えめな呼びかけの声。
「おねえさん」
「え、とわくん? どうしたの」
驚いてすぐに出迎えた。とわが三階に来るのははじめてだ。いくら仲がよくても、兎ノ書房のお客さまであることに変わりはない。三階の居住スペースにまでは、まだ来たことがなかった。
「……お雪さんが、おいでって、してたから」
「お雪さんが?」
どうやら、不思議の国のアリスよろしく、白うさぎがとわをここまで連れてきたらしい。当のお雪さんは、どこかに姿を消してしまっている。
――お雪さん、なにを考えてるんだろ。
「とりあえず、入って」
昼前にはふとんをしまっていたから、ひとを入れるには問題ない程度に片づいている。あいかわらず、机の上は画材でごちゃごちゃとしたままになっているけれど、まだましだ。
と、そこで絵莉は気づいた。
「とわくん、今日はランドセルなんだね」
見慣れないランドセルを、とわは背負っていた。小柄なとわは、ランドセルに食べられてしまいそうにも見える。いつも兎ノ書房に来るときはリュックサックが多かったから、なじみのない姿だけれど、これが本来の形でもあるのだろう。
「学校……、行ってきた」
絵莉の差し出すクッションに座りながら、とわがランドセルを横に置く。絵莉はぱちっとまたたきして、そんなとわを見つめた。え、と言いそうなのは必死にこらえた。
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