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第4章 物語と、ひとつの色(上)

(5)没頭

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 色彩がきれいだ、と思った。

 徹夜で一色が作業したかいあって、以前読ませてもらったときよりも、文章から色が香り立つ。決して主張してくる色ではない。そっと寄り添うような、やさしい色たちがにじんだ世界だった。

 作品とつくり手は同一ではない、と言われることがある。小説でも絵でも、そうだなあと実感することが多い。けれどこれは、一色の持つやさしさが、そのまま作品に表れているようだった。ひかえめながら、しっかりと存在する色。

 ――あたたかくて、やわらかい。あわい陽の光に包まれているような……。

 うん、そんな色がいい。

「楽しそうですね、絵莉さん」

 ふり向くと、一色の膝の上でお雪さんがこちらを見つめていた。

「一色さん、寝ちゃった?」
「ええ」

 どうやら一色は、座ったまま眠りに落ちてしまったらしい。時計を見ると、もう一時間が経とうとしていた。つい夢中になっていて、時間を忘れていたようだ。お雪さんは膝から飛びおりようとするけれど、一色が身じろぎしたのを見ると、あきらめたように丸くなる。

「やさしいね、お雪さん」
「今日だけですよ。まったく、こんなひどい顔をして兎ノ書房に来ないでほしいです。それで、小説はどうですか?」
「うん、すごくよくなってると思う。どの立場で言ってるんだって感じだけど」

 でも本当に魅力が増しているのだ。そっと原稿に触れて、幸せな気分をかみしめる。すてきな物語を読むと、心があたたかくなるものだ。

「絵莉さんが助言したんですから、よくなっていないと困りますよ」

 ぶう、と鼻を鳴らすお雪さん。絵莉はおかしくなって笑った。

「お雪さん、紳士なんでしょ? つんつんしちゃだめだよ。それにしても一色さん、どうしようね」

 疲れている一色には、ふとんに入って休んでほしいと思う。だけどいま起こすのはかわいそうな気もした。だって、とても静かに眠っている。お雪さんのおかげだろう。お雪さんのぬくもりは、安眠を運んでくれる。雑貨屋に売られているへたな安眠グッズよりも、よっぽど優秀だ。

 まあ、もうすこし寝かせてあげようかな。客用のふとんもあるから、最悪泊まってもらえばいいし。

「彩乃さんは、まだ仕事してる?」
「いえ。さきほど三階に行きました。仕方ないから今日だけは夜ごはんの当番を変わってあげよう、と言っていましたよ」
「わあ、彩乃さんやさしい。じゃ、お言葉に甘えて、わたしはもうすこし小説読むね。まだ途中だから」
「ほどほどになさいね」
「はーい」

 一色が起きたのは、それからまた一時間経ったころだった。眠ってしまったことに何度も頭を下げ、すこしよくなった顔色で帰っていった。泊まっていっていいのに、と絵莉も彩乃も言ったが、ぶんぶん首をふって辞退されてしまった。

「一色さんなら、変なことにはならないだろうし、べつにいいんだけどね」
「なに言ってるんですか、絵莉さん。男はみんな狼です。もっと警戒なさい」

 お雪さんがぶすっと言う。

「お雪さんだって、男の子でしょ」
「わたしはうさぎなので。除外されます。かよわい草食動物です」
「お雪さんはなんでも食べるけどね」

 雪はさきほどよりも積もっている。一色の足あとも、すこししたら新しい雪が降って覆い隠してしまうだろう。彩乃のつくったキムチ鍋を食べて、もこもこの上着を着込むと、自室のちゃぶ台に向かう。早く早く、と指がもう待ちきれないのだ。残りの原稿を夢中で読み進めた。

 読み終わってからは、しばらく目を閉じていた。物語と現実の間をたゆたう時間は、寝起きのぬくぬくとした時間に似ている。夢と現実を、あたたかいふとんの中で行き来するような、幸せな気分。

 ――すごいな、一色さん。

 こんなすてきな物語に、自分の絵を飾ってもらうのだ。

 絵莉はゆっくりと目を開くと、付箋を取り出した。もう一度原稿を読み、心に残った部分に付箋を貼る。感じた色をメモして、イメージを膨らませる。窓の外では、世界が白く染まっていく。それでも絵莉の身体は熱いくらいだった。

 いつの間にか、眠っていた。机に突っ伏していた絵莉の肩には毛布がかけられていた。かけたのは、きっと膝の上で寝息を立てているお雪さんだろう。そのぬくもりに触れて、笑みを深めた。

 頭の中には、もう世界ができあがっている。あとは、指先から生み出すだけだ。
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